06 引き寄せられる悪夢
庭の散策を終え、しばらくして夕食の席に呼ばれた。
シーガーデン自慢の海の幸がふんだんに使われたメニューで、前菜からデザートまで最高級の食材が使われていた。
マシュー王子の隣にしっかり座ったアデルは、さも当たり前のようにメイドらに傅かれて、楽しい夕食の時間を過ごしたようだった。
食事を終えて、しばしお酒を酌み交わしながら歓談の時間となった。
シーガーデンを含むこの土地は、農耕には不向きで、主に漁をメインとした水産業の盛んな街だ。ローランド伯爵も缶詰加工の工場を持っているらしく、事業拡大の相談をマシュー王子にしているようだった。
何だかドッと疲れた。こんなに疲労感を感じるのはどうしてだろう?
「かなりお疲れのようですね」
アデルが心配そうに私に声を掛けてきた。
「よろしければ、私にマッサージ治療をさせて下さいませんか?」
「マッサージ治療?」
キョトンとして聞き返すと、彼女はニッコリ微笑んで言った。
「ええ、そうです。よろしければ二階のお部屋で施術致しますよ」
しかし、護衛である私がマシュー王子の傍を離れるのは……。私はそっとローランド伯爵と会話が弾んでいる様子のマシュー王子の様子を窺う。彼はそんな状態でも、こちらに気を配っているようで私にだけ分かるようにそっと目配せをした──『行ってこい』
「それではお願いしようかな」
彼女に言われるがまま、私達は二階に用意された私とアルヴィンの部屋に戻って来た。もちろんアルヴィンも一緒だ。
まぁ丁度良い機会かもしれない。彼女の能力を自分で確かめるチャンスだ。
彼女はとりあえずお茶を淹れてくれて、私に差し出した。
「自家製のハーブティーです。とてもリラックス出来ますよ」
どうやら彼女手製の物らしく、とても良い香りがした。
マシュー王子は彼女をあざといと言っていたけど、目の前で私を案じる彼女からは、そんな気配は感じられない。
「では、ベッドに横になって頂けますか?」
彼女に誘われ、私はベッドルームに移動した。
言われた通りベッドにうつ伏せに横になった。
「失礼します」
アデルが私の背中を指圧し始め、なぜか急激な眠気が私を襲う。相当疲れていたのか、それとも先程のハーブティーに何か入っていたのか──。
「……ジーン、ジーン!」
低いよく響く声が私を呼んでいる。私は重たい瞼をなんとかこじ開けると、マシュー王子が私を心配そうに見つめていた。
「どうした? そんなに疲れたか?」
「申し訳ありません、私いつのまにか眠ってしまって」
私は何とか体を起こそうとするけれど、鉛のように重い体が言うことを聞かない。
「アデルが君が眠ってしまったと言うから、君に限ってそれはないと思って来てみたんだ。おそらく、彼女に睡眠薬でも盛られたんだろう。何か口にしたか?」
「手製のハーブティーを……」
「それだな」
マシュー王子は唇を噛み締めて、うーんと唸った。
「どこか体に異変はないか?」
見た所、着衣に乱れはない。
「とりあえずは大丈夫です」
なぜ私に薬を盛ったかまでは分からないけれど、何か意図があったことは間違いなかった。少なくとも、本当に善意で私に治療を施すならば、睡眠薬など盛る必要はないだろうし。
「とにかくアデルに気を許すな。彼女が何か企んでいるのは間違いない」
「それは殿下も同じです! 殿下は彼女と同室なんですよ? 私のように薬を盛られて、意識のない時に何かされでもしたら」
ぷっとマシュー王子が吹き出して、大きな声で笑い出した。私は思わず呆気に取られる。
「私のことなら大丈夫。彼女から出される食べ物や飲み物に口を付けることはしないし、元々同じ部屋で眠るつもりもなんかさらさらない」
「じゃあ、殿下はどうなさるおつもりなんですか?」
マシュー王子はいつものように魅力的な微笑みを浮かべて、私のベッドを指差した。
「もちろんここで寝る」
「はぁ!?」
王子はゴロンと私の隣に横になって、私を自分の方に引き寄せた。彼に腕枕される格好になる。
「殿下ぁ!」
