「アニメ」
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今年、僕は受験戦争を戦い抜き、大学生になった。
大学生活は驚くほどに自分を拘束するものがなく、時間的にもかなりの余裕、というか、暇が増え、たいていは家に籠るようになっていったわけだ。
が、しかし、家に籠っていたところで何もおもしろいことはなく、暇な時間を潰すために自棄になっていた僕は、友達から薦められていたあるアニメをパソコンで見てみることにした。
それがすべての始まり。
それまでの人生で、アニメなんて全く興味を示さなかった分野であって、少々、小バカにしていた。
パソコンを立ち上げ、その友達からおしえてもらったサイトに入ってみると、数百とも言えるアニメの名がつらなっており、そのアニメキャラクター達の静止画が、いくつか貼られていた。
正直、そのアニメの多さと、アニメキャラクターの持つ、見てるこちらが恥ずかしくなるようなクサい感じに圧倒され、逃げだしたくなるような感覚を覚えた。
露骨で、こっ恥ずかしいタイトルと、アニメのヴィジュアル。
アダルトビデオ屋さんでアダルトビデオが並べられた棚を見てるような感じと言えば、男性には理解してもらえるかもしれない。
僕は部屋のドアを閉め、誰にも見られていないことを確認し、一瞬やめようかと思ったのだが、とりあえず友達が言っていたタイトルを探し始めた。
ハ行まで画面をスクロールして、さらにスクロールする内に、すぐに見つけられた。
そのアニメのタイトルは...、友達から聞いた当初は何とも感じなかったのだが、今になると、少々恥ずかしいタイトルな気もする。
また一瞬やめようかと思ったが、気がついた時にはタイトルをクリックして、動画の読み込みが始まっていた。
その友達が言うには、セカイ系というジャンルのアニメらしい。
よくはわからないのだが、ストーリーは世界規模で展開され、かなり複雑なものになり、登場人物の心情がリアルに深く描写されていくらしい。
もちろん、ドラえもんとかドラゴンボールみたいな子供アニメとは似ても似つかないシロモノとも言っていた。
そんなこんなを思い出していると、早速、動画の読み込みが終わり、オープニングが始まった。
流れ出した音楽は、予想していたものよりはかなりJ-POPに近く洗練された音楽で、僕が考えていたドラえもんとかドラゴンボール等の、子供イメージで創られた「アニソン」の概念は訂正された。
流されているムービーも、かなり動きが生き生きとしていて、画面構成や色もセンスがあり奇麗で、見ようによっては芸術的とも言えるのでは?と思えるほどだった。
なるほど、日本がアニメの最先端にいると聞いていたが、こういうことだったのかと、初めて理解することになった。
とはいうものの、キャラクター(特に女性キャラクター)のヴィジュアルからは、俗に言う「萌え」の雰囲気が微妙に嗅いでとれ、やっぱり少々の気遅れをしてしまうのも否めない。
とりあえず、オープニングが終わり、主人公とおぼしき声のナレーションで本編が始まった。
...
数時間後、僕はのめり込む様にぶっ続けで全12話を見終わっていた。
自分の中のアニメに対するイメージの180度大変革で、僕は興奮状態。
これこそまさかの展開だ。
昨日まで小バカにしていたアニメカルチャーが、今や自分を異様に熱くさせ、感動させていた。
想像していよりも、ずっと登場人物に個性と人間としての深みがあり、想像していたよりも、ずっとストーリーは高度で難解で、その世界感は新鮮で刺激的。
その日から、僕はそのアニメと同系列のアニメ群を皮きりに、さまざまなジャンルのアニメを見始めることになった。
中には駄作と言えるものもあったが、他はどれも魅力にあふれたものばかりで、どんどん僕を夢中にさせていった。
家に居る時は(というか、暇な時間はすべて)アニメを見ることに回した。
じきに、大学の講義をサボってまでアニメに時間を割くようになっていった。
密かに、ヲタクと称される友達のネットワークを広げ、新作アニメについて語ってみたり、情報交換してみたりするのが楽しみの一つにもなっていった。
まさに、新世界、新生活。
毎日がとてもふわふわした浮揚感に包まれ始めていた。
そんな日々の、ある夕暮れに、入学当初から気になっていた、女の子と偶然に帰り道で鉢合せ、一緒に帰ることになった。
いろいろ話してる内に、彼女はこんなことを言い出した。
「君って、彼女いるの?」
!!
