11 懲りない老執事の策略
しばらくして戻って来たバーナードさんの用意した食事の内容を見て、私は唖然としてしまった。
重箱に綺麗に詰められたおかずは、私が今朝グレース様とバーナードさんに指南されて作ったものだったのだ。
張り切ってたくさん作ってしまったから、まだ残ってたのか。
「これはひょっとして」
「ええ。今朝お嬢様が、坊っちゃまの為に早起きして作られたものでございます」
ニコラス様はバツが悪そうに苦笑いだ。
「それは本当に済まなかった。君に甘い顔をする訳には、どうしてもいかなくて。自分を律する為にもああする他なかったんだ」
ニコラス様が私を突き放す為にあんなことをしたのだと、もちろん分かっている。
「でも、本当は食べたかった。だから凄く嬉しいよ」
今度は素直に喜んで下さって、私は胸が熱くなった。
「お二人がお幸せそうで何よりです。それにしても、坊っちゃま、いつのまにお嬢様に手を出されたのですか? ちょっと見損な……いえ見直しましたよ」
えっ、それ結局どっちなの!?
「ああ、そのことなんだが誤解だ。彼女は妊娠なんかしてないよ」
えっ、そんなアッサリ!?
「彼女の体調が思わしくないのは本当のことだが、私が結婚前に彼女に手を出すだなんてあり得ない。彼女はまだ清い体のままだよ」
「やはり左様でございましたか。確かに奥手で堅物の坊っちゃまに限って、デキ婚だなんてそんな離れ業が出来る筈がございませんしね」
なんか結構酷いことを言っているような?
バーナードさんは私達に水を注いでくれて、ニコラス様が早速そのグラスの水を一気に呷った。
「おい。彼女の前で私をさりげなくディスらないでくれるか? 誰が奥手で堅物だ? まあ反論は出来ないが」
私は思わず吹き出した。二人のやり取りがまるでコントのようで。
ディスるって、ニコラス様がそんな表現使うだなんて意外だ。ていうか反論出来ないんだ!!
「まあ少々残念ですが、坊っちゃまにしては上々でしょう。明日は奥様が仕立て職人を呼びつけて、ドレスをお作りになると張り切ってらっしゃいました」
「ええっ!?」
「もちろんお嬢様のお体に配慮なさってのことです。坊っちゃま、奥様にどう説明なさるので?」
ニコラス様は頭を抱えて唸った。
「うーん」
「今さら、お嬢様がまだ妊娠しておられないと奥様がお知りになったら、それはがっかりなさるでしょうね」
それはニコラス様だけでなく私も当事者だから、この問題を黙って見過ごす訳にもいかない。
誤解とはいえ、私は妊娠などしていない。嘘をついた訳ではないけれど、そのままなのはやっぱり居た堪れない。
「やっぱり、ちゃんと正直に誤解だとお話しするべきでは?」
「それはなりません!!」
バーナードさんがすかさず反対し、私は思わず身じろぎした。しかしニコラス様は、冷静にバーナードさんに理由を求めた。
「それはなぜだ?」
おずおずと、申し訳なさそうにバーナードさんが呟いた。
「……奥様は早速、子供部屋のご準備を嬉々としてなさっておいでです」
「────っ!!」
額に手を当てて、ニコラス様が軽く溜め息をついた。
もうグレース様ったら!! どこまで気が早いんだろう?
「そんな奥様に、今さら違うと言い出せますか?」
私は隣のニコラス様を見た。これはもう彼の判断にお任せするしかない。
「バーナード、何か手はないか」
「そんなことは簡単です。今すぐにでもお子をお作りになれば良いのです」
「!!!!!!」
いや、さすがにそれは!!
大真面目に答えたバーナードさんにニコラス様も呆れ顔だ。
「もうご婚約なさって、結婚式も来週に行うのです。もう実質ご夫婦なのですから、些細なことに拘らなくても」
「大事なことだろう!? ……ったくお前まで」
んん? ニコラス様の様子が何だか辛そうな?
「そろそろ頃合いのようですね。私はここで失礼致します」
バーナードさんはニコラス様を一瞥すると、いそいそと部屋を出て行ってしまった。
私は食事の手を止めてしまったニコラス様の様子を窺う。
「ニコラス様? どこか具合でも?」
心なしか、ニコラス様の呼吸が荒くなってきた。
頬が上気してとても辛そうだ。
「何か薬を盛られたようだ」
ええっ!? それは大変だ!!
胸を押さえて黙り込んで俯いて耐える様は、やはり尋常ではない。
私は多少パニックになって、慌てて席を立った。
「バーナードさんを呼び戻します!!」
しかしニコラス様は素早く私を静止した。
「無駄だ。薬を盛ったのはバーナードだ」
「ええっ!?」
私はそれでも席を立ってドアを開けようとするが、案の定ドアは開かない。外側から重いもので塞がれているようだ。
あぁ、このパターンは以前にも経験がある。
「ニコラス様、ドアが開きません!!」
振り返ると、ニコラス様はソファーに突っぷすように横になり、肩で呼吸をしてますます辛そうだ。
どうしよう!? なぜバーナードさんはニコラス様になぜ毒なんか盛ったの?
