ヒュドラ
「おい貴様! 何をしている!? 早く砦の中へ戻れ!」
「却下だ」
しかし砦の外に降り立ったすぐ先にいた衛兵に見つかり咎められるのだがそれを無視して衛兵を押し退けて先に進もうとする。
「ダメだ! お前達が行ったところでフレイム様の邪魔にしかならない! フレイム様がやられればこの砦もタダじゃ済まないんだぞ!?」
「だからご主人様は行くんだろうが。 退け、邪魔だ。」
しかし当然そんなクロ達を衛兵はクロの腕を掴み強引に引き戻そうとするのだがアルが無詠唱で唱えた火の玉を喰らい吹き飛ぶ。
「やめろアル。 こいつは何も間違った事はしていない」
「わ、分かったよ」
そんなアルをなだめながらアルの魔術で吹き飛ばされ砦の壁に激突し呻いている衛兵に回復魔術を施すと先程アルが行った事を謝罪する。
肋骨が折れたのか脂汗が顔に浮き出し始めていた衛兵は突然痛みが消えた事に驚きを隠せない表情でクロ達を見る。
「回復魔術をフレイムに施すだけでも大分違うと思うのだが?」
「………か、勝手にしろ」
「貴殿の英断に感謝する」
衛兵はクロが回復魔術を、それも骨折を瞬時に治せる程の威力がある回復魔術を使える事に驚愕する。
それはもはや上位神官レベルの回復魔術である事は間違いなく、その魔術を使えるというだけでクロ達を止める術が思い付かない。
「さて、ヒュドラがいる場所まで行ける許可も得た訳だし、アルに俺の装備を貸し付ける」
そしてクロはアルに自分が持っている目の前のヒュドラに最適な装備一式を、クロ自身どういう原理か分からないのだが一瞬にして装備させる。
装備させたアイテムは当然全て課金ガチャで手に入れたアイテムで性能もレアリティも申し分ない高価な物である。
装備させた内容は、アクセサリー1【毒無効・炎ダメージ+30%UP】アクセサリー2【HP30%以上の場合即死回避・炎ダメージを与える度にバリア展開】防具【炎ダメージ+100%UP・自身が受けるダメージ30%カット】武器【炎ダメージ+100%UP・与えた炎ダメージ30%ドレイン】とかなり尖ってはいるがあのヒュドラにはぶち当たるであろう。
「俺はアルの邪魔にしかならないフレイムを強引にも下げさせる。 アルはフレイムと入れ替わり次第思う存分暴れてこい」
「分かった!」
クロが装備させたアイテムを全身装備しているといってもヒュドラ相手に一人で戦えと言われはち切れないほど犬の様に尻尾を振るアルはプレゼントを前にした子供の様な表情を浮かべていた。
そんなアルを見ているとオモチャを与えられた犬の様に衛兵は錯覚してしまう。
ヒュドラをオモチャ扱いなど出来る筈がないという彼の常識は、きっとアルと呼ばれている奴隷女性は何も知らないのだろうと推測し、憐れんでいる事など当の二人は知る由もない。
「何故来た!? 邪魔だ! って、ひゃわっ!? は、話せ!!」
ヒュドラのいる場所に着くやいなやフレイムから怒鳴られてしまう。
しかしフレイムの性格からして予測の範疇である為さほど驚きもしない。
そしてすぐさまフレイムを魔術で拘束し、そのまま砦の反対側かつ安全地帯までお姫様抱っこの要領で一気に下がる。
それに反応したヒュドラはその巨躯に似つかない程の初速を持ってして獲物を取られまいと追いかけるのだがトップスピードに入る前にアルによる霊魂焼却に呑まれ足を止めてしまった様である。
「怪我は無いか?」
「そんな事どうだっていい! それよりもなんて事をしてくれたんだ!! お前の奴隷が死んでもいいのか!? 失望した!! お前がそんな奴だとは思いたくなかった!!」
「俺の装備を施したアルがヒュドラ如きに負ける筈が無いだろう? それよりも空気中に気化した毒のせいで目が充血しているみたいだ。 治させてもらう」
フレイムを優しく地面に下ろすや否や怒鳴り散らされるのだがそんな事など御構い無しにフレイムに鑑定を施し状態異常が無いか確認し、目がやられている事を知るとすぐさま状態異常と体力を完全に回復させる。
「お前はヒュドラがどんな存在か知らないのか!? 歩く天災だぞ!? 私が…………は?」
それでもなお捲し立てるフレイムなのだが突如空から巨大な炎の剣が現れ、それがヒュドラの巨躯を突き刺すとその剣は消え失せ、その代わりヒュドラを猛火が襲い暴れまわる最中、真っ赤に燃え輝く剣でヒュドラの頭を二つ程切り落とすアルの姿が視界に写り言葉を失う。
そして気付く。
アルの腰に生える黄金の美しい九本の尻尾を。
「なんだアレは……それに九本の尻尾……アル…………まさか……アル・ヴァレンタイン……」
ヒュドラですら圧倒する強さを誇りえる九尾族のアルと言う名前の女性。
フレイムはそんな女性を一人しか思い当たる節がない。
しかし、強者として育成された戦闘奴隷なら今戦っている女性アルが奴隷なのも頷けるのだが、もしアル・ヴァレンタインであるならば話は変わって来る。
トリプルSすら越えると噂されていたアル・ヴァレンタインを隷属させるには一体どれ程の強さが必要なのだろうか?
