二話
――初面接から2週間後の朝、郵便受けに合否通知が10社分、入っているのを確認した。
僕は急いで封を切った。
結論を言うと、全て不合格だった。
型をそのまま使ったような、ものすごく丁寧な文章で不合格であることについて綴られていた。
「はぁ……あの食品メーカーは手ごたえあると思ったんだけどなぁ……」
自然と悪態をついてしまう。
「まぁ、まだ10社だし、昨日面接した会社も手ごたえあったから、望みはあるよな……」
しかし、期待して開けた通知は最初にリストアップした30社全て『不合格』を表記していた。
♢
とある食品メーカーのオフィスにて――
「部長、どうして採用しなかったんですか?質問には必ず答えていたし、ハキハキしてて良いと思ったのですが……」
髪をポニーテールにくくった、スーツ姿の女性が、足を組み、椅子に座っている男性に向けて、質問を投げかけた。
「あぁ、確かに、質問には答えていたが、淡々過ぎてつまらなかったんだ。形式に則った文をただただ読み上げているようでね……。もう少し、自分の夢や目標を熱く語ってくれたら、そのやる気が会社に良い影響を与えると判断して、採用したのだが……」
「そうなのですね。まぁ、確かに、質問に答えるときの表情もあまり変わりませんでした。ただ、質問に答えることだけに集中していたのでしょうか。」
「そうかもしれないね。まぁ、人当たりは良さそうな感じだったから、どこかが採用するでしょう。」
「だと良いのですが……」
そんな会話を交わした後、二人はオレンジ色に染まった黄昏時の空を一度眺めてから、それぞれの仕事に戻った――。
♢
僕は、最後の通知を受けると、すぐにハローワークに行き、次の会社を探した。
時には、ハローワークのスタッフに仲介してもらい、当日、すぐに面接することもあった。
しかし、ことごとく不合格を告げられた……。
僕の就職が決まらないことを心配した母の紹介で、就活に関するゼミナールに参加したこともあった。
また、ハローワーク主催の資格講座でパソコンに関する資格や、苦手な簿記の資格も取得した。簿記は2級が僕の頭では限界だったが……。
面接のペースも、徐々に落ちていき、月に二社受けるのが、体力的にも精神的にも限界に達していた。
こうした努力もむなしく、結局、リストラ宣告を受けてから約1年、どの会社も受かることはなく、ただただ、時間だけが過ぎていった――。
生活は、母さんの収入で、二人分ギリギリで何とか過ごしている。
一度、生活保護について相談したこともあったが、「お母様の収入から換算しますと、生活保護は受けられないですね」と断られてしまった。
実際は安いスーパーを巡り、工面したり、母さんの仕事場のスーパーから、期限切れの弁当を何とか頼み込んでもらって帰り、一日に1食か2食を何とか養ったりして、生活していた。
学生時代に、話は聞いていたが、改めて、中途採用の厳しさを思い知ったのだった――。
♢
就職も決まらない、食べ物もまともに食べられない状態が続き、体力的にも、精神的にも、極限まで追い詰められていた、そんな時。
僕は、ついに魔が差し、一か月分の食費を抜き出し、飲み屋街へやってきた。
しかし、支払えないほどに飲む勇気はなかったので、5000円札一枚を残して、酒に明け暮れた。
その帰り道、僕はふらふらと、おぼつかない足取りで歩いていた。
そして、漫画やドラマのごとく、髪を金髪に染めた、僕より若いか、同じくらいのがたいの良い男性にぶつかってしまった。
僕は声をかけられないことを祈ったが、神様は許してくれなかった。
男性は、僕の腕をつかんで、強引に振り向かせる――。
「いてっ!おい、てめぇ、何しやがんだ?」
僕の酔いはそこで一気にさめた――。
「す、すみません!!」
僕は体が曲がる範囲で、最も深いお辞儀をする。
「おい、ちょっと、こっちに来い!」
しかし、僕の謝罪は空振りに終わり、グイッと襟元を引っ張られ、路地裏に連れて行かれる――。
僕の命は終わったなと、抵抗する間もなく連れて行かれ、そう感じた。
僕はお店か何かの裏口の壁にたたきつけられる。
痛みは感じなかったので、手加減したのだろう。
そして、いわゆる『壁ドン』を、なぜか男である僕がされていた。
この時の『壁ドン』とは、言わずもがな、女性が喜ぶあの『壁ドン』である。
そして、普通の人は逃げ出し、子どもは泣き叫びそうなほどの剣幕で、男性は僕に話しかけた。
「おい、てめぇ、酒くせぇんだよ!何があったか知らねぇがな、ふらふら、ふらふら歩いてっと、俺みたいな奴に殺られんぞ?俺だから良かったものの、この近辺には、もっとひでぇ奴らも、うろついてんだ……。わかったら、しばらくここで頭冷やして、まっすぐ歩いて帰りな。じゃあな。」
そう言って男性は体を離し、僕を殴るでも、カツアゲするでもなく、去っていった。
見た目に反して、根はいい人だったのだろう。
僕は緊張の糸が切れ、その場にへなへなと座り込み、1時間ぐらい、ぼーっとして過ごした。
(僕は何やってるんだろう……)
ぼーっとしていると、これまでの出来事が頭の中を駆け巡った――。
リストラ宣言をされた時の社長の顔、仲の良かった村橋の顔、これまで受けた面接官の顔……いろいろな人の顔が脳裏にちらついては消えていく……
(仕事もまだ見つからないのに、生活費を盗んで、やけ酒して……僕はクズ野郎だな……もう、生きるのもしんどい……)
僕は重たい腰を持ち上げ、とりあえず家に帰ろうと路地裏を後にしようとした。その時、突風が起こり、僕の顔にどこからか飛んできた紙が貼りついた。
