10 悪役令嬢が本気を出してきた
アレックスが突然学院に入学して、学院内は軽く騒ぎになった。婚約破棄されたばかりの公女様。ある意味、皆の注目の的だった。
幸い、スターリングとの縁談話は彼が僕の夫候補になったことで頓挫し、表沙汰にはならなかった。
「一年のSクラスに、公女様が転入されたのだけど、一体どういうつもりなのかしらね」
「ユージーン様と婚約破棄でしょう? よほど公女様に何か問題があったとしか」
「ほら、常に一緒にいる執事が、愛人だって噂よ? すんごいイケメンよね。本当なのかしら」
いつも、噂話に花を咲かせるクラスメイト達。
またその話か。僕はさすがに黙ってられなくなって、彼女達に口を挟んだ。
「それは嘘です。彼はそんなんじゃありません」
「ユージェニー様? そういえばあなたはユージーン様の親戚でしたわね。何かご存知ですの?」
その前に、ユーエンは僕の夫候補なんだけど、一応。
「アレックス公女の執事のユーエンは、私の夫候補の一人。そしてユージーンと公女様の婚約破棄は、公女様に何か問題があった訳じゃありません。悪いのはユージーンの方なのです」
アレックスが悪く言われるくらいなら、僕はいくらでも悪者になってやる。
「まあ、詳しく教えて下さいます?」
こいつに話しとけば、学院中に広まるかな。
僕はこれ見よがしに、ユージーンが昔、妬みからいじめを受けていた彼女を捨てたこと、あることないこと吹聴した。あとで自分の首が締まるとしても、全然かまわなかった。
「足の悪い公女を捨てたと? どういう神経なのかしら」
このまま僕の評価もだだ下がれば、色々楽になる。
ついでにクラリッサも目を覚ますといい。
しかし、彼女は全然懲りていなかった。
週末、その日は待ちに待った聖騎士の仕事をすることを許された日。人目を避ける為、まだ夜が開ける前からニコラス様が迎えに来た。
「おはようございます」
「さすがに朝早過ぎたかな? でも女性の姿で仕事場に行く訳にもいかないしね」
僕達は馬で王城へ向かうつもりだった。寮の裏にある厩舎に向かおうとして、ニコラス様があっと声を上げた。
「この時間では、厩舎の鍵が開いてないかもしれない。ちょっと取ってくるから、少し待っててくれ」
「分かりました」
その場でニコラス様を待つ。まだ空は薄暗く、少し肌寒い。
朝の静けさを堪能しつつ、僕は軽く深呼吸をした。
大きく息を吐いて、目を開けると、なんと目の前に見知った顔が!
「げっ!」
僕の前に立ちはだかり、そこに立っていたのはクラリッサだ。
さすがに仕事に行くので男装の僕は、いわゆるユージーンの姿だ。
「やっぱり!! ユージーン様ですわね?」
どうしてこんな朝早くから、こんなところに?
「私の睨んだ通りだわ、聖乙女ユージェニーと、あなたはただの親戚という仲ではないでしょう?」
やっぱり、ニコラス様の言っていた通りだ。
ユージーンとユージェニーがただならぬ仲だと勘違いしている。
「聖乙女に、あなたとの仲を取り持って欲しいとお願いしたら、けんもほろろに断られましたの。やっぱり二人は付き合ってらしたのね!!」
ちょ、ちょっと待った!! どうしたらそこまで話が飛ぶんだ?
「ユージェニーの部屋からあなたが出てきたのを見ましたの。こんな時間に人目を避けてコソコソ帰られるなんて、なんてこと!!」
「いや、誤解だよ! ニコラス様だって一緒だったろ?」
「ニコラス様はあなたのお仲間で、彼女の護衛じゃないですか? どうせ密会する手引きでもしてもらったんじゃないですか? さあ、どう説明してくださるのかしら?」
どう解釈したら、そうなるんだ?
誰か助けてくれ。どうやったら自分同士で付き合えるんだ? 誰か教えてくれ!!
でも、僕達が同一人物だとここで喋る訳にもいかなかった。
この秘密は、出来ることならずっと隠すべき事実。
「どちらにしろ、君には関係のないことだ」
もう、開き直るしかない。
「なぜそこまで、君に問い詰められる必要が? 仮に僕が聖乙女と付き合っていても、君に咎められる理由なんかない筈だ。君は僕の恋人でもなんでもないのだから」
なるべく冷たく言い放って、僕は彼女の横を通り過ぎようとした。
「大声を出しますわよ」
すれ違い様、彼女が言った。
彼女は、自分のワンピースの胸元を、自らの手で引き裂いた。
「!!」
「あなたに襲われたと、ここで大声を出してもいいんです」
「何をバカな」
立ち去るのを躊躇する僕の目の前で、彼女は大声を出した。
「きゃあああああああっ!!」
やりやがった!!
