◆発情期◇
「だがメアの親父さんは冒険者で相当な実力だったのだろ? 何で妻が一人なんだ? メアの言い分だと何人も妻がいてもおかしくないと思うんだが」
※
そうボストンの存在が身近にいるためいまいちピンと来ないのである。
未だに現役の冒険者に畏怖されている存在でも妻はゼニス一人である。
「あぁ、あの二人は特殊でな、お互いにお互いを守り守られる存在、パーティーの延長戦上として結婚したようなものでな、逆に妻が一人しかいない事こそが父さんの、また母さんの強さと実力を物語ってるんだ。父さんの実力に見合う女性は母さんしかいないと。まあ、母さんが独占欲が強く嫉妬深いってのも有るのかもしれないのだが」
なるほど、ボストンに妻が一人しかいない理由は妻ゼニスが原因で間違いない。前半はボストンの建前と妻が一人しかいない言い訳だろう。
「あと金銭面の問題もあるな。妻の数だけお金が掛かる上に妻が多いということは子供はその倍以上になるだろうからそこにも大量にお金が掛かる。だからほとんどクロの国と同じく市民は一夫一妻が一般なんだ。それから一夫多妻といえど妻に内緒で愛人を作った場合は…………わかるよな?」
「あ、ああ。それはもう熟知しております」
一夫多妻と言っても現状は俺の世界と大差ない事に男の夢はやはり夢なのだと知る。妻か愛人かの違いはあるが異性を囲う一番の近道は財が必要というのはどちらの世界も同じという事なんだろう。
そして妻に内緒の逢瀬は妻にバレたらどちらの世界も同じなんだろう。メアの目が昔俺が浮気してると勘違いした時の妻と同じ目がその事実を物語っている。
未だにトラウマの記憶を彷彿とさせる今の状況は精神的に辛いため話の内容を変えてみる。
「ところで、話は変わるんだが……精神安定剤があればいいんだよな?」
「いいかクロ? 一夫多妻だからといえ浮気は…………え?」
「いやだから精神安定剤持ってるんだが?」
毎日闇金に追われる生活してると睡眠薬と精神安定剤は必需品となるので自殺する日も持っていた。実際にストレージ内を確認するとやはり精神安定剤が一週間分入っていた。
あれから十分後、涙目になり穴があったら入りたいといった風に顔を真っ赤にし、メアの影に隠れながらクロを見つめてくるミイアと、左頬にくっきりと紅葉型の痕を残し床と一体化しそうなほど見事な土下座をするクロがいた。
「なんで精神安定剤を持ってるなら最初に出さないのよ! ミイアが発情しているのをいいことにあんな、あんな…羨ましい…じゃなくて!」
そしてメアは十分間この調子でクロを責め立てている。つい出来心なんだとは言えない空気である。異世界なんだ。猫耳娘がいたら撫でくりまわし耳を触りモフりたいと思うのは一地球人として当然の感情で男性代表としてやらなければならない使命なのだ。俺は悪くない。
「で、何かミイアに言う事はないのか?」
無いとは言わせないとメアが圧力をかけて来る。俺よりも一回りも下のメアなのだが、我が妻を彷彿とさせるだけの異性としての圧倒的なオーラを放っている。将来有望である。
「ミイアさん、今回の事は本当に申し訳ない!」
「いえ、私もご迷惑をかけてすみません」
「婚約しろ」
「これ、まだ一週間分ありますので良ければ全部もらって下さい」
「あ、ありがとうございます」
「婚約しろ」
「いえいえ。ちゃんと効果があって良かったです」
「……はい」
「婚約しろ」
もうね、ホラーですよメアさん。ミイアも何故か期待した眼差しで俺を見つめてくるし…。
「私のミイアにどこか不満があるのか!?」
お前のなのかよ。
別に不満なんてあるはず無いのだが…。
「いや、ミイア本人の気持ちがどうなのかっていうのもあるし、何よりもミイアのご両親に挨拶もなく決めていいものなのか?」
「わ、私を女にしたのはクロさんです」
