07 彼に持ち上がった縁談
「ニコラスお前これから予定があるんだろう? 分かったから早く行けよ」
「それでは、妹君のことを頼みます」
兄上に言われて、ニコラス様は足早にその場を去ってしまった。相変わらず私の方を見ようともせずに。
「あいつ、結婚が決まったそうだぞ。これからその見合い相手の顔を見に行くんだとさ」
「!?」
結婚!? 見合い? どうしてそんな急に?
「ハワードの失脚で、あいつの家の事業の出資者に新興の商会が名乗りを上げたんだが、そこの出資の条件に、商会長の娘との結婚が条件に出されたらしい。先方は成り上がりの商人の家、対してニコラスは建国から続く名家の跡取り。普通ではありえない縁談だが、ニコラスもまあ背に腹はかえられないんだろうな」
目の前が真っ暗になるとはこのことだ。まさかニコラス様に縁談が持ち上がるだなんて。
「お前、キッパリ振られたんだろ? だったらもう諦めたらどうだ? そりゃあお前の特権で、ニコラスを指名すれば強引に結婚は出来るかもしれないが」
だからなの? だからニコラス様は私にあんな態度を?
こんなの完全に政略結婚だ。──でも家の為には断れない縁談。
「とにかく、お前は家に帰って来い。誰と結婚するにしろ、さすがにニコラスの家には居づらいだろう?」
兄上に頭をポンポンされて、私はとうとう涙が溢れてしまった。
「ああ、おい。……こんなところで泣くな」
兄上に引っ張られる形で詰所を後にした私は、それでもグレース様と話をしに一度カーライル家に帰る必要があった。
ここまで協力して貰いながら、結局ダメになってしまいそうなことを、自分の口から報告しなければないない気がしたから。
「グレース様に報告したいので、それから帰るよ」
「分かった。僕もこれから少し野暮用で出掛けないといけないんだ。後で迎えをやるから」
兄上は兄上で忙しいんだ。まさか兄上が宰相になるだなんて思いもよらなかった。でも、私の懸念はそんなことじゃない。
ニコラス様が、まさか商会の娘と結婚するだなんて。
家の為には仕方ないことなの? 私が相手ではきっとダメなんだ。私は重い足取りでカーライル家にひとまず帰るしかなかった。
「あぁジーン、待ってたのよ!」
カーライル家の玄関で、グレース様が出迎えてくれた。
私を今か今かと待っていた様子だ。
「さっき、ヒューが一足先に帰って来たのだけれど、出資先の商会の娘とニックが結婚するって聞かされて。あなたを待ってたのよ?」
「私もその話を聞きました。グレース様、あの……」
やっぱり兄上の話は本当なんだ!
「ジーン、早く着替えて」
「え?」
グレース様は私の腕をじれったそうに引っ張りながら仰った。
「やっぱり、ここは貴族の娘というか、聖乙女らしさを全面的に出せる衣装の方がいいわ。清楚さをアピールしていきましょう」
「グレース様?」
グイグイ引っ張られて、自室に連れ込まれ、用意されていたドレスにあっと言う間に着替えさせられた。ふんだんに細工の凝ったレースをあしらったクラシカルな七分袖のクリーム色のドレスだった。
「バーナード、車の用意は出来てる?」
「はい」
部屋の外に控えていたバーナードさんが、車の鍵を取り出して、グレース様に手渡した。
そりゃあ、馬車よりも車の方が早いけれど、カーライル家にも車があったんだ。
「運転苦手だけれど仕方ないわ。時間がないから早く行くわよ!」
「奥様、お約束の場所はインペリアルホテルです! お嬢様、頑張るんですぞ!!」
ええっ、頑張れってまさか!?
