第九話 (元)冒険者さんと商人さんと銀のりんごのアップルパイ
冒険者さんが、うちの店に住み込みで働くことになった。その夜、ギルドの受付嬢さんに一応異世界で言う携帯電話に似た伝達魔法板で話をすると普段はクールな受付嬢さんも心底ほっとしたようで、良かったわと何度も繰り返していた。「仕事忙しかばってん今度飲み行きがてら様子見に行くけんね。」となぜか方言で言われた。酒でも飲んでたんだろうか。
寮から荷物を取りに行った冒険者さんが、明らかにサイズの合っていない誰かの着古したお下がりの服と小さなボストンバッグ一つで帰って来た。「これで全部なんです。」と恥ずかしそうに笑う。半年近く寮に住んでて荷物もなく洋服や身の回りの品にまで事欠いているような生活を思い、思わず胸が痛む。なるべく不自由をさせないように心に誓った。とりあえずこの家に住んでから定期的に掃除はしているものの誰も入ったことのない部屋に通す。
「古い部屋だけどごめんね。ここを今日から君に使ってもらうことになるんだけど…。」
「わあ…あ…ありがとうございます!」
かつては来客を泊める場所として使われていたんだろう、舞台の緞帳のような重いゴブラン織りのカーテンと上質で重厚といえば聞こえはいいが少女には少々重苦しい異世界でいう仏壇に似た黒檀の調度品に、ベッドだけは普通のシンプルな白いセミダブルベッドだが、全体的にサスペンスホラーの映画に出てきそうというか、あまり寝心地が良さそうな部屋にも思えない。花でも飾れば良かったかなと頭をかくと、元冒険者さんはぽろぽろと涙をこぼした。マズい、怖がらせちゃったかな。
「とりあえず、し…しばらくはこの部屋で寝てもらってもいいかな…?。もう少ししたら改装して綺麗にするから、少しだけ何もないけど我慢してね。」
「い…いえ!こんな素敵なお部屋…!こんなに良くしてもらって…私、幸せです!」
涙をぬぐいながら笑う元冒険者さんに思わず胸を打たれる。反射的に頭を撫でた。くすんだ灰色の髪の毛はお風呂に入れると、髪型は冒険の邪魔になるとナイフで乱暴に切ったせいか妙にガタガタながらも髪色は柔らかなダークグレーになりサラサラと流れた。元冒険者さんは気持ちよさそうに目を細めてそのままにしている。本当に子犬のようだ。
しかし、生活がこれまでとがらっと変わるわけだし、しばらくはギルドを脱退する手続き等の為に休みをとらせているが、やはりこの店で働くための制服は必要だろう。それに少女らしい普段着や身の回りの品、ひょっとしたらぬいぐるみの一つもほしいかもしれない。あまり忙しくない昼の間や閉店後は学校に行かせるべきだろうか。さしあたって明日はまだこの世界にいると聞いているし商人さんを呼ぼう。まるで妹でもできたかのようだな…と思わず笑みがこぼれると元冒険者さんは、きょとんと不思議そうな顔をしていた。
「へーっ!料理人さん可愛い子見つけて来たねーっ!はじめまして!アタシ商人やってるの!宜しくね!」
「あ…あの。はじめまして…。」
早速いつものフレンドリーかつハイテンションな商人さんの洗礼を浴びた元冒険者さんは相当面食らったようだった。異世界風の服装をして欧米人ともアジア人とも日本人ともとれるどこか洗練されたエキゾチックな雰囲気に女性なら誰もが羨むような、細身だが出るところは出たモデルのようなスタイルの良さ。アーモンド形のいたずらっぽい小悪魔の目と少し口角の上がった子猫のような唇をして、赤みがかったショートカットの髪も滑らかで肌理の細かいシルクのような肌も手入れが行き届いている。エルフさんが満天の星空や美しい森のような自然の生み出した美だとしたら、商人さんはビルから見える夜景や計算し尽くされた庭園のような都会的な美貌だった。そんな都会的な美女がまるで異世界でいう女子高生のようにきゃっきゃとはしゃいでる姿は元冒険者じゃなくてもギャップに戸惑って当然だ。でも自分とさほど年齢も変わらないであろう彼女のそんな姿は、どこか幼い印象を与え何だか可愛らしく思えた。
「あのさ、商人さん。この子に…。」
「わーかってる!わかってるから!とりあえず髪の毛カットして服と小物と下着だよねーっ!あと制服ってとこ?櫛とかブラシは家にあるんだっけ?でもやっぱ専用の欲しいよね?化粧品はいらないとして…まあそろそろ…。」
「あの…私持ち合わせが…。」
「いいのいいの!今日はアタシのおごり!その代わりアタシの趣味で合わせてもいい?」
「は…はい!勿論です!」
「え?!いいの?商人さん!?」
サクサクと話を進めていく商人さんに戸惑いながら、さすがにかなりの出費を覚悟していたせいで商人さんのおごりという言葉に元冒険者さんだけではなく自分まで面食らう。商人さんは明るい笑顔のままだが、微かに目を伏せてどこか寂しそうな表情をしていた。商人さんとはこの世界で一番か二番目に付き合いが長いけど、こんな顔をした彼女を見るのは前に一度きり。異世界からこの世界に来てさほど時の経たない頃に商人さん…当時まだ彼女は高い実力を持ちながらも、家柄や血筋に恵まれないせいで低い階級に甘んじているただの魔法師だった。そして私は…。
「あーっ!料理人さん!また嫌なこと思い出そうとしてる!えー?それともアタシの事惚れなおした?今すぐお嫁さんにしたいってキャーッ!冒険者さん…って今は違うんだっけ?アタシの事お母さんって呼んでもいいよ!」
「え…あの…?ど…どうしよう…。すみません!私、田舎に家族が…。」
「いやそれはないから。冒険者さん…じゃなかった君も商人さんの言ってること真に受けなくていいから。」
「いやいや、一瞬でも考えて!可能性!可能性大事だから!」
いつもの明るい商人さんに戻ってほっとする。でも、その明るさも彼女の処世術の一つだと思うとどこか胸が痛んだ。
「じゃっ!料理人さん彼女借りてくねーっ!小一時間したら戻ってくるから!楽しみにしててねーっ!」
「あ…あの、行ってきっきゃああああああ!!!!!」
「アタシからなるべく離れないでねー!すぐ終わるけど怖かったらしがみついてていいからねー!」
「きゃあああああ!行って…行ってきま…ひゃああああ!」
商人さんが空中に指で簡単な印を描くと彼女と元冒険者さんの足元がふわりと浮き、青い光に包まれたかと思うと銀色の火花を散らして吸い込まれるようにどこかに消えていった。異世界にでも転移したんだろうか。商人さんと一緒だから危険なことはないだろうけど、元冒険者さんには少し刺激が強すぎるかなと心配になった。とりあえず帰ってくるまで商人さんの大好きなスイーツでも作るとするか、とシンプルな黒いカフェエプロンを腰に巻いた。
※後半に続く
※今回は前後編の為レシピはお休みです。