親友の男
◇◆◆◇
ここドルタニア聖王国の東の端にあるフイルド渓谷に作られた砦は今、定期的に起こる害魔獣の氾濫により緊張感が高まり非常に緊迫した空気が漂っている。
それもそのはずで今回の氾濫は今までの氾濫とは規模が違い約数倍にも膨れ上がった規模で害魔獣が溢れかえっていると砦より更に東にいる偵察部隊から報告が上げられたのである。
その報告が来てから役一ヶ月後の今日、観測結果から導き出された予報ではまさに本日魔獣がこのフイルド渓谷に雪崩れ込んで来るであろうとされる日なのである。
緊張するなという方が無理であろう。
「戦況はどうなっている?」
「はっ!只今前線部隊が交戦中でありますが二時間ほど前から魔獣の数が徐々にではありますが増えて来ていると思われます!」
そんな中、真っ赤に燃えるような美しい髪を纏め上げた、これまた美しい女性が一人の兵士に戦況を聞き出すと「……芳しく無いな」と呟き渓谷の先を睨みつける。
彼女はいつも近寄りがたい雰囲気を出しているのだが今日はまた一段と強く近寄りがたい雰囲気を出しているのが手に取るようように分かるほど出ている。
「クロ………今日が約束の一ヶ月……だぞ?覚えているのだろうな?」
「も、私、我慢、出来ません!!」
「流石に一ヶ月は長かったわね、メアにミイア」
その近寄りがたい雰囲気を倍増させている原因は、今回の氾濫が大規模になると予想され学園都市から派遣して貰った冒険者であろう事は間違いない。
「おいお前!! いい加減にしろ! 幾ら何でも緊張感が無さすぎるぞ! 戦場に女連れてデート気分なら帰れ!」
そしてやはり今回の氾濫部隊を指揮する隊長でもあるフレイム・フィアンマ隊長が切れた。
腰まで伸びている真っ赤に燃えるような赤髪を逆立て、無意識に垂れ流し出した魔力により周囲の温度を上げていく。
「どうしたのですかいきなり。叫び出したと思ったら私の夫であるクロの批判ですか?」
「どうかしているのはお前だサラ・ヴィステン! 何が夫だ! 剣帝のお前がいるパーティーと聞いたから安心していたのだが、冒険者から少し離れただけでどれだけ腑抜けになっているのだ!?」
そして激昂しているフレイム隊長に、隊長の知り合いだというサラ・ヴィステンという女性が火に油ではなくガソリンをぶち撒いていく。
隊長の髪の毛は、周囲の温度が更に上がった事により発生した上昇気流で重力を無視して天へと伸びている。
魔力の余波でこれなのだ。トリプルSの強さを垣間見て不謹慎ながらも頼もしいと一兵士に過ぎない周囲の者達は思ってしまう。
「まあまあ、落ち着いてください。 こちらも配慮に欠けていたのは謝りますので」
「黙れ! 雑魚が口を挟むな! どうせ剣帝サラ・ヴィステンを騙して付け入って………」
収まる気配を見せず激昂している隊長に対し、更に件の男性が燃料を投下し更に周囲の温度を上昇させるのだが、しかし隊長の口から男性を蔑む言葉が出始めた時周囲の空気は一変し、その空気を感じ取り隊長は言葉を止める。
そこには隊長の口を止めた五人分の視線が明確な敵意を持って隊長を睨んでいた。
「………それ以上ご主人様の事を貶すような事を言うと………殺すぞ?」
その五人の中、唯一の奴隷であろう狐族の女性が隊長に喧嘩を売るかのような言葉を投げかけるのだが、その奴隷の女性は隊長の胸に視線が行っているのは気のせいだろう。
先ほどまで害魔獣の氾濫により緊迫していた空気は、今は別の理由で緊迫していた。
「よせアル。 それにお前達もだ。 どう考えても今回は俺の配慮が足らな過ぎた為の結果だ。 隊長殿も自分含めうちのものが場もわきまえず軽率な行動と態度を取ってしまい申し訳なかった」
「ですがご主人様!!」
「落ち着けアル」
「奴隷の躾も出来ないような奴は今回の戦闘に参加しなくて結構だ」
隊長はそれだけ言うと砦の中へ踵を返し入って行く。
隊長による一方的な暴力が始まるかと思えたのだが件の男性が頭を下げ、途中奴隷の女性が不満を漏らすのだが——それを隊長が受け入れる形とは言えないものの、それでもなんとかこの場は収まった。
「全く! 全く! 全く! 何なのだあいつは! あんな枯れ枝の様な細い男性があの剣帝サラ・ヴィステンの男だと言うのか!?」
そんな訳無いだろう!! と誰も居ない寝室で声を荒げる。
それもその筈でサラ・ヴィステンとフレイム・フィアンマは昔からの冒険者仲間であり、この業界では数少ない女性友達なのである。
そんな彼女はいつも私に「理想の夫婦はトリステン夫婦であり、相手はもちろん自分よりも強い男性」だと耳が取れそうな程サラのたらればを聞いてきたのである。
だからこそサラが彼氏どころか夫とのたまった男性が、あの冴えない上に蹴れば折れそうなあの男性である。
それだけならまだしもあのクソ男はこの大事な時期、大事な場所で女と人目も憚らずにいちゃいちゃしやがってからに!