古来よりこのセリフは80%の確率で「私、あなたの彼女になりたいかも。」を示す的な略語なのだ(あくまでも僕の分析とぶっ飛んだ妄想の結果であるが...)。
ドクン!とひっくり返る心臓を抑えながら
「いるわけないじゃん。」
と、わざとヘラヘラと答えた。
彼女は「え〜、そうなんだ〜。」などと言って、また元の何の気のない話題をし始めた。
駅のホームで電車に乗り、別れた後、MP3プレーヤーの音量をMAXにして、さっきのことを回想しながら、高鳴る鼓動を押さえつけるのに必死になった。
ちなみに、MP3プレーヤーにはほとんどアニソンしかはいっておらず、最新のJ-POPに至っては皆無。
アニソンに慣れると、最近の薄っぺらなアーティストの曲には興味がなくなってしまう。
アニソンには、独特の魅力がある。
アニソンを聞くと、そのアニメの世界感がドラマティックに蘇り、それにより、様々な感情に浸ったり、現実から意識を飛ばすことができる。
アニソンには、一曲一曲に秘められたストーリーが、アニメ本編によって確立されているのだ。
例えば、ミスチルのそっくりさんが本人と寸分違わぬ声で歌った偽新曲を、何も知らず聞かされたとして、はじめは感動するだろうけど、偽物と教えられた瞬間に、感動もどこ吹く風で興ざめしてしまうだろう。
つまり、ホントにいい曲とは、メロディーそのものだけではなく、作ったアーティストの人生とか、人間味というものをバックに重ね合わせて、初めてドラマティックになる曲のことなのだ。
そうでない限り、よほど神がかった旋律でないとなかなか興味が湧かない。
だから、最近の、どこの馬の骨ともしれないペラペラアーティストが創った曲なんかよりも、アニメ本編のドラマティック味を帯たアニソンの方が、僕にはいい曲に感じられた。
と、かなり話がそれてしまった。
話をもどして、電車の中でひっくり返りそうになる鼓動を、抑えようとしていたわけなのだが、意外なことに、数分もすればすぐにおさまってしまった。
なぜだろう? あんなことを突然言われたので最初は動転していたが、実はたいしてうれしい感じがしない。少し昔なら、興奮して彼女との恋愛生活の妄想を繰り広げるはずなのだが。
不思議に感じながらも、自宅に帰りつき、さっそく、今日のアニメをパソコンで見始めた。
今日のアニメは、恋愛もの。高校生の二人が心すれ違いながらも、究極の愛にたどり着くストーリーだ。
うっとりとヘラヘラしながら、そんな理想的な甘い展開を楽しんでいると、場面の移り変わりの演出で、画面が一瞬暗転した。
一瞬暗くなった画面に、現実が映った。
本棚、カーテン、飲みかけのコーラ、そして、僕の顔。
暗くなったパソコンのディスプレイは生々しく現実世界を反射した。
僕の顔は醜かった。
アニメキャラのそれと比べて、ごつごつとせり出し膨らんだ鼻、ぼてっと重く濁った目、赤斑点のニキビ、どう捉えても弁解のしようがないほどに醜かった。
「あぁ、そうか僕は現実の世界に存在してるのか。」
その時、初めて、忘れていた「当たり前のこと」を思い出した。
アニメが映し出すのは、ヴィジュアルも、ストーリーにも、人間にしたって美しく、ある意味理想的なものばかりなんだ。
どんなに現実を描いたアニメでも、どんなに悲しいアニメでも、必ず理想的なドラマに満たされるようにストーリーが進んでいくことが運命づけられてるんだ。
僕のこの現実世界は何の運命もない。いつか恋人ができても、ホントの意味でドラマティックなことなんてきっとないだろう。結婚するにしても、別れをむかえるにしても、浮気をするにしても、どんなにドラマティックを演じても、その下にはどうしようもない現実の興冷めする部分が埋もれている。 どのシチュエーションでも、どんな景色でも、現実の殺伐とした臭いはぬぐえない。
ああ、そうか、僕が、純粋に、完全に満たされることは死ぬその瞬間までずっとないのか。
この現実の残酷さから、完全に自由になったアニメの世界に浸かり続けたせいで、僕は現実に生きていくことの味気なさと、完全には満たされることのない一生に気がつくことになってしまった。
僕らが夢見る完全にピュアな、幸せや、愛、優しさ、未来、理想はすべて現実には存在しなかったんだ。
夢を見るからこそ、そこに在るような錯覚に陥って、求め続けていたんだ。
ああ、なかったんだ...。
...
後編の「自己再構成」編に続きます。