10 聖乙女の末路とは……
馬車は闇の中を縫うようにして、一心に進んだ。
真っ黒な馬車の車内は内装は豪華で、男の身分がある程度高いことを意味していた。私の手首には手錠が掛けられてしまった。
「今回の事件の黒幕はあなたですか?」
「そうだとしたら?」
そんな風に返されるとは思わず、私は押し黙った。
「なぜ私を攫うんですか?」
「攫うのではなく救うのですよ」
男は始終落ち着いた様子で、私の問いに答えた。
救う? 全然意味が分からない。
「なぜ、私が聖乙女だと? アデルがそうだとは思わなかったのですか?」
私が聖乙女だと知っているのは、王城に住まう私の周辺の者と、学院の関係者、それと先日の舞踏会に出席した一部の貴族達のみ。王城に勤務している者達にはしかも箝口令も敷かれている。つまり、この目の前の男は私が聖乙女だと知り得るポジションにいたことになる。
しかし男は思いもよらない言葉を吐いた。
「アデルは私の妹です」
「えっ!?」
男はゆっくりと被っていたフードを脱いで、その素顔を晒した。
サラサラの癖のない長い髪は金色で、白皙の肌に整った鼻梁の美青年だった。顔立ち自体はどこか兄上を彷彿とさせるのに、少し憂いを含んだその表情は兄上とは全く違った。一言で言えば優美、清廉な気配を纏っているのに、なぜか退廃的な印象すら持つ。アデルと同じ色合いの青い双眸が私を見つめ言う。
「私は聖殿の大神官のミカ。あなたとは縁続きに当たる家柄の出身です」
「大神官!? 聖殿の大神官が私を攫ったの?」
全く訳が分からない。なぜ大神官が私をこんな風に攫うのか。
でも確かに大神官ともなれば、私のことを知っていて当然だ。
「まずその前提が間違っています。何度も言いますが、私はあなたを救おうとしているだけなのです」
ミカの穏やかな表情からは、とても悪人には見えなかった。割と比較的外面が良いと言われる兄上の方がよっぽど性悪に見える。
「それなら、きちんと順序立てて説明をして下さい。さっきの列車での賊の襲撃も、全てあなたが指示したことなんですか?」
「粗雑な悪い輩を、あなたを攫う手立てに使ったのは申し訳ないと思っています。このような仕事を引き受ける者は、ああいった者達でもないと、お金を積んでもどうにもなりませんから。攫ったのが私だと悟られない為には、足がつかないように、あのような者達を使う他なかったのです」
この目の前の人物ともなれば、おそらく私兵も有しているに違いない。しかし、その者達を使ってしまえばすぐ身バレしてしまうのだろう。
「あなたは代々の聖乙女の末路を知っていますか? 無事に役目を終えても、その皆が全員まともな残りの人生を送れたとでも?」
そう言われると代々の聖乙女の顛末を私は詳しくは知らない。ただ早く子供を残さないと、自分の持つ魔力の量に体が耐え切れずに早死にするとは聞いていたが、無事に子を残したとして、寿命が人並みになるくらいとしか聞いてはいなかった。
代々の聖乙女がその後どんな人生を送ったか──少なくとも先代のクロエ様は表向きは亡くなったことになっている。
「正気を失う者が半分、自ら命を絶つ者が半分です。退位した時に正気でも、その末路は皆悲惨です。聖乙女にまともな未来は存在しません。将来は死か廃人かの二択です」
「えっ!?」
それは私にとって驚愕でしか言い表せない言葉だった。事実かどうかまでははっきりしないけれど、もし彼の言うことが本当なら、私の未来は悲惨なものでしかない。
少なくともクロエ様は、人間であることを辞めてしまっている。
兄上もそこまでは教えてはくれなかった。この事実を知っていて、私に隠していたのか、それとも本当に知らなかったのか──いや、兄上のことだから、きっと前者なのだろう。
「よく考えて下さい。何百年もか弱い女性一人に犠牲を強いてきた国が、今さらあなただけこの過酷な運命から逃れることを許すのお思いか? いくら王子があなたの婚約者でも、あなたが聖乙女である限り、国民全員の命かあなたの命なら、国民の命を守ることを選ぶでしょう」
「国民全員の命と私の命だなんて、たとえが横暴過ぎるでしょう?」
「いいえ、将来的にはそういうことです。神の加護を無くした国は、いつ他国に滅ぼされても仕方のないことなのです」
確かに我が国は周辺国に比べれば小国で、軍事力も遠く他国には及ばない。しかし神の加護のある国ということて、それが抑止力となり他国から一目置かれている。神に護られている国を、わざわざ侵攻などしないのだ。
しかしそれが崩れたら? きっとあっという間に大国に制圧されてしまうかもしれない。
「じゃあ、あなたは何なの? 私を救うってことは、聖乙女の任に就かせる気がないのでは? それでは国は加護を得られず、このまま衰退の一途を辿るのでは?」
「聖殿にはアデルを聖乙女として据えます。しかしアデルは聖乙女でも何でもないので、加護は発動しないでしょう。しかし、前任を失って早十数年、なんとか国は踏み留まってきました。このまま衰退のするのは否めませんが、時間は稼げます。王家がこの聖乙女という人柱を作り出したのは間違い無いのです。その呪縛の謎を何としても解き明かします」
えっ、それならこの人は、聖乙女の契約を何とかしようとしている? それならば、私達と同じ考えなのでは?
