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一話




 桜の花が散る頃、僕の人生は一変した――




         ♢




 「ただいま、営業より戻りました――」


 僕はいつものように外回りから帰り、担当部署のオフィスに声をかける。

 いつもとは違うざわざわとした様子に、僕は何となく胸がざわついた。


 (……何だろう、何かあったのかな。)


 僕はざわついている同僚たちに耳を傾けた。

 すると、要するに、この会社も危機を迎えているらしいことがわかった。

 まぁ、売上表や営業ノルマ達成表を見れば、そんなことは一目瞭然なのだが……。


 「おいっ、水沢みずさわ。部長がお前のこと呼んでたぞ。」


 同僚の村橋むらはしが声をかける。


 (……話?)


 僕はこれといって成果は出していないが、かと言って重大なミスを犯した覚えもない。

 心当たりのない呼び出しに、何か嫌な予感がした……。


 僕は緊張した面持ちで部長の下へ向かう。


 「……部長。お話があると村橋より伺ったのですが。」


 僕は部長に声をかけたが、部長の顔が上がることはなく、その口が開かれた。


 「あ、あぁ、水沢。少し、いや、かなり大事な話があるのだよ。今日の19時頃、社長室に来てもらえるだろうか。そこで詳しい話をしよう……。」


 俯いたままの暗い表情を見ると、この嫌な予感が当たりそうで怖かった。否、もしかすると、僕の予感は当たっているのかもしれない……。

 もやもやとした気分のまま仕事をして、ついに約束の19時が来てしまった。

 重たい足取りで社長室へ向かう……。


 (いったい、何を告げられるんだろう……。まさか、致命的なノルマ達成率というほどでもないし。でも、いや、ま、まさかな……)


 コンコン――


 「入れ。」


 一度、深呼吸をする。よし。


 「み、水沢です。失礼します――」




         ♢




 僕は社長室を出ると、とぼとぼと担当部署の自分の席へと帰った。


 結局、僕の嫌な予感は当たっていた。

 要は、会社が潰れそうなので、この会社から離れてほしいということである。つまり、リストラだ。

 ちなみに、社長にはこのように告げられた。


 「水沢君、君はまだ独身で動きやすく、ここを出ても、すぐに良い会社に巡り合えるだろう。君の戦力がなくなってしまうことは、私としても、会社としても、つらいのだよ……。しかし、もう、この手段しか残されていなかったのだ……。君は賢いから察してくれるね?今までありがとう、水沢智樹みずさわともき君――」


 その時、僕は「はい」としか言えなかった。

 同僚の中に、妻や子どもたちがいる家庭が多いことを僕は知っている。

 たった一人の、僕の家族である母を悲しませることはつらいのだが、村橋をはじめ、仲の良かった同僚たちや、その子どもたちが苦しい表情をしている姿も見たくない。

 それに、今さら異議を申し立てようが、僕が会社に戻れるはずもなく、この現実を受け入れることしかできないのが現状だ。


 僕が使っていた机やロッカーを明日にはすべて持って帰れるように片付けると、いつにも増して暗く感じる帰り道を一人歩いた。

 僕は途中にある公園に立ち寄る。


 「はぁ~…………」


 僕は深いため息をつき、キィ――と持ち手の鎖が軋む古びたブランコに腰かけた。


 (母さんに何て伝えよう……。一刻も早く次の仕事を見つけなきゃ……。まだ親孝行もできていないのに……。三か月くらいなら、先月の給料と貯金でどうにかなるけれど、今後、万が一就職できなかったらどうしよう……。明日、ハローワークに行ってみようか……。でも、今は就活する気分じゃないしなぁ……。)


 頭を抱え、そんなことをぐるぐると考える――。

 どうしても、家に帰る気分にはなれなかった……。


 プルルルルル――


 「――っ!」


 突然鳴り響いた電話に驚き、声にならない声をあげてしまった。

 スマホの画面を見ると、着信画面には『母さん』と表示されていた。

 ふとスマホの時計を見ると、もうすぐ23時になろうとしていることに気づいた。


 「もう、こんな時間か――。」


 僕はおそらく心配してかけてきたのであろう、母からの着信に答えようと、通話ボタンを操作した。耳にスマホを当てると、母の安堵のため息が聞こえた。


 『あー、良かった。なかなか電話に出ないものだから、事故でも起こしたのかと焦っちゃったよ。でも、あんたが無事で良かった。いつもなら、とっくに家に帰っている時間なのに、今日はどうしたんだい?何かあったのかい?』


 「…………」


 (……どうしよう。言うべきか、言わざるべきか……。母さんだって仕事で疲れ果てているのに、いい歳をした大人が甘えても良いのだろうか……。でも、このまま黙っていても、騙すようで嫌だし……)


 「…………」


 『智樹?……何があったかわからないけど、言いにくいことなら無理に話さなくていいよ。だけど、家には帰っておいで。いくら歳を重ねても、あんたは私の子どもに変わりないんだから、夜中に出歩いていると、心配なんだよ。それに、母ちゃんも家に一人でいるのは寂しいしね。あんたが話せるようになったら、どんな悩みでも、いつだって聞いてあげる。あんたが話さなくても、傍にいることぐらいは母ちゃんだってできるんだ。だから、一人で抱え込まなくたっていいんだよ!』