「ぅわっ!?」
僕は驚き、尻餅をついてしまった。
ぺりぺりと、顔から紙をはがす。
「なんだ?」
その紙は、喫茶店のアルバイト募集のチラシだった。
「喫茶『エスポワール』か……。そう言えば、正社員ばかり探していて、アルバイトや派遣社員は探してなかったな……。給料は低いけど、その分、受かりやすいだろうし、応募してみるか。『初心者大歓迎』って書いてあるし。明日、この喫茶店について調べて、応募してみよう。もう、就活は終わりにしたい……」
そして、僕はそのチラシを持ったまま、家に帰った――。
♢
家に帰ると、普段は見せない涙を浮かべた母さんが「良かった~」と言いながら、僕に抱きついてきた。
ふと、携帯を見ると、母さんからの着信が30件以上入っていた。
マナーモードにしていたことと、泥酔していたことから、今まで気づけなかったのだろう……。
僕は母さんに生活費を盗んだこと、やけ酒に使ってしまったことを謝った。
母さんは、怒るより呆れたような様子だったが、無事に息子が帰ってきてくれたことが一番嬉しかったようで、涙を流しながら笑顔を向けていた。
本当に素晴らしい母から産まれて、僕は幸せ者だと、改めて実感した。
そして、これからは率先して節約することを誓い、就活を諦めないという決意をした。
「母さん、僕、今までは生活費に余裕を持たせるために、正社員ばかり探していたけれど、アルバイトや派遣会社も探そうと思うんだ。やっぱり、少ない給料でも、母さんばかりに苦労させている今より十分マシだし、食費ぐらいは出せるようになりたい。そして、働きながら正社員で採用してもらえる会社を探すよ。」
「……そうかい。あんたが決めたのなら、母ちゃんは何も言わないさ。けど、働きながら、となると、今までみたいに、面接日時とか、融通が利かなくなると思うけれど、大丈夫かい?」
「まぁ、そこは何とかするよ。それで、僕、こんなものを見つけたんだ。」
そう言って、拾った、喫茶店のアルバイト募集要項を見せる――。
「喫茶『エスポワール』?」
「そう。就活中に料理の腕は磨けたと思うし、何より、営業していた僕にとっては、接客業は、工場などでの仕事に比べてやりやすいと思うんだ。」
「でも、営業と接客じゃ、また違うとは思うけどねぇ……。」
「大丈夫だよ。何とかなるさ。」
「……わかった。やるだけやってみなさい。」
「母さん、ありがとう――」
♢
翌朝、さっそく僕は喫茶店のアルバイト募集のチラシに書かれてある、電話番号にかけてみた。
プルルルル……と、3コールぐらい鳴った後、受話器の向こうから、低く、優しく囁きかけてくるような声が聞こえてきた。
『はい、喫茶エスポワールです。』
僕は緊張でドキドキしながら話す。
「す、すみません、アルバイト募集の紙を見て電話をかけさせていただいたのですが、店長様はいらっしゃいますか?」
『はい、店長は私ですが。』
「失礼しました。私、アルバイトを希望したいのですが、29歳でも大丈夫でしょうか?」
『……そうですね、特に、年齢制限は設けておりませんが、仕事内容が体力を消費すると思います。体力に自信があるのであれば大丈夫かと思いますが、向き不向きもあるので、一度、当店に足をお運びいただいた方がわかりやすいでしょう。』
「そうですよね……。」
『何か、問題がございますか?』
「あ、いえ、問題といいますか……。私、ある事情により、現在就活中でして、生活費が厳しく、そちらにお伺いしても、何も買うことができないのです……。コーヒー、一杯でも注文できれば良いのですが……」
『それすら厳しいと……?』
「はい……お恥ずかしながら……」
『そうですか……。では、面接ついでに見学されますか?プチ職場体験ということで。』
「良いんですか!?」
『はい、こちらとしても、今、猫の手も借りたい状況でして、できる限り早く採用したいと考えているのです……。もし、履歴書等、ご準備いただけるようでしたら、明日、さっそく面接をさせていただきたいと考えているのですが、いかがでしょう?』
「本当ですか!?ありがとうございます!ぜひ、よろしくお願いいたします!」
僕は電話を終えると、急いで履歴書を準備する。
アルバイトとはいえ、履歴書の項目を雑に書くことはしない。
一日でも早く母さんを楽にさせるために、丁寧に、丁寧に書いた。
(よし。完璧。)
今まで書いてきた経験や、本で読んだことを生かして、自分なりに最高の履歴書を作り上げる。
その履歴書には、絶対に受かるぞという、強い想いが込められていた。
(後はスーツと……)
数日前の僕からは想像できないような、生き生きとした姿で準備が進められた――。
最終チェックも終わる頃には、いつの間にか、日が傾き始めていた。
履歴書作成や準備で、時間が経つのがあっという間だった――。
(これだけやれば十分だろう!でも、もし、受からなかったら……ダメだ、ダメだ。その時はまた探せばいいし、とにかく、目の前のことに集中しなきゃ。それに、店長が『猫の手も借りたい』って言っていたぐらいだから、きっと、大丈夫。喫茶店なんて初めてだけど、まだ余裕のあった頃、喫茶店に食事に行った時を考えれば、僕でもできると思う。それに、見学もさせてくれるらしいから、合わなさそうだったら、他の職種を探そう。というわけで、今日は早く休んで、明日に備えるぞ――)
こうして、夕食を食べ終え、すぐに風呂に入った。その後、僕は、夜の9時までには眠りについたのだった――。