92話 宣告
その先で知らされたのは思いもよらないことだった。それがグラッドなのかシリアスなのかと言うと、残念ながらシリアスの方に大きく傾く事であった。
月明かりの下、鈴本さんはこう告げたのだ。
「私、この春大阪に引っ越すことになったの...。」
と。俺は大きく目を見開いた。
「ご、こめんね井上くんっ!私、お父さんもお母さんも共働きでお父さんは大阪へ出張することになっちゃったし、お母さんも勤めてる会社の本社が京都にあって移ることになっちゃったの...。」
彼女は涙目になっている。何で?と言いたくなったが口をつぐんだ。それでは、彼女をもっと悲しませてしまうかもしれない。
「折角、同じ大学でお互いにやりたいことが出来るってことになったのに...。頑張って一緒に受験勉強もしようって言ってたのに...!」
そして、鈴本さんはいよいよ泣き始めてしまった。悲しみのせいなのか、コミュ力不足なせいなのか上手く返す言葉がない。ぎこちなく
「と、とりあえず、な、泣き止んで...。」
と言うのが精一杯だった。もちろん、それで泣き止むわけも無く、
「でも...でも!」
と言いながら抱きしめてくる。
「す、鈴本さん。あっちにも鈴本さんが納得できる大学ってあるの?」
そんな中、俺は一番気になることを聞いた。それで無いと来たなら本気でその両親をぶん殴ってやろうかとも思った。娘がこんなに悲しんでいて、行きたい大学も無い所へ無理矢理連れていくなんて、家庭の事情があるにしろ酷すぎる。だか、返ってきた言葉は
「う、うん。行きたいなって言う大学は見つけた。」
だった。こんな鈴本さんを育てた親が娘の気持ちを無下にすることはきっとないのだろう。
「じゃ、じゃあその大学に行くって選択もあると思う。」
そして、俺はそんなことを言ってしまった。それは、現実から逃げたいと思ってのことだった。突き放したような言い方をしたなと思って俺は慌てて付け足す。
「そ、その学校って化学系の学部ってあるの?」
と。鈴本さんは涙目で
「え、ええ。物質化学部っていうのがあるわ」
と答えてくれる。俺の入りたい化学系の学部があるなら、やることは1つしかない。
「それなら、良かった。一緒に同じ大学を目指せる。」
俺が言うと、鈴本さんは言った。
「で、でもその大学の入試はとっても難しいのよ?この前、模試受けたけど私でもA判定を貰えなかったんだから。」
「大丈夫、きっと同じ大学に受かって見せる。1日10時間だって12時間だって勉強する。鈴本さんに教えてもらったり、自力で頑張ったりして本気で一緒の大学目指すからっ...!」
コミュ力なんて忘れて俺は思いのままを言っていた。
「本当?先生や井上くんの両親がどう言うかわからないよ?」
彼女は聞くが、俺は断固として同じ学校を目指すと、そう決めたのだ。
「先生は鈴本さんが行くからってだけじゃなくて、本気でそこで学ぼうって誠意を見せたら許してくれる。両親は...絶対交渉する。」
「う、うん。」
「だから...だから...。」
「うん、わかった...。しょう...正一くんっ!」
とやり取りしていると鈴本さんの口から俺の下の名前が出た。
「これからは...正一くんって読んでいい、かな?」
と上目遣いで聞いてくる。その顔が凄く可愛くて今までのシリアスの感じは薄れ始めていた。俺は
「も、も、もちろん。」
とどぎまぎしながら言う。
すると、さらに彼女は笑顔で言ってきた。
「じゃあ、私のことも沙耶香って読んでくれる?『さん』付けなんて余所余所しくて嫌なの。」
「ご、ごめん。さ、さや、さや...か..。」
「フフフ...正一くんにはまだ早かったかなぁ?良いよ、鈴本さんのままでも。」
「う、うん。俺もその方が助かる。」
その言葉に俺は情けなくそう答えるしかなかった。「沙耶香」なんて恥ずかしいというか何と言うか変に意識してしまってとて俺の口からは言えない。いくら彼女がいるとは言え、まだ童貞なのだから。
「でも、本当にありがとね。一緒の大学目指すって言ってくるて。受かって見せるって言ってくれて。凄く嬉しかった。」
また泣きながら鈴本さんは感謝の言葉を告げる。俺は
「う、うん。」
と答えるのみ。と、そこで彼女と俺の唇が触れ合って、長い間そのままでいた。それは今までに無い長さで俺の動悸は止まらないまま。やがて、唇が離れてもしばらくは動悸が止まらなかった。
そして、つい先程までのシリアスなんて吹っ飛んでしまい俺たちは仲良く部屋へと戻っていた。俺は本気で鈴本さんと同じ大学に受かるのだ。
そのためにやることは1つ。スマホから一度全ゲームをアンインストール。データは全部連携しているのでまた入れ直せば問題ない。そして、ネットを開き色々な問題を見つけ、片っ端から解いていった。初めは旅行から帰ってやろうと思ったのだが、それはやらない人の台詞。今日からやらないと明日からも出来ないと思ってのことだった。




