03 見えてきた上層部の腐敗
思いも寄らぬ伯父と甥の対面だった。
ハワード宰相は、それでもすぐに事情を察したようだった。
「まさかお前が? お前なのか? 金髪の娘を欲しいと言うのは」
「ええ、まさにその通りです。そして彼女はただの娘ではありませんよ」
ハワード宰相はニコラス様に言われて、食い入るように私を見つめた。
「ま、まさかその娘は聖乙女か!?」
国の要人なら、私の顔くらい知っていて当然だろう。決闘裁判の際にもハワード宰相は臨席していた筈だ。
「彼の国で警備隊の捜査が入り、慌てて最上の上玉だけでもと移送させたが、まさかよりにもよってそれが我が国の至宝、聖乙女本人だとはな」
ハワード宰相は、ソファにどかっと腰を下ろして私を皮肉げに見上げて呟いた。
「そしてお前は聖乙女の護衛をしているのだったな。聖騎士団長の座まで降りて」
「伯父上、なぜこんなことを?」
ニコラス様は特段責めるような口調でもなく、半分呆れたような感じで尋ねた。
それだけ二人の仲は気安いのかもしれなかった。
「私の一存ではない。これはこの国の要職にある者の総意だ」
要職者の総意だって!? それは衝撃の事実だった。
「我が国は複数の大国に挟まれ、いつ攻め込まれてもおかしくない場所にある。アストリアと王家の縁談も破談になり、ますます国の情勢も厳しい。各国のお偉方には妙な趣味の御仁も多くてな。その要望に合わせて人を斡旋しているだけだ」
「人身売買など、まともな人のやる所業ではありませんよ!?」
いつもは穏やかなニコラス様が初めて声を荒げた。こんなに激昂する彼を見たのは初めてのことかもしれない。
「綺麗ごとばかりでは、国を守れないのだ」
だからといって、何の罪もない人を売り買いするなんて、人の道を完全に外れている!
「お前は聖騎士団長というこの国の一番輝かしい場所にいた。清廉潔白なお前に、まさに相応しい場所だ。お前がその年でその地位まで上り詰められたのは、一体誰のお陰だと思っている?」
ニコラス様の実力は誰もが認めるものだ。マクシミリアン王子の信任も篤い。
「伯父上には父上が亡くなった際にも良くしてもらいました。しかし私の地位は私の努力で掴んだもの。伯父上の後押しなど知りません」
「何も知らぬのはお前だけだ」
ニコラス様はこの国の史上最年少で聖騎士団長に抜擢された。士官学校を首席で卒業したその経歴は華々しいものだ。それが実力でなく宰相のコネでの抜擢だったというの?
「とにかく、この事実を知った以上お前も同類だ。聖乙女を闇オークションで落札したのだろう? まさか聖乙女が彼の国で捕まり、闇オークションに出品されてしまったことは想定外だが……さすがに聖乙女を再度オークションにかける訳にもいかぬし、もうその娘はお前の好きにすれば良い」
「言わずもがなそのつもりです」
そう答えたニコラス様の表情は固い。いつもの優雅な微笑みは影を潜め、顔色は青ざめていた。
「陛下や殿下両名はこのことをご存知でない。もし、このこと公にでもしたら、私だけでなく、お前もお前の兄も破綻すると思え」
それはもしかして脅し!?