彼女はそのままそこにしゃがみ込んで、上目遣いで僕をチラリと見やった。
僕はそのまま、それを冷めた目で見返した。
「その冷たい視線がたまらない」
彼女はうっとりした表情で呟いた。
こいつドMか!?
すぐさま警備の兵達がどこからともなく現れて、僕の両腕を拘束した。
もう、好きにすればいいさ。僕はどうせ何もしていない。
彼女は被害者ぶって、涙を浮かべている。
僕に嫌われてまで、嵌めようとするなんて。
ある意味すごい根性、さすがは悪役令嬢と言ったところか。
男の姿のままでは、弁解も許されず、僕はそのまま連行されて、王城敷地内の地下牢に入れられてしまった。
ほどなくして、ニコラス様が現れた。
「どういうこと?」
「どういうことも何も、彼女に嵌められました」
ことの顛末を彼に説明した。
彼は僕の罪状を確かめ、納得がいったようだった。
「手段を選ばずか。だが、ちょっと厄介なことになったよ」
ニコラス様が言うには、相手方は示談に応じるそうだが、それには僕との婚約を条件に求めるという無茶振りをしてきたのだ。ようは責任を取れ、と。
「さて、どうする?」
僕はすかさず叫んだ。
「どうするも何も、結婚なんか出来ないでしょう?」
ニコラス様が深い溜め息をついた。
「マクシミリアン殿下に指示を仰ぐか。いつまでも聖乙女を地下牢に閉じ込めておく訳にもいかないからね」
そう言って、彼は王子の元へ。
僕は一人取り残されて、その場にしゃがみ込んだ。
僕はただ、普通に仕事がしたいだけなのに。
「兄上」
兄上は元気かなぁ? もう随分と会ってない気がした。
しかし、そんな落ち込む僕の前に次に現れたのは、兄上でもなく、ニコラス様でもなく、マクシミリアン王子でもなかった。
「ジーン!!」
息を切らして駆けつけたのは、マシュー王子だった。
「殿下」
「一体どういうことなんだ? なぜ君がこんなことに?」
マシュー王子は、有無を言わさず牢屋番に鍵を開けさせた。
「!!」
「こんなところに君を置いていく訳にはいかない」
僕の手を引いて、牢から連れ出そうとする。
牢屋番が慌てて引き留めようとした。
「殿下!! ダメですよ、勝手に囚人を連れ出したら」
「うるさい黙れ! 彼女は私の大切な人だ。こんな場所に一秒たりとして、居ていい人間ではない」
そのまま僕の手を引いて、強引にその場から連れ出した。
「殿下!!」
マシュー王子は僕の声に足を止めず、真っ先に例の離れの屋敷へ向かった。
またあそこへ? 連れ込まれてしまう?
「殿下、待って、話を聞いて下さい!」
「結婚のOKの返事なら、いくらでも聞く」
ダメだこりゃ。
結局、離れに連れ込まれて、居間のソファに座らされた。
「ここなら、安全だ」
「でも、勝手に牢を出たりしたら、後で大変なことになりませんか?」
マシュー王子はどこ吹く風だ。
「君は聖乙女だ。この国で君を咎められる者など、どこにもいない筈だ」
「でも、僕は聖騎士ユージーンとして、逮捕されたんです。聖乙女とはさすがに言えませんよ」
僕の言葉に、マシュー王子は唇を噛み締めて黙り込んでしまった。
き、気まずい!!
でも、こんなに真剣になって、真っ先に助けに来てくれた王子は、やり方はどうであれ、結構いい人なのかもしれなかった。
なんか苦手にしててごめんなさい!
心の中で謝っておこう。
「兄上が来た」
窓辺に立って、外の庭園を眺めていたマシュー王子がふと呟いた。
マクシミリアン王子がいらしたのか?
