第五話 エルフさんとトレントの紅茶 後編
エルフさんにトレントの紅茶を淹れる。トレントは樹人と呼ばれる人面樹で、知能があり木々のざわめきに似た独自の言語を操るという。どちらかと言えば植物というより生物なのかな。その葉は加工して乾燥させると上質な茶葉になる為に、トレントの多くが生息するエルフの森の重要な輸出品になっているらしい。トレント自体はとても温厚で大人しく、熟練の茶摘みなら葉を毟られても身動き一つしない。そのかわり怒らせると力自慢のオーガやトロールですら太刀打ちできない程の怪力で暴れだして、大人しくさせるのも一苦労だ。
「茶摘みってたまに手伝わされるんだけど、すっごく面倒臭いのよ。葉でも上の方しか取っちゃダメとか葉の芽しかダメとか。私そういうチマチマした作業ってほんっとイライラする。」
エルフさんはカウンターに肘をついて子供のように口を尖らせる。そんな風にしてても折れそうな程華奢な手首に節の見当たらないすんなりと細くて長い指、桜色をした整えられた爪が自然と目に入る。思わず水仕事でささくれ立った自分の手と見比べる。エルフさんは手まで綺麗だ。
「エルフさんそういう細かい作業苦手そうだもんね。」
「それ以前に私が茶摘みやろうとするとトレントが逃げ出すんだもの。それ捕まえるとこからスタートすんのよ?もうほんと面倒くさいったら。」
「あのトレントが逃げ出す程って…あはは。普段どんなやり方で茶摘みやってるのか想像がつくよ。」
紅茶も緑茶も烏龍茶もプアール茶も加工や発酵度合いによって違うだけで、実は同じ植物の茶葉から作られている。酸化発酵が始まらないうちに加熱し手や機械で揉んだりした後に乾燥させた緑茶や、烏龍茶に代表される半発酵茶、そして今淹れようとしている暗紅色をした全発酵茶の紅茶。エルフの森のトレント紅茶は異世界で言うところの最上級のダージリンに似ていて、神話の国のユグラドシル・仙族の里の仙桃と並んで世界三大紅茶と言われているらしい。
汲みたての井戸水を火炎魔法で一気に沸かす。ケトルに水を注ぎコンロに乗せて「沸騰したら火を止めて、摂氏95℃になったらそのまま保温」と蓄魔法札に触れながら命令する。畜魔法札と呼ばれる術式の書かれた札には魔法師が注入した魔力を貯蓄されていて、異世界でいうバッテリー電池によく似ている。複雑な命令もちゃんと実行してくれるし貯蓄できる魔力の量も普通の札とはケタ違いなだけに、ただでさえ高い蓄魔法札の軽く見積もっても数倍…数十倍はくだらないだろう。多分この札と同じくらいの性能の札は王国内じゃ王宮の厨房くらいにしか置いてないんじゃないかな。この札も、とある国のとある城で使われていた物なんだけどそれはまた別の話。
「95℃ってなんか意味あるの?」
「紅茶に一番適した温度…らしいよ。紅茶の淹れ方も千差万別だけどね。」
戸棚からエルフさんが「私これでしか飲まないから。覚えといて。」と持ち込んできたエルフさん専用の水よりも透き通ったクリスタル製のティーセットを出すと、空のティーポットとカップにお湯を注いで少し待つ。
「ねえ、前から疑問なんだけどこれ何か意味あるの?」
「ポットとカップを温めてるんだよ。紅茶はできるだけ温度を冷めないようにした方が美味しいからね。」
「へー。ちゃんと理由があるのね。」
ポットのお湯を捨てると、トレントの茶葉をティースプーンでポットに入れる。小さい茶葉だと中盛だけどトレントの茶葉は大きめだから山盛り一杯。紅茶には収穫された時期によって、春に摘んだ緑茶のようにフレッシュな味わいのファーストフラッシュ、初夏に摘んだ香りが高くこれぞ紅茶という王道の味のセカンドフラッシュ、秋に摘んだ濃厚でこっくりとした味わいのオータムフラッシュと三種類に別れているけど、エルフさんは香りがいい紅茶が好きなのでセカンドフラッシュの茶葉を入れた。