「しかも複数の女性を誑かしている上に奴隷まで! 性根が腐ってやがるんじゃ無いのか? この際だ! 私がその腐った根性を叩き直してやろうか!」
あの男性の事を考えれば考えるほど腹が立って仕方がない。
私ですらこれなのだ。価値観や自分の中の常識が似通っているサラに限ってあんな男性にキレるならまだしも惚れる筈がない。
やはりあの男性に洗脳されているのではないのか?
そう思うもあの時魔力を垂れ流したにも関わらずサラは相変わらずクロとか言うあのクソ男にゾッコンに見えた。
もし本当に洗脳していたとするならば、あの魔力の前では洗脳するに当たるパイプはズタズタになり、洗脳は解ける筈なのである。
「そしてなによりも、クソ男の事を悪く言った時のあのサラの顔だ! 男性を見る目が無いにも程があるだろう!」
思い出すはクソ男の悪口を言われ怒りを隠そうともしないあのサラの顔である。
はっきり言って、フレイムはサラを信頼していたからこそ落胆もまた大きく、それは苛立ちとなってフレイムの中を駆け巡る。
「……本当に、どうかしている」
そう呟きドッシっと備え付けのソファーに腰を落とす様に座りこんだ時、扉がノックされる音が三回聞こえてくる。
「………入れ」
「失礼します!! お休みのところ申し訳ありません!」
「良い。 で、何だ? そんなに焦ってからに」
「はい! 実は害魔獣の氾濫によってグリフォンが湧いた様です! 現在我々で対処していますが……」
「もう良い! グリフォンが湧いたのなら説明している暇などないであろう、すぐ行く。場所だけ教えろ」
こんな場所で伝令兵が血相を変え私の部屋にやって来るというだけで伝令兵が伝令する前にある程度内容を把握したフレイムは、愛刀の赤い剣を手に取るとそのまま言われた場所へと向かう。
「戦況はどうなっている?」
「グリフォンに手も足も出ず、負傷者が増える一方ですが死者はまだ出ていないのが幸いなぐらいです!」
「そうか、そんな状態で良く持ち堪えてくれた………兵を下げろ! 私が出る!」
言うが早いか私は目線の先、雇った冒険者や兵士達をまるで遊んでいるかのように薙ぎ払っている一匹のグリフォンへと駆けて行く。
それにしても目の前のグリフォンは遊んでいると言うよりも自らの強さを再確認しているかのようにも見えなくもないが、そんな事を考えるよりも今は戦う事に集中する。
グリフォンは鷲の上半身にライオンの下半身を持ち、風を操る事の出来る魔獣である。
攻撃力、防御力共に一般的な亜竜よりも劣るのだが背中に生えた大きな翼と風を操る能力により空を飛ぶ事ができ、またその飛行能力も高い。
故に討伐ランクは例外を除きAと位置づけられている。
「久々の大物だ。直ぐに死ぬんじゃあないぞ? 鷲擬き。スキル【火炎斬】」
死角を突き奇襲を仕掛けたのだが華麗に躱されてしまう。
そしてグリフォンは先ほどの攻撃した私を見つめ、威嚇するでもなく怯えるでもなく、新しいオモチャが手に入ったかのような鳴き声を上げる。
その事に私も獰猛な笑みを浮かべ目の前のグリフォンを睨み返す。
「消し炭にしてあげようじゃないか」
丁度私もムシャクシャしていたところだ。
この苛立ちを発散させるには丁度良いだろう。
「火の魔術段位ニ【炎蛇】そしてスキル【火炎斬】」
グリフォンが操る風を避け躱し懐に潜り込むと魔術で炎の蛇を出し剣に巻きつけるとそのまま炎系統のスキルで斬撃を放つ。
