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「なーイッセー。お前、今日どっか具合悪いの?」
誰かと話していても、どこか心ここにあらずな状態だった俺の様子に気が付いた春斗が、俺の顔を見て首をかしげた。
「そういや、なんか元気ないよね」
続いてスイがそう言うと、サキも無言でうなずいた。
俺は言おうか迷ったが、変に心配されても困るので、昨日の出来事を打ち明けた。
「……実は、今両親が喧嘩しててさ。二人とも俺に対しては別に何もないんだけど、なんか家の中が居心地悪いっていうか……」
「あー! それ分かるわぁー! 家もさー、両親喧嘩してっと家の空気ピリピリしてるし、どっちも機嫌わりーから話しかけづらいしさー!」
春斗は共感しながらそのときのことを思い出したのか、うんざりしたような表情を浮かべた。
「夫婦と言えど、元々は他人なわけだからね。喧嘩することがあっても不思議じゃないよ。血の繋がりがあったって喧嘩するときはするんだし」
スイがそう言うと、
「……なんかお前、悟ってんなぁ。その歳でさー」
と、春斗が感心していた。
そりゃあ、悟ってるよ。スイは年齢で言ったら、ほんとは十六歳どころか三千歳越えてるからな。
「ってか、イッセーん家の両親の喧嘩ってめずらしくね? あんま喧嘩とかなさそうじゃん?」
「うん。だから、余計に対応に困ってんだよ」
「ま、ほっときゃいつの間にか仲直りしてるって!」
「……そうだな」
家の中では夫婦喧嘩なんてほとんど見たことがないから、どこか他人事だと思っていた。それが実際に身近で起こって、驚きや焦りが先に来てしまい、俺の中では対応出来ていなかったんだと思う。だから、春斗の話を聞いて少しだけ安心した。
しかし、放課後に近づくに連れてなんとなく気分が重くなってきた。考えてみたら、今日の朝はまだ喧嘩しているみたいだったし、父さんはすでに仕事に行っていた。つまりは、おそらくまだ仲直りはしていないだろう、という想像がつく。
なのに、そういう日に限ってあっという間に放課後になってしまった。
「……なぁ、スイ。今から神界行ってもいい?」
「え、うん。別に来るのに許可取らなくても、いつでも構わないけど……今日はそのまま来るの?」
「これ、この間ナミとサクヤが置いていってくれた花のお礼にって、母さんから預かってるから」
俺は昨日持っていくように言われていた箱菓子の入った袋を軽く持ち上げた。いつもは家に荷物を置いて、着替えてから行ったりすることのほうが多いから、学校から帰ってきてそのまま直で行くことは少ない。
「あれ、喜んでくれたみたいでよかったよ」
「うん。クオリティー高すぎて感動してた」
「でも、そのお菓子は茶々丸に狙われそうだね」
スイは箱菓子を見て、苦笑いを浮かべた。
「……俺もそう思った」
池から神界に入り、神殿に着くと、ほぼ毎日いつでも寝ている茶々丸が、なぜかバッチリ起きていた。お菓子を持っていくことなんて言ってないのに、すごい嗅覚というか……感がいいというか……さすが犬というか。
「その袋から甘い匂いがする!」
しかも鼻をクンクンさせ、目ざとくお菓子に気が付いた。
「待って茶々丸。これはナミとサクヤへのお礼の品だから、ちゃんと聞いてからね」
スイが制止すると、茶々丸は、
「ちぇっ、めんどくせーなー」
と、愚痴をこぼした。
結局、サクヤのところへ持っていく分だけ取っておいて、俺を含め一人一個ずつ食べて、残った分はナミが食べていいと許可したため、俺とスイの予想どおり、ほぼ茶々丸の腹に収まった。
俺はナギの入れてくれたお茶を飲み込んでから、ため息をこぼした。
「今日はなにかあったの?」
俺の様子を見たナギが、心配そうに首をかしげていた。
「まぁ、あったっちゃあったんだ」
「今、イッセーの両親が喧嘩中なんだってさ」
「ああ、それで!」
「っていうか、学校では聞かなかったけど、喧嘩の理由とかは分かってんの?」
「あー……うん…………実は――――」
