05 婚約者の代役……?
途中で治療を切り上げざるを得ないアデルを連れて、私達は教会を後にした。
「聖乙女様、どちらへ!?」
「私達はどうなるのですか?」
まだまだ長い列を作っていた人達は、アデルの姿を見るなり縋るように後を追って来た。
「申し訳ありません、私は王都へ行かねばなりません」
先導すると私達の行く手を阻む人垣を縫うように進んで、何とか振り切ると、あらかじめ呼んでいた迎えの馬車が待っていた。
「とりあえず今日は遅いので、出立は明日の朝だ」
馬車は今夜の宿に向けて走り出した。宿と言っても、このシーガーデンのある一帯の領主でもあるローランド伯爵家の屋敷に向かっているのだ。
シーガーデンの海と街全体が見渡せる小高い丘の上の、一際大きな屋敷がローランド家の本邸だった。
「これはこれは、マシュー殿下! ようこそ当家へおいで下さいました! ささっ、お連れ様もどうそこちらへ。長旅でお疲れでしょう? どうぞゆっくりなさって下さい!」
ローランド伯爵は立派な黒髭を蓄えた、見た目が五十歳くらいの人物だった。
早口で捲し立てるので、ちょっと何を言ってるのか聞き取り辛い。
王都から、王族のマシュー王子が突然やって来たので、かなり興奮気味のようでもあった。
「ややっ! ひょっとしてこちらは噂の聖乙女様では!? 金色の髪に青い瞳、噂に違わぬ美女でございますなぁ!」
アデルに向かって褒め称える様は、私的にはちょっと複雑だった。アデルはアデルで何とも微妙な微笑みを浮かべているだけで決して否定はしない。私は身分を伏せて、男性として同行しているので、ここはグッと我慢する他ない。
マシュー王子も何か言いたげにしていたけれど、私のこともあるので、ここはとりあえず黙って成り行きに任すみたいだった。
きっとアデルがどんな為人なのか、見極める意味もあるんだろう。こう見えてマシュー王子はとても鋭い。私が本当は女だということも、いち早く見抜いた。
「お部屋をご用意しておりますので、こちらへどうぞ」
屋敷の中に通され、メイド達がそれぞれ私達を各部屋へ案内した。何と驚くことに、王子の部屋にアデルまで案内したのだ!
まあそれも無理もない。伯爵はアデルを聖乙女だと信じている。聖乙女はマシュー王子の婚約者、それは公然とした事実だから。
「殿下がおいでになるとお聞きして、急いでご用意致しました。どうぞゆっくりお寛ぎを」
「すまないが、私の護衛は同室にしてくれないか?」
すかさずマシュー王子が戸惑いつつも私に視線を流してそう言うと、伯爵はなぜか自信満々で言い切った。
「どうぞご安心下さい。この屋敷の警備は万全でございます。聖乙女様とお二人きりで大丈夫でございますよ!」
伯爵は得意げに笑いながら、使用人に命じてさっさと荷物を運び込ませてしまった。
いや、そういうことじゃないんだけど……。
「お連れ様方のお部屋は殿下のお部屋のすぐ隣でございます」
な、何だって!? それじゃあ相部屋ってこと?
仰天する私だが声に出す訳にもいかず、チラリとアルヴィンを見やると向こうは一向に気にしなさそうで、部屋の中へ入って行く。え、ちょっと待ってよ!! 他の男の人と同室だなんて、さすがに困る!!
私はマシュー王子に無言で訴えようとするも、さすがにマシュー王子の方がすかさず助け舟を出してくれた。
「ちょっと待ってくれ。私の護衛はとても繊細なんだ。部屋は他にはないのか?」
「別にご用意するのはもちろん可能ですが、お連れ様にご用意したお部屋はベッドルームが二つの造りになっております。こちらの警備やお世話の都合で、ご一緒にして頂けると大変嬉しいのですが」
うーん、つまり寝る部屋は別々ってことだよね?
それなら我慢できるかなぁ……ていうか、王子とアデルが同室なのはさすがにマズイでしょー!!
「殿下」
「大丈夫、彼女と少し話しをしてみたい」
つまりは王子は彼女と同室になって、色々と話をし彼女の真偽を確かめ、真意を聞き出すつもりなのだと私は悟った。
以前の彼なら、きっとアデルとどうにかなってしまう心配もあったけれど、さすがに私一筋になってからの彼なら大丈夫だろう。でも何だかモヤモヤする。これがいわゆる嫉妬というものなのだろうか?
