11 そして聖騎士の僕は死ぬ
しばらくしてニコラス様が戻り、その手には小さなガラス瓶が握られていた。
ガラス瓶の中にば黒い液体が詰まっている。
「マシュー、ワインを」
マシュー王子が、戸棚からワインの瓶を取り出して、グラスにそれを注いだ。
ニコラス様より小瓶を受け取り、マクシミリアン王子が二つのワイングラスにそれを均等に注いでいく。
「これ一瓶で、一人分の致死量なんだ。半分で仮死状態」
マクシミリアン王子は余裕の表情だ。
「仮死状態でいられるのは、ちょうど丸二日。その間に、ユージーンの葬儀まで早急に済ませてしまえ。後のことは任せたぞ」
そう言って、彼はワイングラスを一つ手に持って、奥の部屋へ行ってしまった。
僕も覚悟を決めて、飲むしかないようだ。
心配そうに僕を見つめる、マシュー王子とニコラス様。
長椅子に腰掛けて、僕はワイングラスを一気に呷った。
瞬間的に気を失って、僕の意識は深淵に飲まれていった。
「あ、気が付いた!」
ゆっくり目を開けると、目の前にアレックスの心配そうな顔。
体の強張りが酷く、頭痛がして体の自由が効かない。
「うう、体が動かない、ここは?」
「王城内の君の部屋だ。しばらくはまだ体は動かせないよ」
アレックスは、僕のベッドの傍でずっと付き添っていたようだった。沢山の本が積み重なっている。
「なんて無茶なことを。でも、マックス兄様に、有無を言わさず飲まされる羽目になったんだろ?」
「うん、そういえば殿下は?」
同じ薬を飲んだ筈だ。
彼もまだ動けないのか?
「ここにいるよ」
衝立の向こうから声がして、マクシミリアン王子が姿を現した。既にピンピンしている。なんでだ!?
「子供の頃から、体に毒を少しずつ慣らしてきているから。耐性が高いんだよ」
なるほど。だから、あんなに余裕綽々で。
って、それ暗殺に備えてとか? 怖っ!!
「兄様もひどいよ、ジーンを殺してしまうなんて」
アレックス!? 言葉遣いが?
「そうでもしないと、あの娘はしつこくジーンに付きまとう。侯爵家の令嬢だから、そうそう罪にも問えないし、私の立場も察してくれ」
「僕はもう遠慮しないよ。婚約破棄されたのを根に持ってるんだ。絶対に兄様達に取られたくない」
「選ぶのは彼女だ。私達は彼女の意思に従うだけだよ」
「ちょ、ちょっと待って? アレックス、僕って?」
彼はキョトンと、何でもないかのように答えた。
「マックス兄様は、僕が男だってとっくに知ってるけど?」
「はあ?」
いつからだ?
