第三話 商人さんとコカトリス卵のパンケーキ
「料理人さん久しぶりー!相変わらずカッコいいねー!」
「商人さんも相変わらず元気そうだね。」
いつものように商人さんは、細身の身体に似合わぬ大きなリュックをしょって現れた。カットしたばかりのように整えられた赤みがかったショートカットに好奇心旺盛な猫のような目をしていていたずらっぽく笑う。小悪魔なんて言葉がよく似合う。この世界にはありえない異世界産のやたらポップな色合いの短いワンピースを着て長くて細い脚にピッタリとフィットしたくるぶしまでのズボンを履いる。サンダルはこの世界のものだけどアクセサリーはごちゃまぜ。騒々しいが彼女によく似合っていた。ものを1/10以下に小さくする圧縮魔法をかけているリュックでもこの大きさなら、本来はどれほどの品が入っているんだろう。
「いやー、異世界はほんとゴミゴミして疲れるわー。ほんとあそこは住む所じゃないよね。まあでも、ホテルは良かったよ。リョカンだっけ?あっちの方が好きだけど。」
「…今回はどれくらい向こうにいたの?」
「1週間くらいかなあ。ほんとは転移魔法局に滞在期限10日で申請してたんだけどホームシックっつうの?りょ…料理人さんの顔が見たくってさ。」
「はいはい。冗談はいいから。」
勇者さんが異世界から転移してきた時に使う転移魔法は昔は王国でも最高の術者が命がけで行っていたものだったが、今では魔術も発達して、商人さんの話では世界に数百人程度ながら高位魔法を扱えるほどの魔力を持った人間なら使える術者も増えてきた。どこの世界にも悪い奴はいるもので異世界人の誘拐未遂事件や窃盗事件を起こす不届き者がいたり、時空転移に伴うトラブルも増えてきた為という名目で(本当のところはわからない。政治というのはどこもそんなもんだ。)登録制になり、時空転移の際には滞在期間と目的を届け出なくてはならなくなったらしい。
つまり、こんなに明るくてフランクなのに商人さんは世界に数百人の高位魔法を自在に扱える天才的な魔術師ということになる。異世界風の格好をしているのもさりげなく高位魔術師というアピールをしているわけで、その効果たるや強盗や山賊が姿を見ただけでその場から半べそをかきながら裸足で逃げ出すほどだと笑いながら言っていた。…実に恐ろしい。
「えーっとねえ。注文してたベーキングパウダーでしょ、お好み焼きソースでしょ、みりんでしょ…。」
商人さん自体が寝袋に使えそうなほど大きなリュックからほいほいと品物を出していく。リュックから品物が出た瞬間に圧縮魔法が切れて、元の大きさに戻るのは何度見ても不思議な光景だ。しかも何か特殊な魔法がかかっているんだろうか。名前を呼びながらリュックに手を入れるだけでその品物が簡単に手に収まるとはまるでポケットから物を自由自在に出すという異世界の…。
「はい、これが異世界品の注文の品全部ね。」
「あっ…ごめんぼーっとしてた。」
「もうっ!料理人さんったらアタシに見とれちゃってた?照れるなあ。」
「いや違うから。」
何故か顔を赤くする商人さんに冷静にツッコミを入れる。調味料なんかはこの世界でもだいぶ異世界に引けをとらないクオリティのものが作られるようになったものの、やっぱり異世界でしか手に入らないものはまだまだ多い。異世界に転移できるほどの高位魔術師というのはだいたい学者タイプや商人さんいわく異世界語で言うコミュショーが多いらしく、商人さんのように商売で転移魔法を使うのはごく僅か。王国の中でも王宮や王侯貴族が顧客の超高級レストランでの利用がほとんどで、一般庶民の市場には滅多に出回らず本来は目の玉が飛び出るほど高い。値段のことは置いておくとしてもうちのような小さなレストランにはとてもとても回ってくるはずもないのに、なぜか商人さんはそれこそ王宮よりも優先的にうちに商品を回してくれるのだ。…理由はわからないけどね。
「じゃあ次はこっちの食材ね。聖牛のミルクでしょ、マンドラゴラでしょ、世界樹の根っこと樹液でしょ…それとそれと…そうそう、これたまたま手に入ったんだけどオマケにあげる。」
「へーこれコカトリスの卵じゃないか。これ珍しいなあ。よく手に入ったね。」
コカトリスは雄鶏の身体に蛇の鱗と尾を持つ魔獣で見ただけで人を殺したり石に変えるという危険生物だ。その捕獲難易度の高さゆえに熟練の冒険者やエルフの狩人でも滅多に仕留めることは難しく、卵になると同じ重さの宝石よりも価値があると言われている。いくら商人さんとはいえ手に入るのにも一苦労なはずのこんな貴重なものをくれるなんて…。
「そうだ、商人さん。これでさ美味しいスイーツ作るから待っててよ。」
「…えっ、いいよぉ…そんなの…。」
「いやいや、商人さんにはいつもお世話になってるからさ。コーヒーでも淹れるから座って待ってて。」