 「……母さん。」


 (亡くなった父さんが母さんを愛した理由がわかった気がする。)


 「わかった。今から帰るよ。帰ったら話すね……」


 『そうかい。んじゃ、気を付けて帰って来るんだよ!』


 「わかってるよ。じゃ。」


 僕は通話終了ボタンを操作し、重たい腰を持ち上げ、帰路についた――。


 (帰ったら、正直に話そう。僕だけではなく、母さんとの生活にも関わることなのだから、やっぱり話さなくちゃ。母さんの言葉にも救われたし、前を向いて進まなきゃ。)


 こうして、足取りは重たいままだったが、何とか無事に家まで帰ることができたのだった――。



         ♢




 「ただいまー」


 日付も変わろうかという頃、ようやく家にたどり着いた。

 未だリビングに明かりが灯り、テレビから深夜ドラマの声が聞こえてきた。

 テレビを見ながらお茶をすする女性が、顔だけを振り向かせて、僕の呼びかけに答える。


 「おかえり。無事で良かったよ。晩御飯は食べてきたのかい?」


 「いや、まだだよ。食欲無くて……。それより、話したいことがあるんだ。もうこんな時間だけど、少し、良いかな?」


 「何、珍しく遠慮してんの?あんたが話したいなら、何だって聞くから、気にせず話しな!」


 「うん……」


 僕はふぅ~と息を吐き、緊張した面持ちで、恐る恐る口を開く。


 「母さん、ごめんよ……僕、リストラされたんだ……だから、明日から仕事に行けないんだ……とりあえず、明日、ハローワークに行こうと思うけど、いつ、次の仕事が決まるか、なんてわからないから、これから生活に負担をかけることになると思う……」


 母さんは僕をじっと見て、僕の言葉を最後まで聞いてから、口を開いた。


 「そう……。まぁ、会社の事情もあったんだろうし、智樹は悪くないよ。ほら、母ちゃんだって、今まで貯金してた分があるから、何とかなるよ。まぁ、どうしても生活できないってなったら、生活保護というものもあるらしいから、一緒に相談しに行こう。大丈夫。すぐに次の就職先が見つかるさ。」


 「そうだね……。頑張ってみるよ。」


 「ほら、食欲無くても、ちゃんと食べな。面接で暗い顔なんか、見せちゃいけないよ。」


 そう言って、母さんはラップをかけた晩御飯の残りを、レンジで温めるために持って行った。やがて、僕の目の前にそれらが並べられ、僕は今回の悔し涙を堪えながら、一時間ぐらいかけて、ようやく平らげた。




         ♢




 翌朝、さっそくハローワークに赴いた。

 本当は一日ぐらい休みたかったが、一日でも早く次の仕事に就かないと、本当に生活に困ることになると判断し、重たい体を無理矢理、起こした。まぁ、会社に残した荷物も取りに行かなければならないので、どのみち起きなければならなかったが……。


 (ここか……)


 昨日まで勤めていた会社は新卒で入ったため、ハローワークに来るのは初めてだ。

そのため、初めて足を踏み入れる場所に緊張しつつ、何とか入口の自動ドアを潜る――。


 (えーっと、どうすればいいんだろう?)


 僕はインターネットで場所を検索しただけで、何も準備していなかったので、キョロキョロとスタッフらしき人を探した。

 周りを見渡すと、『総合案内』と書かれた立札がある受付、ずらりと並んだパソコンのコーナー、求人情報が載ったチラシが隙間なく敷き詰められた掲示板などがあった。

 まさに、仕事探しのためだけに作られた場所だった。


 僕はとりあえず、総合案内へ向かった――。


 受付に立っている女性スタッフに声をかける。


 「すみません。初めてここに来たのですが、どのようにすれば良いのでしょうか。」


 「初めての方ですね。それでは、あなたの情報を登録したいので、こちらのカードに必要事項を記載していただけますか。」


 「わかりました。」


 僕は『ハローワークカード』とタイトルに書かれている用紙を受け取り、空欄を埋めていった。

 一通り埋めると、受付のスタッフに渡した。


 「ありがとうございます。それでは、簡単に当施設のご案内をいたしますね。まず、ここの受付では、ハローワークへの登録、求人に関する相談などを受け付けております。そして、あちらの掲示板では、この地域における最新の求人情報が閲覧でき、あちらのパソコンコーナーでは、求人情報や会社について、簡単に検索できるようになっております。また、ご希望の職業がございましたら、こちらの登録内容を基に当スタッフが該当する会社の採用担当へ連絡し、面接日程などを決めさせていただくこともできます。また何か、わからないことなどございましたら、お気軽にご相談ください。」