「まあ、一旦部屋には戻るよ。彼女と話はしようと思う」
チュッと私の額に軽くキスすると、「すぐ戻るから」と言い残して彼は部屋を出て行ってしまった。
果たして大丈夫だろうか? アデルの思惑が分からないから、不安で堪らない。
しばらくして、バルコニーに人の気配がした。駆け寄ってカーテンを開けると、そこには窓越しにマシュー王子の姿があった。そこから来るんだ……。
「殿下!?」
窓を開けると、王子が部屋の中に滑り込んできた。
「……私も出された。手製のハーブティーを」
少し苦笑いを浮かべながら、彼はそのままベッドに腰を下ろした。
「飲んだんですか?」
「まさか。ハーブティーは苦手だと言って口は付けなかったよ」
「それより、君に薬を盛ったことを彼女は白状したんだが?」
「えっ!?」
それは意外だった。私に睡眠薬を盛ったことを、そんなにあっさり認めるなんて。
「ただ単にゆっくり休んで欲しかったからだと。こんなにあっさり認められたら、逆に問い詰められない」
王子は少しつまらなさそうに、長い足をブラブラさせた。
「まぁ、彼女が何を企んでいるか分からないが、やはり王都に連れ帰って、専門家達に真偽を確かめて貰う他ないだろうな。偽物なら、何かトリックがある筈だ」
専門家というとやはり聖殿の神官達や、兄上やラファエルだろうか。少なくとも、患者はちゃんと治療はされていた。回復魔法がかけられているのは間違いないのだけれど。
「とにかく今日はもう休もう。君も疲れたろう?」
「はい」
その晩、私は夢を見た。そこは王都にある大聖堂で、どうやらそこで結婚式が行われているようだった。私は完全に第三者視点で、まるで映像を見ているような状態。式は滞りなく進むが、音声は途絶えていてよくは聞こえない。
新郎の顔は間違いなくマシュー王子だ。しかし彼が花嫁のベールを上げるとその顔は私ではなく、何とアデルだったのだ!!
「うわぁ!!」
思わず声を上げて、私は夢から醒めた。
自分の声に驚きつつも、なんて縁起でもない夢を見てしまったのだろうと思う。心臓が早鐘のように打ち、私は息を整えようと深呼吸した。
「……ん? どうした?」
マシュー王子が体をよじり、こちらを向いた。
いけない、王子を起こしてしまった!
「申し訳ありません。少し夢見が悪かっただけです」
「大丈夫か?」
彼に引き寄せられ、その胸に頬を寄せた。
優しく髪を撫でられて、私は目を閉じる。
「私と一緒に眠っていて、君が悪夢を見るだなんて。一体どんな夢を見たんだ?」
何となく、正直に話すのが憚られて、私はつい誤魔化してしまった。
「それがよく思い出せないんです」
ただ妙に生々しい夢だった。あそこは間違いなく大聖堂だったし、実際に式を挙げるとなるとあんな感じだろう。
マシュー王子の花嫁が、私でなくアデルに変わっているだなんて──とてもじゃないが、彼には言えなかった。
きっと、ここで彼の婚約者としてアデルが名乗っているから、そんな夢を見てしまっただけだ。王都に戻れば、私は彼の婚約者に戻れるし、こんな不安な気持ちも吹き飛ぶ筈だ。
不安? 私はやっぱり不安だったのだろうか?
自問自答して、私は自嘲的に笑う。
彼の愛は疑ってはいないけれど、私の聖乙女としての地位を、彼女が脅かしているのは間違いない訳で。
「大丈夫だから、眠るといい」
「殿下、もしアデルが本物で、殿下との結婚を望んだらどうしますか?」
「どうしてそんな風に思う?」
「もしもの話です」
マシュー王子がどんな表情をしているかまでは、今の私には分からない。
「私の妃は君だけだ。他の女を娶ることなど絶対にあり得ない」
何度も聞いたその言葉。王子の言葉は私の心にスッと染み込んで、温かい何かで満たす。彼が絶対に私を裏切ることがないという信頼がある。
「もし君が聖乙女でなくただの娘でも、私は君を選んだよ」
心地良い響きが再び私を眠りに誘った。
しかし翌日、まさか王都に戻れない事態に陥るだなんて、この時の私は微塵も思ってはいなかった。




