第3話雨の日の再会
人の魂はこの現世に生きていたあかしだ。
例え肉体が荼毘にふされようとも、魂は人々の中に思い出としてその記憶を蘇させる。故人の姿を……
明が事故にあったあの朝。僕はその現場にいた。
横断歩道を渡っていた明に大型ダンプが突っ込んできた。
轟音と共に流れ出すあの小さい体から赤い血が散らばっていた。
小学5年にしては少しあどけない感じの子だった。
正確は明るくて、友達も多かった。
あの時の明の記憶は今はそれくらいしか思い出せない。
ただ、誰とも関わらなかった僕に声をかけてくれるのも、明だったことしか覚えていない。
皆が見守る中、明の躰は白い煙と共に空に舞い上がった。誰しもがその早すぎる明の死に涙を流す。
だが……僕の手には未練がしっかりと手を差し伸べ、僕の手を力強く掴んでいた。その僕の手を掴んでいたのは明だった。
自分が荼毘にふされているその光景を僕と一緒に、煙突から出る流れる煙を僕ら二人は黙って見ていた。
「私、死んじゃったんだ」
「……ああ、そうだ」
「そっかぁ……」
「お前は行かなくていいのか?」
明は黙っていた。そして僕の手をさらに強く握り
「不思議だね。冬也君て私の事見えてるし、触れる事も出来てる。冬也君は怖くないの私の事?」
「こわくなんかねぇよ。お前、未練があるんだろ。だから冥途に行きたくない」
「……うん」
それからだった。明の未練(霊)と共に付き合いだしたのは……
高校を卒業して東京の大学に合格が決まった時、明は
「行っちゃうんだ。でも、また逢えるよね……いつか」
そう一言だけ言い残し姿を消した。
あれから10年俺はこの町に戻る事は無かった。
「うふふ……。ん―……。」
「お前さっきから何俺の事見てんだ」
「だって、冬也だよ。もう10年ぶりなんだもの。黙って見ていて減るもんじゃないでしょ」
「懐かしんじゃろ、なにせ10年ぶりじゃかろの。明ちゃんは冬也に会いたかったんじゃかろ。少しはサービスしてやらんかこの気のきかん奴めが」
「ハイハイ、どうぞご勝手に」
冷蔵庫からビール缶を取り出しプルタブを空け、一口のどに流し込む。
それをじっと明は見つめて
「私も飲みたいなぁ―」と呟く
「あのなぁ、霊がビール飲める訳ねぇだろ」
「ほう、お前知らんかったのか? お前が口移してやれば明ちゃんも飲めるんじゃがの」
意味ありげに目を細めておばばが言う。
「く、口移し!」
「ほんと! 私も飲めるの? ビールって言うのが……でも、それって憑依じゃない?」
「憑依なもんか。冬也はもとから霊に触れる事が出るんじゃ。出来ん事じゃなかろ」
オイオイ、いくら明が霊だと言っても……そのなんだ、つまりはキスするって事……いや、それ以上の事か。
ふと明の顔を見るとすでに目が潤んでいた。いつでもOK! なんて表情するんじゃねぇ……
「……ど、どうしても飲みたいか?」
「うん、どうしても、飲みたい」
し、仕方がねぇな……
ビールを一口口に含んでそっと明の唇に触れゆっくりと口の中のビールを流し込む。
ごく、ごく。とのどを鳴らし自分の口の中に送り込まれるビールを飲み込んで行く。何となく物凄くエロイ……これは物凄くやばいかもしれん。
口の中に送り込んだビールを飲み干すと
「ぷはぁ―。苦い! 苦いけど美味しい」
「美味しいってお前飲んだ事……ないよな。確か……」
「ないよ。だって私死んだの小5の時だよ。そんな時からビールなんか飲んでいたら大変じゃない。未成年もいいところよ」
「だよな」
「あーなんだか気持ちよくなってきた。ねぇ、冬也もっと頂戴。さ、さあ、早く飲ませてよ」
「お、お前酒癖わり―……かもしんねぇ。し、仕方ねぇなぁ、お前に飲ませるためにやってんだからな。勘違いすんなよな……」
「お前らいっそのこと憑依したらどうなんじゃ。お互い一つの躰になれるぞ」
おばばはニタニタしながら言う。
明との憑依。実はもう何年も此奴とこういう付き合いをしているが、一度も憑依はされたことはない。