まずはコカトリスの卵を白身と黄身に分けるところから始まる。コカトリスの卵は石のような見た目のわりに普通の卵と変わらない強度で簡単に割れた。手でそのまま摘めそうな黄身といい、白身の盛り上がりといい実に新鮮な卵で武者震いがする。小麦粉をふるいにかけると先程商人さんに届けてもらったベーキングパウダーと塩を混ぜ、別のボウルに乳脂肪分が高くてコクのある聖牛のミルクと砂糖、隠し味の聖牛のミルクを発酵させたヨーグルトを混ぜる。ヨーグルトが口当たりの滑らかで軽いパンケーキを作る秘密でもある。それにコカトリスの卵黄を混ぜてさらにふるった粉を加えて混ぜる。残してある卵白には砂糖をほんのちょっと入れて、泡立て器でメレンゲを作った。その間、弱めの火炎魔法でフライパンを温めておく。
「ほんと料理人さん手際いーねーっ。魔法みたい。」
「本物の魔法使いに言われると恥ずかしいな。」
メレンゲをさっきの生地に半分ほど加えてからさらに残りの半分を入れ泡を潰さないようにして混ぜる。
温まったフライパンに聖牛のバターを溶かし生地を流し込んでフタをする。パンケーキは簡単そうに見えて火加減が難しく、弱火すぎては膨らまないし、強火すぎても焦げてしまう。自動調節してくれる火炎魔法様々だな…と元気な真っ赤な髪の火炎魔法師さんとクールな青い髪の冷気魔法師さんのデコボココンビのことを思い出した。最近会ってないけどあの二人もケンカしながら元気にやってるんだろうか。
そんなことを考えてるうちに流し込んだパンケーキの表面にポツポツと穴が開いてきたのでひっくり返してまたフタをする。ちょうどいい狐色に焼けて甘い香りがしてきた。
「ああーっほんといい匂い!アタシスイーツ大好き!」
「異世界でもスイーツ食べ歩いたんじゃないの?」
「うん、でもココのスイーツには全然叶わないよ。お腹空いたぁ!」
フタを開けふんわりと狐色に膨らんだパンケーキを皿に重ねて粉砂糖を振る。その上に聖牛のクリームから作ったバターを乗せたっぷりの甘い世界樹の樹液をかけて…『コカトリス卵のパンケーキ』完成。
「さあ、召し上がれ。」
「やったあ!いっただっきまーす!」
商人さんがナイフを入れるとふわりと甘い湯気が立つ。パンケーキの熱でとろとろに溶けた聖牛のバターと、世界樹の樹液をたっぷりと絡めて口に運ぶ。
「うーん、凄く美味しい。パンケーキがふわっふわなのにしっとりしてて、でも凄く軽いの。何枚でも食べられそう!それに聖牛のバターのコクと世界樹の樹液のさらっとした甘みがすごくよく合ってる!」
「鬼蜂のハチミツよりもこっちの方が甘みがさらっとしててパンケーキに合うと思ってね。」
「ほんと美味しい…ああ…ほんと好きになっちゃうよお…。」
「商人さんは本当にスイーツ好きなんだね。」
「…料理人さんのばーか。」
さっきまで美味しい美味しいってご機嫌だったのに急にほっぺた膨らませて、女心は難しいもんだ。
「商人さん、これからどうすんの?」
「うーん、一応王宮とか贔屓の店に顔出しとかないと面倒臭いからなあ。あいさつ回りが終わったらちょっとゆっくりしてまた異世界で仕入れの旅かなあ。一緒に行く?異世界。料理人さん一人くらいなら平気だよ。」
笑いながら首を振る。
「いや、やめとくよ。」
「そっか…。じゃ、アタシそろそろ行くね。」
商人さんは大きなリュックをまた担ぐと店の出口に向かった。…扉よりもはるかに大きなリュックなのによくぶつからずに通れたもんだな。
「じゃあ、またね。料理人さん。今日はほんとご馳走してくれてありがと。大好きだよっ!」
「いやいやこちらこそ。いつもありがとうね。」
「もうっ、ほんっと料理人さんのダメなとこはこういうとこ!」
ほっぺたを膨らますフリをして笑う商人さんが帰り際に振り向いて言った。
「料理人さん、気持ちはわかるけどさ。たまには帰ったら?異世界。じゃあねっ!」
コカトリス卵のパンケーキのレシピ
材料…コカトリス卵…2個 小麦粉…100g 聖牛の乳…60cc 砂糖…20g 聖牛のヨーグルト…40g ベーキングパウダー…適宜 魔海の塩…適宜
1.コカトリス卵は卵黄と卵白にわけておく。小麦粉をボウルにふるい塩をベーキングパウダーを混ぜておく
2.聖牛の乳と砂糖とヨーグルトを混ぜコカトリスの卵黄をくわえて混ぜ、塩やベーキングパウダーを入れふるった小麦粉を混ぜる
3.コカトリスの卵白に少量の砂糖(分量外)を入れ泡立ててメレンゲを作る。
4.2の生地にメレンゲを最初は半量入れて混ぜさらに半量入れて混ぜる。泡を潰さないようにするのがポイント
5.中火から弱火で熱したフライパンに聖牛のバターを溶かし生地を流し込みフタをする。フツフツと穴が開いてきたらひっくり返してさらにフタをし、狐色になったら完成。好みで粉砂糖を振り聖牛のバターを乗せ鬼蜂のハチミツか世界樹の樹液をかけて食べる。
※コカトリスの卵が手に入らない場合は普通の鶏卵でもかまいません