「そうそう、インペリアルホテルね」
グレース様は行き先を復唱しながら、困惑する私を車まで引っ張って行き、私を助手席に乗せると緊張した面持ちで運転席に座った。
「実は運転三回めなのこれ」
「えっ!?」
エンジンはかけたとものの、すぐ盛大にエンストして車がガコンとなり大きく揺れた。
「やっぱり馬車にする? いいえダメだわ。それだと遅くなる」
意を決してグレース様は再びエンジンをかけた。今度はカクカクしながらも、なんとか発進することが出来た。
ギアの切り替えがスムーズにいかず、何度かカクつきながらも、車は王都の町を走り始めた。
「インペリアルホテルはこの大通りをまっすぐ行って」
グレース様は運転に全神経を注いでいるようで、全く余裕なんかなさそうだった。正直言って、隣に乗っていること自体が怖くて仕方ない。
覚束ない運転な上、右折が出来なくて、結局左折を繰り返しながらようやく目的地に辿り着くことが出来た。
馬車で来た方が実は早かったかもしれない。
車をホテルのエントランスに横付けすると、すぐさまドアマンがやって来て、グレース様は車の鍵を預けながら尋ねた。
「カーライル家の御曹司は来てる?」
「先ほどお見えになりました。お約束の方でしょうか?」
「いいえ、私はカーライル家の者よ」
「左様でございましたか。それではご案内を致します」
すぐ別のドアマンがやって来て、私達をホテルの中へと促した。彼はまっすぐ広い格式のあるエントランスロビーを抜けて、エレベーターへと案内した。
「最上階のバーラウンジです」
「分かったわ、ありがとう」
人目につく一階のラウンジでなく、最上階でお見合いか。
商会の娘とやらは、一体どんな娘なのだろう?
それにしても、グレース様の勢いに負けて付いてきてしまったけれど、ひょっとしてこれって、お見合いの席をぶっ壊しに行くのでは?
「臆することないわ、ジーン。どんな娘が相手だろうと、あなたが負けることなんか絶対にない」
やっぱりそのつもりなんだ!! どうしよう!?
「ドアマンが約束の相手かって私に聞いたってことは、どうやら相手の娘はまだ到着してないのかしら」
エレベーターが最上階に到着すると、グレース様はすぐさまラウンジ内を見回した。さすがに昼間とあって人はまばら、奥まった席に見つけた見覚えのある後ろ姿。
「いたわ、あそこよ」
声を潜めてグレース様はニコラス様を何とか視認出来る席に着いた。
そのニコラス様の対面には、壮年の恰幅のいい黒髪の黒髭の男、そしてその隣には妙齢の女性の姿。年の頃はニコラス様と変わらないか、少し上だろうか? 背中まで伸ばしたダークブロンドの美女だった。
「なんだ見合い相手もう来てるじゃないの。なかなかの美人ね」
私はまるで頭を殴られたようなショックを感じていた。どこかでニコラス様が心を動かされないような美人でないといいと期待していたのだ。
「…………」
「うーん、ちょっと年増かしら? まあジーンの敵ではないわね」
意気消沈する私に、グレース様は明るく声を掛けた。
「問題はいつ乗り込むかだけど。なんて言ってやろうかしらね?」
でもここからではさすがに話している会話の内容までは聞こえない。
それにキッパリ振られている私は、彼に何と言えばいいのか?
「グレース様、私やっぱり」
「え? 何よジーン? もしかしてニックを諦めるとでも言うの?」
グレース様は少し声を荒げて、私を睨みつけた。
たじろぐ私になおもグレース様は語気を強める。
「ダメよ!! ニックに相応しいのはあなたを置いて他にないの。私はあなた以外の嫁だなんて、絶対に認めないわ。出資をチラつかせて、結婚を迫るような奴らよ? まともに相手にすることなんてないわ」
「グレース様、そんなに大きな声で話したら向こうに気付かれますって」
一応、私達の席は観葉植物で影にはなってはいるものの、人もまばらなこのラウンジでは、このままでは向こうに気付かれるのも時間の問題だ。
「もういいじゃない? 私というものがありながら、どういうことだと乗り込んでやりましょうよ」
「ええっ!?」
グレース様はもう乗り込む気マンマンだった。
ど、どうしよう!?
怯む私をよそに、グレース様はとうとう席を立ってしまった。そして、ニコラス様達が座る席に迷わず向かって行ってしまう。
「グレース様!!」
呼び止めた時には、時すでに遅し。ニコラス様が振り返って、私達の姿を認めた。
「……義姉上、ジーン? 何故ここに?」
いつもありがとうございます!
ゆっくり更新ですが、なぜかじわじわとブクマが増えていて大変驚いております。既に本編でなくエンディングなので、ご新規さんは見越していないのですが本当にありがたいことです。
さて、大体各キャラ十話前後のお話を予定していたのですが、ニコラス編は少し長くなりそうです。あと二人残ってますが、そちらも場合によっては長くなりそうです。
纏める力がなく申し訳ないですが、もう少しだけお付き合い下されば幸いです。




