02 なぜか駆け落ちという流れに
「……痛い。そんな全力で殴ることないだろ?」
アレックスはコブになった頭を押さえながら、涙目で抗議した。
私の方こそ、被害者だわ!!
「貧乳で悪かったな!! これでも多少は大きくなったんだから」
女に戻ってから、徐々に胸が大きくはなってきているけれど、それでも貧乳の域を出なかった。
「え、そうなの?」
「そうなの!」
アレックスはじーっと私の胸を凝視しながら言った。
「……大丈夫。僕、ちっぱいでも好きだから。後、毎日揉めば大きくなるよ、きっと」
「そういう問題じゃない!!」
「胸の他に特に体の変化、感じる?」
真面目な話、体の変化より心の変化かもしれない。
男の体の時は、少なくとも恋愛対象は女しかあり得なかった。
ヴィヴィとずっと付き合ってたし、色々あって別れてしまったけど、彼女のことはちゃんと好きだった。
でも今は、自分でも驚くべき事態だった。夫候補達に囲まれて、ちゃんと女の子をしている。最近は女の格好をするのもすっかり抵抗がなくなってしまった。
脳にも性別があって、体の変化と共に脳の性別も切り変わってしまったかのようだった。
まるで男だった頃が、全部夢だったみたいな感覚すら覚える。
「体よりも心だね。私、もうすっかり女かもしれない」
「体の変化と同時に、心も変わった感じするよね。僕もそうだった」
アレックスもやっぱりそうなんだ。
「体の変化は他にないの? どこか具合が悪いとか?」
「えっ? ああ、今の所は」
寿命のことをうるさく言われている割には、特に体の不調は感じられない。早く子供を作れだとか、間に合わないだとか言われても、いまいちピンとこないし。
「……良かった。君が具合が悪いとか言い出したら、心配でたまらないからさ」
アレックスはやっぱりいい子だ。何だかんだでいつも私のことを気遣ってくれる。
「私、このまま何もしなかったら本当に死ぬのかなぁ?」
「ラファエルもクロエも、そう言うんでしょ?」
「うん」
アレックスは目を閉じて、何やら考え込んだ。
「彼らの言うことに間違いはないと思うよ。今は平気でも、突然具合が悪くなる可能性だってある。そうなってからじゃ全てが遅いんだよ?」
「……そうだね」
クロエ様に貰ったブレスレットのお陰で多少は猶予が延びたけれど、根本的な問題が解決した訳ではない。
「このブレスレットのお陰で、当面、三ヶ月は大丈夫だって言われたけれど。やっぱり早く決めるに越したことはないよね」
「その時間を少しだけ僕にくれないか」
「え?」
「そのくらい、僕にだって権利はあると思う。君を聖乙女の役目から遠ざける為に、僕は長年君の犠牲になったのだから」
それを言われてしまうと、私は何も言えなかった。
私が直接やったことではないけれど、原因を作ったのは間違いなく私だ。
「そのことに関しては本当にごめん。弁解の余地もないよ」
頭を下げると、アレックスは慌てて言う。
「別に君に謝って貰おうと思って言った訳じゃないんだ。そのことはいいんだ。君の役に立てたことは素直に嬉しいから。……あぁ、ごめん、ちょっと失敗した」
少し気まずい雰囲気になって、私もアレックスもなかなか二の句が継げない。
ようやくアレックスが沈黙を破って口を開いた。
「僕、近頃よく眠れてないんだ。成長痛が酷くてね。それでちょっとイラついてたかも」
そういえば、毎日会ってるから気付かなかったけれど、アレックスは身長が少し伸びたみたいだ。
アレックスに身長を抜かれるなんて、それはそれで凄いことかもしれない。いつかそんな日がくるのかな?
お兄さんのユーエンは、私の周りじゃ一番背が高いし、アレックスだってきっともっと大きくなるかもしれない。
「君の弱みに付け込むような真似をして、卑怯だと思う。でも、本気なんだ。君の気持ちをきっと僕に向かせる」
リハビリを頑張って歩けるようになり、今度は私の気持ちまで自分に向かせると?
「婚約破棄してから、君とちゃんと向き合えてなかった。僕はいつも君の協力者で相談相手だったから。そしてやっと夫候補になれたと思ったら、君の周りにはお兄さん達がいて付け入る隙がない。僕は完全に出遅れてる感があるよね」
アレックスは溜め息をついて私から目を逸らした。
「僕だって本当は分かってるよ。君の恋愛対象じゃないってことくらい」
「……アレックス」
私はアレックスの手を取った。
こちらを向いた彼は、目つきが今までとはまるで違う。綺麗な紅い瞳には、固い決意の色が浮かんでいた。
私の手に自分の手を重ねつつ、彼は言う。
「一ヶ月だけ、僕と一緒に暮らして欲しい。二人だけで」
「一ヶ月だけ? 二人で?」
「その一ヶ月で君の心を僕に向かせられなかったら、きっぱり諦めるから」
アレックスは本気だ。私の僅かに残された時間、でも彼の人生を私のせいで歪めたのは間違いない。
「もちろん、その一ヶ月の間に僕以外の誰かに心が決まってしまったら、その時は止めはしない」
「いいよ、分かった」
問題は、許可が降りるかどうかだ。
私にはニコラス様が付いているし、アレックスにはユーエンが付いている。一応、アレックスは公子の身分だし、護衛もなしで二人だけで生活するなんて、実際は難しい話なのかもしれない。
「二人だけでは、許されないんじゃ?」
「駆け落ちするしかないだろうね」
「ええっ!?」
理知的なアレックスにしては、珍しい発言だった。
まさか本気なの?
「お兄さんや、マックス兄様が許す筈がないよ。だから、二人で姿を消すしかない。さて、どこへ行こうか?」
にぱっと笑うアレックスは、あっけらかんとしている。
駆け落ちか。──それもいいかもしれない。
真面目一辺倒だった私が、よりにもよってアレックスと駆け落ちするなんて、誰も思わないだろう。
兄上がどんな顔をするかは見ものだけど、ニコラス様を心配させてしまうのは、それだけは胸が痛む。
マクシミリアン王子はきっと呆れつつも、あらゆる手を尽くして私を捜し出すに違いない。
この国にいる限り、どこに行っても絶対に見つかってしまうだろう。逃げるなら、王子の手の及ばない国外しかない。
「話が決まったら、今夜のうちにここを発つ」
「ええっ!?」
「今夜は絶好のチャンスだよ。ゲートの使い方は、さっきおばさん達を見送る時に覚えた」
ちゃっかりしてる!!
「お金は? 銀行で下ろしたりしたら、そこから足がついちゃわない?」
多少の現金は持ってるけれど、とても一ヶ月生活するだけの現金は持ち合わせていない。
「お金なら持ってるよ。換金出来る金目の物も持ってるし」
さすが、大公家の公子様。
ってか、前もって準備してたってこと?
「荷物を最低限持って出よう」
アレックスに急かされて、心の準備もままならないまま、手を引かれて隠れ家を後にした。




