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三話




 僕はスマホの地図を頼りに、喫茶店の近くまで来ていた。

 いよいよ、面接の時間である。


 「ここか……」


 お店の規模はそれほど大きくなく、一階建ての一軒家のようだった。

 外壁は茶色とクリーム色の二種類の煉瓦でできており、屋根は緑色の瓦屋根だ。

 入口は少し階段を上るようになっており、手すりを支えている棒には蔦が絡みついている。

 階段横には鉢植えに色とりどりの花が植えられており、僕が入るには少し抵抗のある、オシャレな喫茶店だった。


 勇気を出して扉を押し開くと、カランカランとドアに吊り下げられているベルが、定員を呼んだ。


 「いらっしゃいませ。お一人様ですか?」


 白シャツに黒エプロンを身に着けている、女性店員が僕に近づき、声をかけた。


 「あ、いえ、今日、こちらで面接をさせていただく、水沢と申します。店長様はいらっしゃいますか?」


 「あ、はい、水沢様ですね?こちらにお掛けになって、少々お待ちください。」


 僕は、店内にある、入口付近のベンチに腰掛ける。


 店長を待つ間、店内を観察してみた。


 客席は10席~20席ぐらいで、カウンター席もある。

 照明は暗めに設定されており、オレンジに近い店内は、どこか、眠気を誘うようだ。『バー』に近い明るさである。

 BGMはヒーリング効果がありそうな、ゆったりとしたテンポのクラシックが流れていた。

 所々に観葉植物も設置しており、まさに、癒しの空間を演出していた。


 一通り観察し終えた頃、女性店員が戻ってきた。


 「お待たせいたしました。それでは、ご案内しますので、こちらへどうぞ。」


 「はい。」


 僕は、女性店員の後をついていき、『スタッフオンリー』と英語表記されているドアの中に入った。


 そこには、30代ぐらいの、ほどよい体つきの男性が、回転椅子に座って、僕が来るのを待っていた。


 「は、初めまして。水沢智樹と申します。本日は、よろしくお願いいたします。」


 「水沢さんですね。初めまして。店長の桜川さくらがわです。どうぞ、お掛けください。」


 電話の声と同じ、優しい低音ボイスで、目の前の椅子に座るよう、僕を促した。

 僕は「失礼します。」と一言言ってから、その椅子に座った。




         ♢




 「さっそくですが、水沢さんは、どうしてここで働きたいと思ったのですか?」


 「はい。私、以前は営業の仕事をしていました。その時に、お客様とじっくり会話することで、お客様の気持ちに答えられる製品を提案していたのですが、その製品を気に入って、笑顔を見せるお客様を見たとき、やはり、お客様と直接、会話のできる仕事が向いていると感じました。

 そして、営業や接客業の仕事を探しているとき、こちらのアルバイト募集の紙を見て、ぜひ働いてみたいと感じました。」


 「なるほど。確かに、喫茶店での仕事もお客様と直接、会話することもあります。

 しかし、喫茶店では、お客様に注文していただいたメニューを用意するとき声をかける程度で、営業の仕事のように、一人一人とじっくり会話をすることはほとんどありませんが、この仕事で大丈夫でしょうか?」


 「そうですね……。」


 (そうか……確かに、言われてみれば、一人に対して、二時間も三時間も会話することはできないという違いはある。でも……)


 「……確かに、一人に対して、何時間も会話することはできないと思います。しかし、営業の時も、たった一言や二言の会話をして、終わることもありました。

 何度も何度もお伺いして、一言、二言の会話が積み重なって、ようやく心を開いてくださったお客様の方が、長く利用していただいたことも事実です。

 それは、喫茶店での仕事でも言えることだと思います。新しく来てくださったお客様へのたった一言の気遣いが、常連になっていただくことに繋がると考えています。

 そのような常連のお客様を増やすために、私が力を尽くしたいと考えております。」


 「なるほどね……。しかし、水沢さんは電話の印象から、喫茶店での仕事をあまりご存知ないようでした。似たような質問になりますが、なぜ、喫茶店で働きたいのですか?