彼の婚約者は本当は私なのに……。それが声に出して言えないだなんて。
とりあえず私達は王子に用意された部屋に一旦集まった。
伯爵は終始上機嫌だった。何だろう、悪い人ではなさそうだけれど、この手の人って人の話を聞かないタイプで苦手だ。
そして何が一番嫌だったかというと、周囲にアデルが聖乙女、つまりマシュー王子の婚約者と認識されて、扱われていること。
ちゃっかり王子の隣を陣取っているし、聖乙女と呼ばれても否定もせず、ニコニコ優しげな微笑みを浮かべているだけ。そして何が気に入らないかと言うと、談笑中もさりげなく王子の体に触れる事。ボディータッチが多いとでも言うべきか、まるで好きな人の気を引くような行動をしばしば垣間見せるのだ。
全く関係ない他人ならここまで気にはしないのかもしれない。ひょっとすると私の考え過ぎなのかもしれない。しかし、どうしても私にはそう見えてしまうのだ。
私はなるべく不満は表情には出さないようにはしてたつもりだけと、やっぱり見ていて面白いものではない。
「それにしてもマシュー殿下と聖乙女様に、当家に滞在して頂けるなど夢のようです」
「そんなに畏まらなくていい。あくまで今回はお忍びだ。明日の朝にはここを発つし、今日泊まらせて貰うのだけでもありがたいことだ」
「恐れ入ります。それよりお時間がありましたら、どうぞ当家の庭をご覧になって下さい。私自ら世話をしている自慢の庭でございまして」
「ほぅ」
正直庭なんてどうでも良かったけれど、夕食まで少し間もあったし、ここで王子にべったりくっついているアデルを見ているのも癪だった。
「では少し散歩がてら見ることにするか、ジーン行こう」
王子がすかさず私の名を呼んだので、私は「はい」と返事をして後に続く。取り残されたアデルは慌てて立ち上がり、私達の後を追って来た。
「私も参ります」
はぁ〜、何で付いてくるかな? 私はさすがに少しイラっとした。確かに周囲に聖乙女だと扱われているけれど、あなたはマシュー王子の婚約者ではないでしょうに……。
色々な事情が絡んでいて、ここであなたが婚約者ではないと否定はしていないけれど……。
ニコニコ微笑みを絶やさず、私達より少し後を付いてくる。アルヴィンもその後に続く。
「どうした? 機嫌が悪そうだな」
アデルには聞こえないくらいの声で、マシュー王子が私に話し掛ける。
「そりゃあ、私は面白くありませんよ」
一方のマシュー王子は何だか少し嬉しそうにも見えた。
「では、私の気持ちも少しは察してくれたのかな?」
「え?」
見事な蔓薔薇のアーチを潜りながら、王子が少し意地悪そうな笑みを浮かべて言った。
「いつも他の男に言い寄られて囲まれていた君を、私がどんな思いで見ていたか」
「あっ!」
マシュー王子、まさか私に嫉妬させたくてわざとアデルが傍にいることを許していたの? そうだとしたら、やっぱり意地悪だ。
「彼女はああ見えてなかなかしたたかだ。最初に私達にははっきり否定しておきながら、周囲がそう呼ぶのを止めはしないし、曖昧な微笑みを浮かべて、しっかり私の隣には居ようとする。全て計算尽くなら、彼女は間違いなく偽物だろうな」
「でも回復魔法は間違いなく使っていましたよ?」
「そう、そこなんだ。だから、彼女を偽とはまだ決めつけられない。だが、少なくとも彼女は私の婚約者に成り代わる意思を持っている。私はそうはっきりと感じられるな」
やっぱり!! 王子から見てもアデルの態度は露骨だったんだ。
「間違いなく素人ではない。ひょっとすると、詐欺師の可能性もある。私はまぁ、君に決めるまで遊んだ時期が長かったが、彼女のあざとさは、そういった類の女と同じ匂いがするんだ」
王子は少し言いにくそうにそこまで話して、「どうせならとことん利用させてもらうとしよう」と小さく呟いてから、アデルを振り返った。
「そんなに離れずとも構わない。どうせなら一緒に散策しないか?」
そこでアデルは早足でこちらに向かってやって来た。
しかし、手前で立ち止まるとその表情を曇らせて頭を下げた。
「お気を煩わせて申し訳ありません。聖乙女と呼ばれる私が殿下のご婚約者でないと分かれば、混乱を招くかと思い言い出せずにいました。どうかご無礼をお許し下さい」
「別に構わない。説明するのも面倒だし、ここに滞在中は君が私の婚約者ということで構わないよ」
マシュー王子の返事を聞くと、その表情はみるみる輝いた。
そんなことを言ってしまったら、ますます付け上がるのでは?
「精一杯、代役を務めたいと思います」
それでマシュー王子の隣にいそいそと並んで、二人で庭の散策を始めたのだった。どこからどう見ても美男美女の二人。とても絵になる光景だった。伯爵手ずから手入れをしているという自慢の庭。残念ながらその見事な花々や木々も、私の心を打つことはなかった。私は複雑な思いで、後ろから二人の背中をじっと見つめていたのだ。