王子はふふっと鼻で笑った。
「アレックスが事故に遭った時に既に知っていたよ。病院でずっと付き添ったのはユーエンと私だったのだから」
「えー!?」
「身内の秘密だからね。まあ、伏せていた訳だよ」
ああ、だから性別が変わった話をした時、あんなにあっさり納得したんた。既に前例を知っていたから。
「さて、話は変わるが、君はユージーンとしては死んだことになった。葬儀も既に済んだ」
「本当ですか!? 父や兄にはなんと?」
「もちろん、ご家族には本当のことを話してあるよ。充分な退職金と見舞い金も出したから」
「う、すみません」
王子はうちの家計を気にしてくれていたんだ。
「なんてったって、聖乙女を排出した家なんだよ? 経済的に困窮させる訳にもいかない。国としてきちんと補助金も出すから、今後の心配は無用だ」
「重ね重ね申し訳ありません。本当に助かります」
彼はちょっと笑って言った。
「未来の王妃の為ならば、お安い御用と言っておくかな」
「兄様!! それは許さないよ!!」
僕は、そんな二人のやりとりを見ながら、呆然と男としての人生が完全に終わってしまったことにショックを受けていた。
これからは、僕ではなく、私として生きなければ。
ユージーン・フォーサイスではなく、ユージェニー・フォーサイスとして。
「ジーン、どうしたの?」
アレックスが、涙を拭ってくれた。
いつのまにか、泣いていたようだ。
「男としての人生が終わってしまったんだ。君は家族を養う為に今まで必死で頑張ってきたんだ。今はゆっくり休むといい」
王子の言葉が、心に染みた。
「行こう、アレックス、彼女を一人にしてあげよう」
「うん」
二人が部屋から出て行って、私は思い切り泣いた。
泣いて泣き続けて、涙が枯れて出なくなった頃、部屋に誰かが入ってくるのが分かった。
「ジーン」
懐かしい声だった。
子供の頃から、いつも愛称で私を呼んでくれた人。
「兄上」
金色の髪、青い瞳、自分とよく似た風貌がそこに静かに佇んでいた。
「すまない、今までお前にばかり負担をかけてしまって」
「もう、これからは兄上がちゃんとして下さい」
体を起こすと、兄上が支えてくれた。
「先日、領地の採石場を再調査したところ、金鉱脈を見つけたんだ。これからは少しは楽になるよ」
「何だって!?」
兄上が、ずっと領地内の地質を調査していたのって、鉱脈を掘り当てる為?
「見つからなかったら、本当にタダ飯食いと罵られるところだったけど、ちゃんと一山当てたから」
そう言って、兄上は爽やかに笑う。
のんきだなぁ。兄上は本当にのんきだ。
「今まで苦労させて、本当にすまなかった。これからは家のことは僕に任せて欲しい」
そこで私は思い出す。あのメイドとは一体どうなったのか。
「兄上、あのメイドは?」
「メイド?」
兄上は思い当たらないらしく、首を傾げてしばらく考え込んでいた。もちろん、すっとぼけているようにも見えない。
「誰のことだ?」
私は深い溜め息をついた。兄上はいつもこうだ。
「私が大公家に移る少し前の話です。兄上の部屋で、抱き合ってたじゃないですか?」
「うーん?」
うちのメイドは常時雇用ではない。通いで来て貰っているので、常に同じ人間ではないのだ。だから、面識のないメイドが、屋敷の中にいたりするのが日常茶飯事なのだけど。
まあ、兄上は誰彼構わず、すぐ人と仲良くなれる性質なのたが。
だから、兄上の反応も至極真っ当とも言えた。
本当に覚えていない可能性が高い。
「あ、あの時の子かな? なんか実家のお母さんが亡くなったとかで」
「…………兄上、もういいです」
目の前で突然泣かれて、慰めていただけだろう。
どうせそんなことだろうと思った。
いや、たぶん相手は下心があったんだろうが。
あの時はさすがに手を出したのかな? と一瞬思ったものだが、やっぱり兄上は兄上だった。
兄上は浮き名は流しても、決してタラシではない。
ただ、究極に鈍い!! だけなのだ。
兄上ほど、鈍感な人を私は見たことがない。
色恋沙汰の渦中にいながら、全く本人は意に介さないのだ。
「マヌエル来てたのか?」
突然響いた第三者の声、マクシミリアン王子だ。
「これはマックス殿下、お久しぶりです」
兄上は立ち上がって王子にお辞儀をした。
「兄妹水入らずのところ、邪魔してしまったか?」
「そんなことは。気になさらないで下さい」
そういえば二人は同級生だった。いわゆるご学友というやつだ。
「まさか、君の妹君が聖乙女になるとはね」
「ずっと弟だったので、まだ戸惑っていますが」
まあ、兄上はそうだろう。
うちは仲の良い兄弟だったし。
「私も夫候補なんだ。ひょっとすると君と義理の兄弟になれるかもな」
王子はどこまで本気なんだか。この人は飄々としてて掴み所がないんだよな。
仮死状態になる薬だって、私が飲むのを躊躇ったから、あんなことにしたみたいだし。
いい人には違いないんだけど。この人を選んでしまったら、王太子妃、そしていずれは王妃ということになってしまう。
それは嫌だな、勘弁だなぁ。
私はただ平穏な生活を送りたいのに、全然平穏じゃなくなるじゃないか。
「ジーンに王太子妃なんて、とても無理ですよ。冗談でもあり得ません」
兄上が笑いながら言う。
「そんなことはない。彼女はとても勤勉で真面目だ。きっと務まるよ」
王子も負けずに言い返す。
ん? なんだか不穏な空気が流れてる?