「待って、あなたも聖乙女が何かの契約によって課せられた役目だと思ってるの?」
「それはもちろん。私はこれは人為的に掛けられた術だと考えます。おそらくたまたま聖属性魔法を使えた娘に、何らかの強力な術を掛けた。聖乙女に選ばれるものは、皆代々血縁です。加護を約束する代わりに、娘は犠牲になる。どんな神と契約したかまではよく分かりませんが、おそらく善神ではないのでしょう」
やっぱりこの人は私達と同じ見解を持っている。では話し合って分かり合えないのだろうか?
「殿下達と話し合うことは出来なかったのですか? あなたが大神官だというのならば、それこそ話し合うべきなのでは?」
「私、いえ前任の大神官だった私の父はずっとこのことを訴えてきました。聖乙女とは、何かの呪いの一種ではないのかと。しかし、何度それを訴えたところで聞く耳を持たなかったのは王家の方です。一番近くで聖乙女にお仕えし、現状を嫌と言うほど見てきた私の父は、結局処罰の対象に。国を追われたのです」
そんな!! それは酷い。
「でも、殿下なら。マクシミリアン殿下とマシュー殿下なら、あなたの話もきっと聞いて下さいます。話をするべきです」
「彼らがあなたを妻にと望んで争ったという噂は本当のようですね。でも王族を信用することは私には出来ません」
「そんな……!」
ミカの憂いを含んだ眼差しは、ただ哀しみを帯びていた。
「あなたは私のやり方で、必ず私が救います。とりあえず国外に、私の父の元に身を寄せましょうか」
頑なに話し合いを拒むミカを説得出来ずに、馬車は数時間走ったところでとうとう目的地に到着したかに思えた。
馬車を降りると潮の香りがして、ここが海に程近い場所なのだと思い知らされる。海に程近いというか、ここはまさか港?
「船に乗って海を渡ります。船に乗ってしまえば、早々に追っ手が来ることもないでしょう」
「お願い、私は船になんか乗りたくない」
「申し訳ありませんが、それは聞き入れられません」
ごねる私をひょいっと軽く抱き上げて、ミカは用意してあった帆船に乗り込んだ。すぐさま船室に連れ込まれてしまう。
「お願いよ、船から降ろして」
「いい子だから、私の言うことを聞いて?」
ベッドに座らされミカが優しく私の頭を撫でた。口調が変わり、まるで子供を諭す親のような口振りでだ。
「私はあなたを救いたいだけです。本当にそれだけは信じて」
まるで兄上のように優しい。アデルの兄だと言っていたけど、本当なのだろうか?
「私があなたの夫になります。それであなたは私の子を産み、とりあえずの寿命の問題を回避させます」
「えっ!?」
この人もやはり聖乙女の寿命の問題を知っているのか。
「致し方ないのです。あなたにあまり時間がないことも承知の上です。生涯妻はあなた一人、あなただけを愛すると約束します」
私の夫になるのはマシュー王子なのに、この目の前の人は何を言っているのだろう?
「あなたの気持ちが私に向くまでは、あなたには触れません。船が目的地に到着したら、早めに式を挙げましょう」