 受付のスタッフは丁寧に説明してくれた。


 僕はまず、希望職種を絞ろうとパソコンコーナーへ向かった。

 空いている席に座り、画面の選択肢に従って、検索画面へ進んでいく。


 (うーん……今まで、営業しかしなかったから、モノ作りとかは向いていないし、そもそも不器用だし……そこまで頭もよくないから、金融系もパスだな……。やっぱり、営業か、接客業とかか……?大学時代はコンビニでバイトしてたから、レジはできると思うし……)


 結局、接客業や営業に絞って検索した結果を、持ってきていたメモ用紙にリストアップした。


 「こんなもんかな……。」


 今日は会社の目星を付けるだけだったので、30社ほどメモしてから、席を立った。

 そして、ハローワークを出て、昨日までお世話になった商社へ向かう――。




         ♢




 「水沢!」


 荷物を取りに席まで行く途中、ちょうど昼休憩から帰ってきた村橋に声をかけられた。


 「水沢、いったいどうしたんだ?今朝、出勤してこなかったから、心配したんだぞ?何かあったのか?」


 どうやら、まだ僕がリストラされたことに関しては、全員に伝わっていなかったらしい。

 僕は苦笑いをしながら、社長に告げられたことを打ち明けた。


 村橋も徐々に暗い表情となっていった――。


 「……そうか。昨日、呼び出されていたのは、そういうことだったんだな。お前がいなくなるのは寂しいが、会社を経営する立場として、社長が判断したことも一理ある。俺に力があれば、お前を呼び戻すこともできたかもしれないが、二人分のノルマクリアは時間的に厳しいんだよなぁ……」


 「村橋が気負うことないよ。これも、僕の頑張りが足りなかったせいもあるし……。今朝、さっそくハローワークに行ってきたから、次の仕事探して、どうにか頑張るよ。」


 「そうか……。あんま、無理するなよ?」


 「あぁ、ありがとう。」


 そんなやり取りをした後、僕は荷物を片付けて、商社を後にした。

 もちろん、最後に部長や社長にも挨拶をした。

 

 同僚の皆は突然の退社でプレゼントを用意できなかったことを詫び、今後について励ましの言葉をかけてくれた。

 僕としては、プレゼントや励ましの言葉よりも、ここで働き続けられる方が良かったというのが本音だが、同僚に罪はないので、ありがたく言葉を受け取った。


 そして、外に出てから、もう一度商社に向けて振り向いた後、おそらく、もう来ることはないだろうと心の中で呟いてから、帰宅した――。




         ♢




 ――ハローワークに初めて行った日から一週間。

 今日は応募した会社の中で、最初の面接日だ。

 スーツ姿に身を包み、仕事用の黒いカバンに履歴書を入れ、緊張した面持ちで会社へ向かう。


 そもそも、面接なんて、7年か8年ぶりくらいだ。

 人事部だったわけでもなく、面接官側も経験のない僕にとって、緊張しない方がおかしいというものである。


 ちなみに、今回応募したのは大手食品メーカーの営業部である。

 営業しかしたことのない僕は、事務など、他の部署に応募できるはずもない。まぁ、ダメ元で応募してもいいが、面接で話せないだろうから、結局は同じである。


 僕は入口の受付の人に声をかける。


 「すみません、本日、10時より面接を希望していた水沢と申しますが、どちらに向かえばよろしいでしょうか。」


 「水沢様ですね。お待ちしておりました。こちらへどうぞ――」


 こうして、僕はエレベーターに乗り、4階の会議室へ案内された。


 コンコン――


 「部長、水沢様が来られました。」


 「わかった。どうぞ、入りなさい。」

 僕は小さく深呼吸する――。


 「失礼します。水沢智樹と申します。本日はよろしくお願いいたします。」


 僕は一礼する。


 「どうぞ、座りなさい。」


 「失礼します。」


 僕は会議室にあるパイプ椅子に促され、もう一度、一礼してから、椅子に座った。


 「さて、早速だが、君はどうしてうちの会社を選んだのかね?」


 「はい。御社は素晴らしい食品を数多く開発されております。私も御社の食品をよく口にし、その素晴らしさを実感しております。そして、その素晴らしさを私自ら広め、たくさんのお客様に伝えていきたいと御社の営業部に志望いたしました。私は以前、勤めていた会社でも営業を担当していたため、必ずお役に立てると自負しております。」


 「なるほど。弊社の食品を口にしてくださっているとのことですが、どの食品のどのようなところが素晴らしいと感じたのでしょうか。」


 「はい、それは――」




         ♢




 「――合否につきましては、また後日、ご連絡させていただきます。」


 「わかりました。ありがとうございました。」


 こうして、30分間、淡々と繰り広げられた面接が終了した。

 正直、部長さんの圧迫感がすごく、自分でも何を言っていたか、あまり覚えていない。


 (受かるといいな……)


 事前に会社について調べていたので、質問の答えに詰まることがなかったのが幸いだ。

 後は結果を待つばかりである。


 明日は薬品メーカーの営業部の面接で、明後日は文具メーカーの営業課の面接だ。

 ひとまず、営業に絞ったが、扱うものを絞ると、その分受かる確率も下がるので、リストアップした会社は全て面接する予定である。


 「一日でも早く受からなきゃ……」


 そう、改めて心に誓ってから帰宅したのだった――。


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