茶葉を入れてすぐ95℃に保ったお湯を入れてすぐにフタをして蒸らす。お湯を注がれた瞬間茶葉が一旦散って紅茶の色を滲ませながら半分は水面に浮き、半分は沈む。それから対流によってかき混ぜられ上下に浮き沈みする茶葉をエルフさんはエメラルドの瞳で瞬きもせずにじっと眺めていた。
「私透明のティーポット大好き。紅茶の葉っぱがふわふわ上下に動くでしょ?あれ見るの好きよ。」
「それはジャンピングって現象だよ。お湯の中の空気と対流で起こる現象で、昔はジャンピングを起こすのが紅茶の絶対条件って言われてたんだけど、最近はそこまで重要視されなくなって来たみたいだね。」
保温の為にティーコゼーという名前のミトンに似た厚手のキルト生地で出来た覆いをポットに被せて紅茶を蒸らす。時間にして3~4分といった所だけど、濃い目の紅茶が好きなエルフさんの好みに合わせて5分程。その間にエルフさんと前からしてみたかった話をする。
「ねえ、エルフさんって人間のこと嫌い?」
「えっ?!急に何よ!まあ…私はね、言うほど別に人間のこと嫌ってるわけじゃないわ。あの商売女?女商人?は別だけど。」
「商売女と女商人じゃだいぶ意味違うけどね。」
女の子の前じゃ言わないけど商売女だと娼婦とか「そういう」意味になっちゃうし。
「ど…どっちでもいいじゃない!正直、私含めてエルフの殆どは人間の確執っていうの?そんなのどうでもいいんだけどエルフ自体が勇者さんと魔王さんの戦争が終わってから、ジリ貧というか落ち目なのよね…。」
「そういえば勇者さんと魔王さんの戦いでだいたいの種族はどっちかについてたけど、エルフは最後まで中立だったよね。」
「長老共がどっち側につくかさっさと決めりゃあ良かったのに、いつまでたってもグズグズしてるから結局コウモリなんて呼ばれて馬鹿にされるハメになるし最悪よね。どっちでもたいして変わりゃしないのに。」
エルフという種族は美しい容姿と豊富な森林資源のせいかプライドが高く保守的で時代の変化に取り残されがちな性質があると思う。まあ逆に言えば誇り高く慎重な故に今まで生き残ってこれたんだろうから、長老達のやり方も間違ってはいないんだろうけど。
数年前に世界を二分した戦いは勇者さんが魔王さんを倒したことで終結し、世界に平和宣言が発令された。どちらの派閥についていても別け隔てなく、世界中のほとんどすべての国は『あらゆる種族が平等で一致団結して平和な世界を目指す』のを目的とした世界連盟に加入することになった。そのスローガン自体は立派なんだけどやはり建前は建前で。世界連盟の中でも勇者さんを召喚した王国を中心とした勇者派が厚遇されていたり、魔族を中心とした魔王派が冷や飯を食わされていたり。どこの世界でもたいして変わらないんだな…。大きな戦争は目立って起きていない代わりに、小競り合いはそこかしこで起きているらしいし。これが生物としての業なんだろうか。
「まあ、私は人間自体にあんまり興味ないんだけど…あっ料理人さんは別よ?ただ最近人間がエルフの森との国境近くで密猟っていうの?勝手にエルフの森にしかいない原種だとか貴重植物やら盗むバカがいるのよねえ…。まあそれ買い取るバカな商人も悪いんだけどね。」
「ねえ…まさか違うとは思うけど商人さん嫌ってる理由って…?」
「違うわよ。あの女ムカつくけどそんなセコいことなんてしないでしょ。ただ料理人さ…何でもない!人間の癖にエルフよりもバカみたいな魔力持ってるからいけ好かないだけよ。あと着痩せするのにおっぱいデカいし。」
おっぱいはともかく…確かに商人さんの性格置いといても時空転移も簡単にできるほどの高位魔術師なんだし、わざわざリスク犯して密猟品なんかに手出す必要もないよなあ。しかも商売は道楽でやってるからって言って、異世界産の超高級食材も市場価格考えたらほとんどタダみたいな値段で分けてくれてるのに。それにしても、エルフさんは嫌いといいながらよく商人さんのことフェアな視点で見てるんだな。