二人とも相変わらず笑顔だけど、兄上の目が笑ってない。
兄上? なんだかいつもの兄上と違う?
「どっちにしろ、選ぶのは彼女だから。私達はせいぜい彼女にアピールするだけ。夫に選んでくれとね」
「そうですか」
二人はひょっとして、あまり仲が良くないのかな?
なんとなくだけど、そう感じた。
「邪魔して悪かったね。彼女の様子が気になったから、見にきただけなんだ。今日はまだゆっくり休むといい」
「ありがとうございました」
そう言って王子は部屋を出て行った。
兄上と二人残されて、部屋の空気がやっと元に戻った気がした。
「兄上、ひょっとして、王子のことお嫌いですか?」
「マックス殿下を? そんなことはないよ」
兄上はしきりに自分の前髪を気にしている。
この仕草をする時はたいがい落ち着かない時だ。
やっぱり、今日の兄上は変だ。
「ジーン、無理に嫁になんか行かなくてもいいんだよ」
「へ?」
「聖乙女になったからって、突然、夫を選べだなんて横暴だ。お前が平穏な生活を一番に望んでるのを僕はよく知ってる」
私は兄上の袖を掴んで、自分と同じ色の目をまっすぐに見つめた。
「兄上、どうしたんですか? やっぱり今日の兄上はちょっと変ですよ?」
「ずっと、家にいたっていいんだ」
いつになく真剣な眼差しだ。
兄上はやっぱりイケメンだなぁ。自分とよく似てるけど、兄上の方がよりイケメンだと思う。
兄上の方が、おでこの形も綺麗だし、鼻も高いし、目尻のほくろが妙な色気を出してるし。
惚れ惚れ見ていると、兄上がなぜか突然顔を赤らめた。
「そんなに人の顔を見るな」
「?」
そこに響く、ドアのノックの音。
返事をすると、アレックスが部屋に入ってきた。
「さっきマックス兄様が来たって?」
車椅子をユーエンに押してもらいながら、こちらへ近付いてくる。
「あ、ジーンのお兄さん? 初めまして、アレクシアです。アレックスと呼んで下さい。こっちは執事のユーエンです」
アレックスとユーエンはそれぞれ兄上に軽く会釈した。
「これは公女様、いや公子様か。ジーンの兄のマヌエルです」
私はギョッとした。公子様って、兄上、アレックスが男の子だと知ってる!?
兄上は、私の様子に首を傾げた。
「どうした?」
「兄上はアレックスが男だと、知っていたのですか?」
私の問いに答えたのは、兄上でなく、アレックス本人だった。
「婚約破棄された時に、一応、お兄さんには一通り事情は話したんだ」
「なるほど」
アレックスは私の顔を見て、ホッとした様子だった。
「良かった。少し元気が出たみたいで」
「さっきはごめん」
「いいんだよ、やっぱりお兄さんが来てくれて良かったね」
アレックスはやっぱりいい子だな。
ゲームであんなに悪事を働いた悪役令嬢とは全くの別人だ。
ま、もちろん性別すら違うんだけど。
「とにかく、体調を戻すことだけ考えて。これからのことは後でゆっくり考えればいいって、マックス兄様も言ってたから」
「分かった」