言い方は良くないかもしれませんが、お客様と仲良くなり、ファンになってほしいのであれば、例えばコンビニだったり、スーパーだったり……と、どこでも良かったのではないですか?」


 「確かに、お客様と関わる仕事はいくらでもあります。ここよりも自分の力に合った職種もあるかもしれません……。

 しかし、まず、やってみないことには、向いているかどうかは、私にもわからないのです。職業体験できる会社も、私ぐらいの年齢で受け入れてくださることはほとんどないと思います。

 ですから、今回、見学もさせていただけるとのことなので、実際に体感してから、その点に関して、改めて考えさせていただいてもよろしいでしょうか。

 家の事情もあり、料理も時々担当しておりますので、ある程度できると思いますが、私のやり方とも違うと思いますので、その点も良ければ確認させていただきたいです。」


 「……わかりました。ちなみに、喫茶店は体力がかなり必要ですが、大丈夫ですか?立ち仕事であり、料理を席まで運ぶのにも力が必要で、帰宅する頃にはヘトヘトになっていることがうちのスタッフにもよくあるので、家庭に影響もあるかとは思いますが……」


 「大丈夫です。確かに、慣れないうちは体力がついていかないこともあるかもしれません。だからといって、仕事を頻繁に休んだり、さぼろうとしたりするつもりは毛頭ありません。もし、採用していただけたならば、その恩返しのためにも、一生懸命、働きたいと考えております。」


 「そうですか。最後に、何か夢などはありますか?」


 「そうですね、小さな夢かもしれませんが、早く母をゆっくり休ませてあげることが、一番の夢です。

 母は、私が新しい就職先を探している現在も働き、私のために生活費を工面していただいています。少し前に、私はその母を裏切るような行いを、恥ずかしながらしてしまったことがありました。それでも、母は私が裏切ったことに怒るでもなく、ただ、私のことを心配し、無事であることに安心したと言ってくれました。

 その出来事を経て、私は、なんて愚かな行為をしたのかと猛省し、母のために一刻も早く職に就きたい、一秒でも早く楽にさせてあげたいと強く感じたのです。

 ですから、『母の笑顔を一生、見続けること』、それが私の今の夢です。」


 「良いんじゃないですか。立派な夢だと思いますよ。さて、短いですが、これで面接は以上となります。何か、ご質問はございますか?」


 「そうですね、不躾かもしれませんが、桜川さんはなぜ、喫茶店で働こうとお考えになったのですか?」


 「そうですね、話せば長くなりますが……」


 「ぜひ、お聞きしたいです。」




         ♢




 「……実は、この喫茶店は私の父が創業したのです。それは、私がまだ小学生の頃でした。その頃はまだお客様も少なく、父は経営にとても苦労していました。

 私はまだ子どもでしたが、やつれている父親の顔を見て、心配する一方で、苦労するならばなぜこの喫茶店を作ったのか、疑問と怒りでいっぱいでした。

 想像できると思いますが、喫茶店の経営で余裕のない父は、喫茶店の定休日でさえ、宣伝活動に携わり、私と遊んでくれることは一切ありませんでした。

 また、母も父の仕事の手伝いで、休む間もなく働き、食事時でさえも、私はいつも一人でした。

 学校で友人が家族の話をする度に羨ましく感じ、あの頃は、本当に、喫茶店を嫌っていました。」


 桜川さんは時折、物思いに耽るように目を瞑りながら、一つ一つ丁寧に話した。

 僕は、静かに話を聞いていた。


 「しかし、あれ程、喫茶店を嫌っていた私でしたが、ある時、転機が訪れたのです。それは、私が高校生の頃でした。私が学校から帰ろうとした時、ふと、声をかけられたのです。

 声をかけてきたのは、友人の母親でした。私は特に何もしていないのですが、『いつも喫茶店、利用させてもらってるよ。美味しくて、温かい料理をありがとうね。普段、店内では見かけないけど、また行くから、たまには顔見せてね。』とおっしゃったのです。

 それから、買い物や遊ぶために商店街を歩くと、『おや、エスポワールの坊ちゃんじゃないかい?店内に仲良さそうな家族写真があって、いつもご両親から自慢話を聞いていたから、すぐわかったよ。あそこは素晴らしい喫茶店だね。お客と店員の壁を越えて、いつも親身に話を聞いてくれてね。心がほっこりするような温かい料理ばかりだし……。また利用させてもらうから、ご両親にもよろしく言っといてね。』と、そのような話ばかり、たくさんの人からされたのです。