ニコラス様は相変わらず青ざめたまま、唇を噛み締めていた。
「とにかく彼女は連れて帰ります」
ニコラス様はそう宣言して、私の手を引いて部屋を後にした。
玄関を出た所で馬車が横付けに用意してあり、それに乗るように促された。
「家に帰ろう」
その一言だけ彼は言って、車中でもずっと厳しい表情を浮かべて押し黙ったままだった。
彼の中で何か葛藤があるに違いなかった。
そして、しばらくぶりのカーライル家の屋敷に無事に帰還した。
「お帰りなさいませ!」
カーライル家の老執事、バーナードさんが出迎えてくれた。とてもお茶目な執事さんで、この屋敷で起きたハプニングは大体彼の仕業だったりした。
「お、お嬢様!?」
「お久しぶりです。お元気でしたか?」
バーナードさんは馬車から降りてきた私の姿を感慨深そうに見ると、その双眸にブワッと涙を溢れさせた。
「お嬢様!! ようやく坊っちゃまをお選びになられたのですか!?」
彼は私がこの屋敷に滞在中、私とニコラス様をどうにかしたくて仕方がない様子だった。私を伴って帰って来たニコラス様に食い気味に詰め寄った。
「お嬢様は坊っちゃまの花嫁になられるのですか!?」
「バーナード、静かにしてくれないか?」
バーナードさんの質問には答えず、それを窘めたニコラス様はそのまま屋敷の中へ入って行ってしまった。慌てて私もその後に続く。
「坊っちゃま!?」
足早にその場を離れてしまった彼は、私を振り返りもしない。あんな事があったからか、いつものニコラス様らしくない行動だった。
「お嬢様、坊っちゃまに一体何が?」
堪り兼ねたバーナードさんが私に尋ねる。
「私の口からは何とも」
ハワード宰相とのことを、私から話すことはさすがに憚られた。
国の上層部で密かに行われていた人身売買に、ニコラス様の母方の伯父であるハワード宰相が加担していただなんて……。
「バーナード、私は兄上に話がある。兄上はおられるか?」
玄関に入った所で立ち止まり、思い出したように彼が言った。
慌て気味のバーナードさんは素早く答えた。
「ええ、お部屋におられます」
「……そうか。ジーンを頼む」
そう言うなり、ニコラス様はまっすぐ兄君の元へ向かってしまった。取り残された私に、バーナードさんが優しく声を掛けてくれた。
「さあ、お嬢様はこちらですよ。まずはお着替えをなさっては?」
さすがにこのオフショルダーの肩がむき出しのワンピースはこの屋敷の住人には相応しくはなさそうだ。
そして以前に私が使っていた部屋に通された。私がいた頃と全く同じだった。
「いつお嬢様が戻っていらしても大丈夫なように、整えておきました」
顔見知りのメイド達も揃っていて、皆嬉しそうに頭を下げてくれた。
「お帰りなさいませ、お嬢様!」
「ただいま」
なんだかホッコリした。この屋敷の人達は皆温かい。
私が用意された服に着替えを済ましたところで、部屋にグレース様がやって来た。
「ジーン、久しぶりね!!」
「グレース様!!」
ニコラス様の兄、ヒューバート様の奥方であられるグレース様にはこの屋敷に滞在中、大変良くして頂いた。
「きっと戻って来ると信じてたわ」
軽く抱擁を交わすと、グレース様が私の顔を覗き込んだ。
「でもどうして、そんな浮かない顔を?」
「えっ?」
やっぱりグレース様には気付かれてしまうのか。
ニコラス様とハワード宰相とのこと。
「何かあったの? ニックが帰って来るなり、あなたを放ってヒューの所へ行ったと」
「私の口からは言えません」
「そう」
私が渋々それだけ言うと、グレース様はそれ以上突っ込んでは聞いては来なかった。
「じゃあ、後でニックとヒューから直接話を聞くとするわ。それより、あなたがここにニックと一緒に帰って来たってことは、ニックと結婚するつもりだと思ってもいいのかしら?」
「私はそのつもりなんですが」
そう答えると、次の拍子に再びグレース様に抱きつかれた。私の首に腕を回して背伸びをしたグレース様が、驚喜の声を上げた。
「本当に? やったわ!!」
まるで少女のように飛び跳ねて喜びを表した。
「あなたが義理の妹になるなんて、最高だわ!!」
でも、まだ肝心なニコラス様本人に話をしていない。そして、例の件でまだニコラス様の立場がどう転ぶか分からない。
真面目で不正を嫌うニコラス様のこと、きっとヒューバート様に今回の事件を表沙汰にするように相談しているに違いなかった。
そうなればあの宰相の口ぶりだと、きっとこのカーライル家もただでは済まないのかもしれない。
「ジーン、どうしたの?」
自然と表情が曇ってしまっていたのか、心配そうにグレース様が見つめていた。
「やっぱり何か良くないことがあったのね。あなた達の結婚を阻害するような、何か重大なことが」
グレース様は察しのいい方だ。それでも私からあの話をする訳にはどうしてもいかない気がした。
「……まあいいわ。あなたにこんな顔をさせるなんて。どっちにしろニックは後でとっちめてやるんだから」
ええ!? それはそれで困るんですけど?
グレース様はプリプリしながら、クローゼットに向かった。ガバッと開けられたクローゼットには、新たに買い足されたのであろうドレスがぎっしり詰まっていた。
「とにかく、その趣味の良くない服を着替えちゃいましょ。うんと綺麗にして、ニックを見返してやりましょ?」