潤んだ瞳でそんなことを言うのはやめようね。別の意味にしか聞こえないから。
そういう趣味は無いので未成年に手を出したみたいで心が痛む。
「それから私の両親は流行病で死にました。ですので両親の了承もいりません」
なんだか悪い事を聞いたみたいになったので謝罪すると「大丈夫です。昔のことですから」とかえされた。
ミイアの中ではもう過去のこととして気持ちの整理はできているのだろう。
それから長い沈黙が訪れ、耐え兼ねた俺はミイアとも婚約することになった。このことを元の世界にいるだろう妻が知ったら間違いなく命はないだろう。そんな事を思うと罪悪感と共に懐かしさがあふれてくる。
その光景をメアは一つ肩の荷が下りたような表情で眺めていた。
ミイアと婚約した翌日、クロは窓から射す太陽の光で目を覚ます。昨日のような朝特有の肌寒さはなく代わりに人肌の心地よい暖かさがクロを包んでいた。
その原因はすぐにわかった。クロの右隣りで「すー…すー…」と規則正しい呼吸を繰り返すミイアがいたのだ。
ちょうどその時ドアから視線を感じたので見てみると少し隙間が空いており好奇心の塊のような目線と目があった。
その目の持ち主は目線があった途端「お父さあぁぁん! ねえねえのこんやくしゃが別のおんなとねてるうぅぅぅ!」と走り去って行った。
◇◆◆◇
寝静まった町に黒い外套を着込み一人の男性が雄月と雌月、二つある月に照らされながら歩いていた。月に照らされたその顔は醜く、怒りに顔が歪んでいる。
「くそっ! くそっ!」
その怒りの原因は二本角の男性である。アイツが来なければあと少しであの憎たらしいメアを手に入れ、好きに出来たというのに、男と一晩過ごしたという事はメアはもう処女ではないのだろう。
処女じゃないというのは自分の美学に反する為にメアの価値は無くなったも同然である。
自分より強い異性、自分を嫌ってる異性、自分の顔を見て嫌悪する異性、自分を見下す異性、それがメアである。
そんなメアを無理矢理押し倒す事を想像するだけで興奮する。
しかしもう彼女は他人の物だ。あと少しで彼女が泣き叫ぶところを見れたというのに。
「殺す…………もう殺す。僕を裏切ったらどうなるか思い知らせてやる」
そう言うと男は懐から黒に近い紫色をした平均よりも少し大きなビー玉のような物を取り出すと地面に落とすと、それを踏み砕く。
「僕は悪くない。悪いのは全部メアだ。この町だ。ぼ、僕をバカにしたゴミ虫達もこの町も絶対に許さない……俺は悪くないんだ。この僕を怒らせたらどうなるかお、思いしれ」
男はそう言うと不気味な含み笑いをしながら闇の中へと消えていった。
翌日、領主の一人息子、ギルム・ハドラク・ガルシアが人知れず姿を消している事がわかり、領主宅は朝から慌ただしく使用人達がギルムを探し出す。
そしてノクタスの町に静かにしかし確実に死が訪れはじめている事に誰も気付ず、町はいつもの活気に溢れるのであった。
「お客さん、本当にこんな辺境の地まで行くのかい?死んだら終わりですぜ? 悪い事は言わないから今からでも考え直して損はないと思うんだが……わざわざ魔族が住む地の国境付近に行くなんて。なんでも最近魔王が動き始めたという噂もあるぐらいですぜ? あっしも金銭貰ったからにはちゃんと仕事はこなしますが……」
荒れた大地を一つの馬車が西へと走っていた。その先には魔族が生活する国がある。
「構わない。僕はどのみち人間の世界にはいられないからな」
客である男はそれだけ言うと小さくそして嬉しそうに笑い、後は言葉を発する事はなかった。
魔族側の国境付近には重罪を犯した人が逃げる為に使う手段であるため、運び屋もそれ以上深くは聞かなかった。
発情期※発情状態の時期。特に、交尾して妊娠可能な時期。落ち着きのない特徴的行動を示す。交尾期