「解毒薬を、ああ、えっと、解毒魔法を」
毒なら解毒魔法が効く筈だ。私は慌てて彼に駆け寄ると、彼の背中に手を当てて、呪文を唱える。
「……ダメだ、私から離れて」
くぐもった声でニコラス様が小さく呟いた。
絶え絶えの息、相当辛そうだ。
「でも!!」
「ジーン、これは毒じゃない。解毒魔法は効かない」
毒じゃない!? では何だと?
よくよく考えれば簡単に答えを導き出せたのに、この時の私は完全にパニックになっていて冷静になれなかったのだ。
ふと掴まれた腕、押し倒される私、あっという間の出来事だった。
両腕を簡単に押さえ込まれて強引にされるキスに、思わず流されてしまう。
まさかニコラス様に盛られた薬とは……媚薬?
「ニコラス様!?」
キスの合間に必死で呼び掛けるも、彼は何も答えず私の首筋にキスを移していく。
「ジーン、君が欲しくて堪らない」
潤んだ瞳、上気した頬に掠れた声、明らかにいつも冷静な彼とは違う切なげな表情にドキッとした。
つまり毒ではないから、解毒魔法は効かないのも同然だ。
バーナードさんはよりにもよってニコラス様に媚薬を盛ったんだ! 気持ちは分かるけれど、あからさま過ぎる!!
「……頼む、逃げてくれ」
そう言われるけど、彼は私へのキスをやめようとはしない。自分で自分が抑えられないんだ!
「そう言われても、んんっ」
ダメだ、私もこんなキスをされたらとても我慢が……。
いつのまにか私は彼の首に手を回して、自分から彼を求めていた。夢中でお互いをまるで貪るように。
背中のファスナーを素早く下げて、彼は私の上半身を露わにした。下着をずらされて愛撫されると、もう何も考えられない。
するすると私の大腿に伸びる彼の手が、その先のことを嫌でも予感させた。
もしかしてしちゃうの? このまま?
「……ジーン、頼む」
それでも、ニコラス様の必死な懇願に私は何か異様な空気を察する。
このまま流されてしまったら、きっと彼は後悔するだろう。
正直、私は結婚まで処女を守ることにそこまで拘りはないのだけれど、彼がそこまで気にしている以上、その気持ちに添いたい。それだけ私のことを大事に想って下さっているという証拠なのだから。
でも頭では分かっていても、私もそう簡単には抗えない。
キスを何度も交わしながら、私もこの状況に流されそうになる。正直この時の私は、もう正気ではなかった。
しかし、次の拍子にニコラス様の様子が明らかに変わった。力なく私に覆いかぶさり、グッタリして動かなくなってしまったのだ。
「ニコラス様?」
私は体を起こし、気を失ったらしい彼の姿を見て仰天する。彼の右の大腿に深く短剣が突き刺さり、そこから血が滲み出ていた。見るからにかなりの出血だ。
私のスカートもみるみる血に染まり、まだ出血は続いている。太い血管を傷付けてしまったのだろうか?
私はさすがに完全に正気に戻り、慌てて回復魔法をかけた。蒼白だった彼の顔色がみるみる元に戻り、危険な状態を脱したことを知る。
まさか自分を止める為に護身用の短剣を咄嗟に刺すだなんて。
彼らしいといえばそうだけど、さすがに無茶が過ぎる。
もちろん、私が回復魔法を使える前提でやったのだろうけど、こんなのやっぱり心臓に悪い。
もう少し自分を大切にして欲しい。私だって彼が傷付くのは嫌なのに。
私は何とか彼をベッドまで運んだ。
傷は魔法で塞いだものの、失った血までは戻せない。
命には別状はないけれど、目覚めるにはしばらく時間がかかるだろう。
すーっと寝息を立てる彼の髪を撫でる。よくよく見ると彼の髪はかなり白い髪が混ざっていた。とても珍しい風合いだ。淡いミルクティー色の髪に、本当にまるでミルクのように。地毛なのかなぁ? 彼に限ってわざわざ染めてはいなさそうだし。
それにしても睫毛長っ!
私の周りの人達って、皆元々破格の美形揃いだからなぁ。
その中でもニコラス様は柔和な顔立ちで普段はとても優しげで穏やかな表情でいることが多いのに、あのたまに見せる厳しい表情とのギャップが堪らないんだよな──あぁ、私はそれにやられた口かもしれない。
落ち着いたら私にも猛烈な眠気が襲ってきた。そもそもここ二日はまともに眠れなかったし、さすがに連日の疲れが溜まっていたこともあって私はいつのまにかベッドの傍らで眠ってしまっていたのだった。