僕も立ち上がって、窓から外を見る。
庭園を抜けて、こちらに向かって来るマクシミリアン王子とニコラス様の姿。
「僕、行きますね」
僕はそのまま、離れを出ようとする。
「待った」
マシュー王子に腕を掴まれ、引き留められる。
「もう、私を選べ。結婚してしまえば、もうこんな面倒に巻き込まれることもなくなるぞ?」
確かに、誰かと結婚さえしてしまえば、もう横恋慕されたり、所構わず迫られたりすることもなくなるんだろうか。
よくよく考えたら、主に迫って来る人、この人じゃん!!
僕は王子の顔をまじまじと見つめた。
僕とタイプは違えど、本当に綺麗な顔をしている。
肩にかかる長めのアッシュブロンドに水色の瞳、文句なしのイケメンだ。
マクシミリアン王子と違って、第二王子だし、適当な相手といえば失礼だけど、一応の貴族の令嬢として結婚相手としては最高の相手とも言える。
彼は思い出したように、唐突に呟いた。
「明日どこへ行く? 約束してただろ?」
げっ、覚えてたの?
デートの約束、有効でしたか。でも、その前にこの問題を片付けない限り、僕は自由の身にはなれません。
「ユージーン」
ふと呼ばれて振り返る。
マクシミリアン王子とニコラス様が連れ立って部屋に入ってきた。イケメン二人揃うとすごい迫力だ。
「勝手なことをするな、マシュー」
「彼女を牢に入れるなんて、兄上こそどうかしている」
何だか二人の間が険悪だ。
ニコラス様と僕は少し引き気味に様子を見守るしかない。
「彼女ではなく、彼としてだ。少々厄介なことになってな」
マシュー王子は、クラリッサと僕のいざこざを詳しく知らないで来たみたいだ。
ニコラス様が王子に簡単に説明した。
「何だと!? そんなの有り得ないだろ?」
「そうです。間違いなく、彼女の狂言ですね」
僕は居た堪れず、俯く。
「そこまでして、彼女を? だが、彼女が女だと知らないんだろ?」
「どうやら、ユージーンがまだ王立学院に在籍していた頃より、想いを寄せていたようで。早朝に寮の部屋を出ようとしたのが仇となりました。側を離れてしまった私の失態です」
ニコラス様は申し訳なさそうに頭を下げる。
マシュー王子は憤りのあまり、壁を拳で殴りつけた。
「なんて、女だ!!」
「問題は、相手がユージーンとの婚約を条件に示談を持ち掛けてきていることだ。彼に責任を取らせるつもりなんだ」
マクシミリアン王子は冷静に語った。
この状況を打開する為に、何か策があるのだろうか?
「そんなの、婚約なんか出来る訳ないだろう?」
「もちろんそうだ。だから──」
マクシミリアン王子は、僕に視線を移すと、衝撃の言葉を口にした。
「ユージーンには死んでもらうことにした」
「!!!!!!」
僕達三人とも、これには仰天した。
しばらく驚愕に震え、皆、言葉が出ない。
「ユージーン、君は冤罪のショックのあまり、自害するんだ」
「嫌ですよ、さすがに殺さないで下さい!」
マクシミリアン王子は、僕の返事に、珍しく声を立てて笑った。
「もちろん、本当に死ぬ訳じゃない。だが、クラリッサ嬢のやったことは悪質過ぎる。一度、痛い目に遭わさなければ」
一体、王子は何を企んでらっしゃるのか?
皆目僕には検討が付かなかった。
「ニコラス、あの薬を用意出来るか?」
ニコラス様は、あの薬とだけで、ピンときたようだった。
「可能です」
「では、用意を」
「分かりました」
ニコラス様は、王子達にお辞儀すると、いち早く部屋を後にした。
マシュー王子も顔色を変えた。僕の顔を恐る恐る見つめる。
彼の様子で、用意されようとする薬が、危険なものだと僕でも察しがついた。
「兄上、あれは危険だ」
「無論、承知の上だ」
マシュー王子が、僕を抱き寄せた。
「ダメだ、彼女にもしものことがあったら」
「大丈夫だ、マシュー」
マクシミリアン王子が、溜め息混じりに言い放つ。
「彼女にもしものことがあれば、私が責任を取る」
「彼女が死んだら元も子もない。兄上が責任を取ったところでどうにもならないだろう!?」
「いや、彼女にもしものことがあれば、私も生きてはいないということさ」
「まさか!? 兄上も一緒に?」
つまり、マクシミリアン王子も薬を飲むという訳だ。
そこまでする必要が?
仮にもこの国の王太子が、僕の為に命を賭けるなんて!!
僕は呆然とした。ここまでされたら、嫌とは言えなくなるじゃないか。