霊との憑依。それは二つの魂が重なり合う事。
憑依をすれば各々の心の中にあるすべてが響き合う。
明は俺に憑依は求めない。それはなぜかは知らないが俺も明との憑依は求めない。それは……俺の心の中にある明に対する想いを知られたくないからだ。
前に一度憑依しそうになったことがあった。
だが、明はそれを拒んだ。明にも俺には知られたくない未練があるんだと、その時俺は感じた。
その明の未練。俺はまだそれに触れる事も……触れる事を恐れている。
未練を解消させれば明は冥途に向かわなければいけない。
冥途に向かう。その扉を開け、あっちの世界に行ってしまえば、明とはもう二度と逢えなくなってしまう。
10年間、俺がこの町に戻って来なかったのは……明への想いを断ち切りたかったからかもしれない。だが、俺はまたこの町に戻って来た。
東京での暮らしに疲れた……それもある。しかし本当は、本当の俺のこの想いはそして今ここにいる訳は。
俺の心が、明の未練を呼んでいたのかもしれない。
「お――い、冬也。きゃははは……もっとビールほしい」
酔っぱらった霊……正直言おう。本当に酒に酔った幽霊をこの目で見るのは初めてだ。それが明だというのが何ともなまめかしい。
霊であありながら酒に酔ってその顔は真っ赤になっている。
霊、普通誰がどうしてそう決めつけたかは分からないが、どうしても暗い陰湿なイメージと血色の悪さをイメージさせてしまうが実際には、生きているこの現世にいる人間と見た目は何ら変わりはない。
たとえどんなに残虐な最後を送ったにせよ、未練(霊)となった躰は綺麗だ。
それが誰にも見えないだけ……なんだ。そう誰にも……明は今俺だけの存在になっている。その未練が……
なんだかんだでビール缶も10本目になるとさすがに俺も明も酔いつぶれた。
二人で、手を繋ぎ畳の上で大の字になって天井を見つめる。
「ねぇ冬也、覚えている? 初めて霊になって冬也と出会った時の事」
「ああ、今でも覚えている」
「そう、あの時……私とても寂しかったんだ。誰もいなくて、誰も私が傍にいる事知らなくて。冬也の姿見てそっと手に触れたら、冬也、私の手握ってくれた。物凄く嬉しかった。冬也には私の事見えているんだ。そしてしっかりと私の手を握ってくれる事ができるんだ 、安心した。不安が、死んだことの悲しみじゃなくて私が独りぼっちになってしまった悲しみが、あの時少しずつなくなっていくのを感じたんだ」
「そうか……お前、あの時悲しい顔していたもんな」
「冬也のおかげよ。私ずっと寂しくなかったのは……でも、この10年間は本当は寂しかった」
返す言葉が見つからない。俺の想いを今ここで、酒の力で言う事は出来ない。もし、本当の気持ちを俺が明に、明に言ってしまえば……明の未練。
明の未練を、俺は解消させたくない。
「それはそうと、妻築城さんの未練どうするの?」
「まだ分かんねぇ。とりあえずその彼氏とやらに一度会って見ねぇと何とも出来ねぇ。それに、あの怨念化したあの元カレの死念、あれは厄介だ。もしかしたら妻築城さんの彼にも影響が出るかもしれねぇ。そうなれば災いが降り注ぐ」
「お前ら、その話、商店街のあの歩道の子のことかの」
おばばが何気なく言う
「あれは厄介じゃぞ。あの子の足の鎖は強い思念を持つ者があの子の未練を解消してやらんと、解けんじゃろうな。まぁ、出会ったからには冬也、お前の定めじゃ。あの子を冥途に送らねばならんじゃろ」
「まぁな、時間は掛かっかもしんねぇけど、あの子はあそこで呪縛されていい訳ねぇからな」
「明、お前も手伝え。昔みたいに……」
ス―ス―、寝息を立てながら呟く様に……寝言なのか? それとも
「分かってるわよ。馬鹿冬也」と俺の耳に聞こえて来た。
馬鹿冬也……か。
俺は本当に馬鹿かもしれないな……明。
その明の寝顔を久しぶりに見ながら、俺も深い睡魔に襲われ眠りに落ちた。