 それが何日も続き、どこへ出かけても声をかけられるものだから、真偽を確かめたくなって、今まで避け続けた店内の様子を観察してみました。

 すると、そこでは常に笑顔が溢れかえっており、父も母も、とても楽しそうに働いていることがわかりました。」


 僕はその光景を頭で想像しながら聞いていた。

 桜川さんの話は続いていく。


 「そのことを知るまで、私は喫茶店や両親のことを嫌っていたわけですから、経営に余裕ができてからも、両親と会話することは少なく、冷たい態度でずっと接していました。

 しかし、その光景を見た晩、私は両親に尋ねてみたのです。『仕事は楽しいか?』と。

 すると、両親は満面の笑顔を見せて、喫茶店で働くことのやりがいや楽しさを話してくれました。時には、僕も知らない、友人に関する話もありました。おそらく、友人の家族が、私の両親に話したのでしょう。

 そして最後に、今まで一人にさせてしまっていたことについて、謝ってもらいました。

 私は当たり前のように慣れてしまったので、既に一人で過ごすことに関しては、気にはしていなかったのですが、私が冷たい態度を取ったことに、ひどくショックを受けたそうです。そして、仕事に余裕ができてから、謝るタイミングを計っていたと話してくれました。

 その後もいろいろと話をして、徐々に喫茶店の仕事に興味を持った私は、高校を卒業すると、大学に通いながら、ここでアルバイトを始めました。

 そして、仕事の厳しさや楽しさを体感して、やがて跡を継ぎたいと、大学を出てからは、ずっとここで働いています。

 以上が、私がここで働きたいと思った理由や経緯になります。」


 僕はいつの間にか、両目からぽたぽたと雫をこぼしていた。


 「水沢さん、大丈夫ですか?宜しければ、どうぞ、お使いください。」


 そう言って、桜川さんはポケットティッシュを取り出し、一枚、僕に渡してくれた。

 僕はありがたく受け取り、涙と垂れてきた鼻水を拭った。


 「落ち着きましたか?さて、では、少し休憩を挟んでから、見学に移りますね。」


 「はい。その前に、先ほど、私はここで働きたい理由はまだわからないと言いましたが、今、理由が見つかりました。私、桜川さんと一緒に働きたいです。そのような素晴らしい経験をされた桜川さんと一緒に働き、私も素晴らしい考えを持てるよう、成長したいです。」


 「……ありがとうございます。そのお返事は後日、改めてさせていただきます。やはり、仕事内容も少しは考慮された方が良いと思いますので、体験してから、本当に働きたいか、よく考えてみてください。合否についてご連絡した時に、改めて尋ねさせていただきますね。」


 「わかりました。」


 「では、十分ほど休憩に入ります。」


 ヴーヴーヴーヴー……


 その時、僕のスマホのバイブ音が着信を知らせた。

 すみませんと伝えて外に出て、画面を見る。

 固定電話のようだったが、登録していない電話番号だった。


 (こんな時に、誰だろう……)


 僕は通話ボタンを操作する。


 「はい、水沢ですが…………え?」




         ♢




 『……脈は問題ないのですが、意識が戻らないのです。やはり、ご家族の方がついていてあげた方が、目覚めた時に安心されるかと思いますので、来ていただけますでしょうか。』


 それは、病院からの電話だった。

 母さんが仕事中に倒れたとの知らせを受け、僕は一気に血の気が引いた――。


 電話を終えると、すぐに桜川さんのもとへ駆け寄った。


 「――ということなので、申し訳ございません。体験は後日、改めてさせていただけますでしょうか?誠に勝手な申し出だとは思いますが、母はただ一人の家族なのです。母が回復次第、すぐにご連絡差し上げます。その後、桜川さんのご都合のよろしい時間に、改めてお伺いさせていただきたいのですが、大丈夫でしょうか?」


 「……わかりました。そのような事情であれば仕方ないと思います。また、ご連絡お待ちしています。」


 「ありがとうございます!!」


 僕は深々と頭を下げると、急いで病院へ向かって駆け出した。

 脈は正常だと聞かされていても、顔を見るまでは安心できなかった。


 「無事でいてくれ――」


 まだ恩返しもできていないのに……と今までの自分に後悔する。

 早く目を覚ましてほしいと祈る気持ちと、急に容体が悪化したらどうしようという不安な気持ちが交錯する――。


 お金がないので、タクシーは利用できない。

 ぐちゃぐちゃな気持ちを叫んで発散したいという衝動を抑え、いつも以上に長く感じる移動時間に耐えつつ、電車やバスを利用し、病院まで向かったのだった――。




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