しかしグリフォンが操る風により完璧に阻まれ即座に後退する。
ほとんどの魔獣はグリフォンにとって脅威にすらならない。
それ程の強さを誇るグリフォンは守るという事は普段からする機会があまりなく、攻撃しか能の無いのが一般的である。
だと言うのに目の前のグリフォンはいとも簡単に私の魔術とスキルを掛け合わせた一撃を難なく風の壁により防いで見せたのである。
「………グリフォンの親か」
だとするならば目の前のグリフォンは親であると考えるのが妥当であろう。
ちなみに親というのは本当の意味で使っているわけではなく、いわゆる用語である。
その意味は「群のリーダー」もしくは「長く生きた事により知識を蓄え強くなった個体」の事を指すのが一般的である。
そう例外とはグリフォンが自在に風を操れる程の個体だった場合である。
この場合ブレスを吐ける亜竜よりも難易度は跳ね上がりブレスを吐けるワイバーンやドレイクと同等ランクSとされる。
ちなみにブレスを吐ける亜竜はA−、ワイバーンやドレイクはA+となり強さ的にはA<A−<A+と上がって行く。
「火の魔術段位三【炎柱】」
フレイムは目の前のグリフォンめがけて魔術によりできた巨大な炎の柱を三本建てる。
この魔術はフレイム・フィアンマを象徴する代表的な魔術として知られ、この魔術を同時に三柱も詠唱出来る者はこの世界では彼女しか居ないとされている。
またこの魔術の恐ろしい所は三柱同時に詠唱する事により炎柱同士が作り出す上昇気流によりお互いが絡まり、そして一つの大きな炎の竜巻を作り出す事である。
その炎の竜巻は既に魔術段位三の威力の範疇を超えている。
「なるほど、炎の柱を同時に三柱作り出す事により人工的に火災旋風を作り出したのか。 つくづくこの世界はリアルなのだと思わされるな」
「感心している所悪いのですが、遠目から見てもフレイム・フィアンマは攻めあぐねているように見えます。 助けに行かないのですか?」
この世界はゲームでは無い。 故に起きる現象を目の当たりにし、未だどうしてもゲーム感覚で魔術やスキルを扱おうとする固定概念があるクロは目の前の奇跡に感心しきっているとサラが横から話しかけてくる。
確かに、フレイム・フィアンマが作り出した火災旋風はグリフォンに接触した部分から炎が消えていっているのである。
グリフォンは風を操っているのではなく空気そのものを操っている証拠であろうそれはフレイム・フィアンマらからすれば炎が効かない事を意味し、最悪の相手であろう事は間違いないであろう。
「確かに、フレイム・フィアンマの方が分が悪そうだな。 多分グリフォンは自分の周りに真空の壁を作っているのだろうな……だが、助けに行きたいのは山々なのだがフレイム・フィアンマ直々の命令を受けているため戦場に赴く事ができない」
フレイム・フィアンマの魔術を分析したクロは次に戦況とグリフォンが炎を防げている理由を分析し始めながらサラに助太刀はしない事を告げる。
「なら私が行っても良いですか?」
しかしその内容はあくまで自分は行けないと言っている為自分が行くと言うとクロはクツクツと笑い「ああ、あのヒス女を助けてやれ」と返して来る。
「本当、素直じゃないのですから」
なんだかんだ言いつつバフをかけてくれるクロにサラはそう答えると「ふふ」と笑い、笑みを浮かべると行って来ますねとまるで遠足に行くかの様にグリフォンの元へ駆けていく。