それ程の男性に決闘を申し込んだ事に今更ながら恐怖を抱いてしまう。
「なんだ、アルの事を知っているのか?」
そしてクロはそんなフレイムの心境など知りもせずさらっとアル・ヴァレンタインだと肯定する。
◇◆◆◇
「ご主人様、倒して来たぞ」
「お疲れ様」
アルの強さは圧倒的で、あのヒュドラですら危なげなく一時間と経たずに倒すとクロの元に戻って来る。
そのアルの表情は早く褒めて欲しくて仕方がない犬のようで、当然の様に尻尾は左右に激しく揺られている。
そんなアルにクロは労いの言葉をかけ頭を撫でてあげるとアルは幸せの絶頂という様な表情を浮かべクロに抱きつき甘え始める。
その姿は狐というよりもまんま犬である。
本当に……アル・ヴァレンタインなのか?
そう思ってしまう事は仕方のない事であろう。アル・ヴァレンタインという人物の人柄や噂を耳にしているフレイムからすれば目の前のアルをあのアル・ヴァレンタインと同一人物であるとは到底思えない光景である。
フレイムが耳にしたアル・ヴァレンタインという人物は、髪は短く常に男装をしている麗人。
常に冷静で感情の起伏はあまり無い。
しかし男性に対してはその限りでは無く、よく激昂しぶっ飛ばしている場面が目撃されている。
更に男性にはとことん厳しく男性嫌いの可能性が高い。
しかし女性に対してもたまに胸を刺す様な視線を向けている為人間そのものを毛嫌いしている可能性もある。
その為アル・ヴァレンタインは常に単独で行動し、そして単独でも危なげなく立ち回れる桁外れな強さを持っている女性。
それがフレイムが耳にしたアル・ヴァレンタインの噂なのだが、目の前のアル・ヴァレンタインはその噂の人物とは真逆の人物にしか見えず、軽く混乱してしまう。
髪は肩まで伸びており女性ものの装備を着こなし、男性嫌いという割にはクロにベッタリで……時折フレイムの胸を突き刺すような鋭い視線を向けて来る。
「どうした? フレイム。 なんかソワソワしている様に見えるが」
「……いや、私が噂聞いたアル・ヴァレンタインとは別人の様に思えてな……」
そして自分が耳にしたアル・ヴァレンタインという人物像を話すとクロは「ああ、それはアルで間違いない。出会った頃のアルはそんな感じだったな。俺も当時男性と間違えるほどのイケメンだったが、今ではいい思い出だ」とアルとの出会いを思い出したのか笑いだし「あ、あの時の自分をもう少し女性らしくできないのか?と殴りに行きたい!」とアルが真っ赤になった顔をクロの胸に顔を埋める形で隠しながら恥じらう。
アルのその姿だけを見ると、噂のような男装の麗人でも、ヒュドラを倒した猛者でも無く単なる町娘に見えてしまう。
それにしても先日のサラといい今日のアルといい私はまだまだ未熟なのだと思い知らされる。
アルが何の苦もなく一人で倒したヒュドラを、もし私一人で倒すとなると間違いなく一日以上かかる上に最悪死んでいただろう。
いや、視力を失いつつあったあの状況では間違いなく私は死んでいたに違いない。
それでもタダで死ぬつもりはないので足か腕の一本や二本斬り落としてやるつもりだったのだが、決死の思いで討伐にいた私とどう見てもピクニック感覚のアルを見れば私とアルの差は明確であろう。
その事が先日クロに負けた事も、私より強くなり婚約者も得たサラの事も相まって堪らなく悔しく感じてしまい、思わず涙が溢れ出し下唇を噛んで涙が溢れるのを堪える。
「しかし、いくら今回の氾濫が平均よりも大きいものだとしてもグリフォンの親やヒュドラの様な高討伐ランクの魔獣やドラゴンが現われるものなのか? そんな危険な場所にある砦に集まる冒険者や衛兵などを中心としたそこそこ大きな街が出来るとも思えないんだが?」
「た……確かに今回の氾濫は異常だ。 そもそもグリフォンの親やヒュドラが現われるような事など一度もなく高くても討伐ランクB程度でそれも一回出現するかしないかという確率だから氾濫を食い止めながら素材を剥ぎ取り持ち帰るーそれを目当てに商人がやって買い取りに来るー冒険や衛兵達は臨時収入も入り懐が温まるー今度はその冒険や衛兵達がお金を落とす商売を始める者がやって来る………といった具合に発展した街であり砦だ。 こんな化け物が毎回出るんじゃ商人はまず寄り付かず街はできなかっただろう」
クロの最もな疑問に溢れかけた涙をさり気無く腕で払い答える。
確かにクロがいう通り今回の氾濫は何かが明らかにおかしいのである。
しかしそれが何なのか私にはさっぱりとわからないのだけどクロの役にたてないのがどうしてももどかしく感じてしまう。
「それはそうと、今回は助かった。 そしてそれだけの力があるとは知らず怒鳴ってしまい申し訳無かった……」
「結果助かったんだし、一つのミスが生死を分ける戦場でフレイムの対応が正しく思う。 むしろ何も告げず此処まで来た俺らは怒鳴られても仕方ないだろうからその件は何とも思って無いから大丈夫だ」
そのもどかしい気持ちを誤魔化すかのようにクロとアルに怒鳴ってしまった事を謝罪する。