「いないお客さんのこと話すのはほんとはマナー違反なんだけど、商人さんはいい子だよ…ちょっと変わってて人をからかうのが好きな子だけど。」
「……あの女、これだから嫌い。」
時計を見るとそろそろ5分、なんか変なこと言っちゃったかなと思いつつもティーコゼーを外して前に注いでおいたティーカップのお湯を捨て、紅茶を温めておいたカップに注いで出す。付け合せにガラスの壺に入った焼き菓子を少しと、小山ほどもある黄金色の聖牛から採れた生クリームをホイップにしたものと、砂糖の代わりに秋に作った銀のりんごのジャムも添える。
「はい、エルフさん紅茶入ったよ。」
「あ…ありがとう。へー香りはいいんじゃない?水色っていうの?色も澄んでて綺麗だし。お菓子も美味しそうね。」
一口飲んでエルフさんはほうっと溜息をついた。長い耳とツインテールがさらさらと揺れた。
「美味しい…マスカットみたいな香りがして、甘みとコクがあるのにスッキリしてて。りんごのジャムも甘酸っぱくて美味しいし。トレントの紅茶にすごく合ってるわ…。や…やるじゃないの。認めてあげるわ。」
「認めてもらって嬉しいよ。エルフさんは本当に紅茶が好きなんだね。」
一般的なダージリンやトレントの葉じゃら作られたトレント紅茶の、さらにセカンドフラッシュと呼ばれる初夏に摘んだ茶葉の中でも一部のお茶にはマスカテルフレーバーと言われるマスカットの果実や清涼な森の木に似た独特の香気がある。異世界の茶葉はマスカテルの成分は茶葉につくウンカという虫の体液だって聞いたことがあるんだけど、トレント茶の場合も同じなんだろうか。
マスカテルの香りを楽しむエルフさんは頬が上気して普段の美しさに、さらに穏やかな空気を纏っていて。りんごの木の木漏れ日が柔らかく窓に射して本当に絵画のようだ。いや、絵にも現せないな。写真でもダメだ。エルフさんの美貌や表情だけじゃなく、穏やかな空気と紅茶の香りはどんなに優れたカメラでも魔法を使っても、その場に縫い止められるはずがないのだから。
「私ってせっかちだから、ゆっくりできるのって料理人さんが紅茶を淹れてくれている間だけなのよね。だから紅茶頼むのが好き。」
「好きなだけゆっくりしていくといいよ。私にとってもエルフさんみたいに綺麗な人は見ているだけで目の保養になるからね。」
「ちょ…っ!バッ…もう!あーっ!もう、何なのよ一体!普段鈍感な癖に…ってそういう事言いたいんじゃなくて!」
「エルフさん大丈夫?私、何か失礼な事言っちゃった?」
「いいから紅茶のおかわりとジャムよこしなさいよ!もう…料理人さんのバカ…。」
急にいつもの怒りんぼなエルフさんに戻って思わず苦笑する。でもこっちの方がエルフさんらしいな。風が吹いたんだろうか。銀のりんごの木からさわさわと、トレントの喋り声のようなざわめきが聞こえる。ふくれっ面のエルフさんの為に、もう一杯。ポットの紅茶をカップに注いだ。
トレントの紅茶のレシピ
材料…トレント紅茶 ティースプーン山盛り一杯分(なければダージリンティー) お湯
1.やかんに汲みたての水道水を沸かし沸騰させる。温度計がある場合は95℃、なければ小さな泡から水面が大きく波打ちだした瞬間に火を止める。但し自宅で飲む分には沸騰したお湯でも特に問題なく淹れられるかと思います。
2.ティーポットとティーカップに湯を注いで温める。十分温まったら湯を捨てティースプーンでブロークンといって茶葉が細かい場合は中盛程度、リーフという葉の大きな茶葉の場合は山盛り一杯入れる。
3.お湯を注ぎ3~4分待つ。その間ティーコゼーで覆い保温する。
4.カップに注いで飲む。トレント紅茶の場合はミルクティーよりもそのまま飲むストレートが美味しいようです。焼き菓子やジャムを添えると一層美味しく召し上がれます。