浮気なんてあんまりいい響きの言葉ではないし、ほんとかどうかも分からないから、学校では詳しくは言わなかった。父さんの対面にも関わるだろうし。
だけど、ここにいるのは人間ではなく神様と神使。人間界だとどこで誰が聞いているか分からないし、人から人へ話が渡っていって、ちょっとした話が最終的にはあらぬ方向に盛られてる可能性だってある。でも神界ではそういう危険性がない、と俺は思っている。
だから、父さんとお母さん喧嘩の原因と思われる出来事を打ち明けた。
「なるほどね。でもきっと、一勢のお父さんはそんなことしてないと思うよ?」
俺の説明を聞いたナギは、不思議そうな顔をして宙を仰いだ。
「俺も姉ちゃんも、みんなそう思ってるんだけど、証拠っていうか……まず父さん自体に自覚がないからややこしくなってるみたいでさ」
「そうだよね。誤解なんだとしたら、その誤解が解けないことにはねぇ……」
「そこなんだよな、やっぱ」
「「………………」」
「……イッセーさぁ」
ナギとの会話が途切れて出来た間に、スイが口を開いた。
「なに?」
「神界来て、誰かになんとかしてもらおうとか思わなかったの?」
「え、そりゃあ……全然思ってなかったって言ったらウソになるかもしれないけど……何でもかんでも頼るのもなぁって思って。考えてもみたらさ、神様はたくさんの人間を助けてると思うけど、人間は神様が助けてくれたって知らないこといっぱいあるだろ? でも、俺は助けてもらったら助けてくれたって分かる。だからこそ、それが当たり前だと思っちゃダメだよなって――――え?」
俺、なんか変なこと言った!?
スイとナギが、目を開いたまま表情を固めていた。
「いや、あの……」
「なんだ分かってんじゃん」
スイは口に弧を描き、ぼそっとつぶやいたが、俺には何て言ったのかよく聞こえなかった。
「え? なに?」
「んー? イッセーもいろいろ考えてんだねって」
「……お前、まるで俺が何にも考えてないみたいな言い方だな」
まぁ、大抵たいしたことは考えてないけどさ。
だけど俺は、神界に入って神様や神使に出会ってから、今まで考えなかったようなことをたまに考えるようになった。
「そんなこと思ってないけど、考えてることが意外だったとは思ったかな」
「なんだよそれ」
「ごめん……僕もちょっとびっくりしちゃった」
「ナギまで!?」
「でもなんか、ちょっと安心したよ」
スイは目を伏せて微笑んだ。
「はぁ!?」
「こっちの話。ま、イッセーのお父さんとお母さんの件は、心配しなくてもなんとかなると思うよ」
「…………うん」
少し誤魔化された感じはあるけど、なんとなくそれ以上突っ込むのはやめた。
家に帰って服を着替えたあと、俺はリビングではなくじいちゃんの部屋に向かった。
「おぅ一勢。帰ったのか」
じいちゃんは碁盤を触っていた手を止めた。
「うん」
「めずらしいな、夕飯の前にここに来るなんて」
「今リビングには母さんしかいないけど……喧嘩のこと知ってるからなんか居づらいなって思って。まだ喧嘩してるみたいだし」
「そうじゃなぁ」
俺はじいちゃんの部屋の座布団に胡坐をかいて座った。
「昔のことを思い出してな……自分も子供たちに居心地の悪い思いをさせていたんだと、今更ながらよく分かった」
「じいちゃんが?」
「ああ。昔は、わしもばあさんと喧嘩くらいしたことはある」
「そうだったんだ」
俺はじいちゃんとばあちゃんの喧嘩は見たことないし、若いころの二人のことは知らないから、全くそんなイメージはなかった。
「でもなぁ、喧嘩できるうちが花だとも思うぞ」
「……花?」
花ってことは、悪くないってことかな? 喧嘩なんて出来ればないほうがいいのに。
「死んでしまったら、喧嘩も何も出来ないじゃろ?」
じいちゃんは、部屋に飾られているばあちゃんの写真を見て、懐かしそうに目を細めた。
「……っ!」
そっか、そうだよな。ばあちゃんはもういないから、喧嘩なんて出来ないんだ。
「だが、内容にもよるぞ。アイツが本当に浮気なんてしていたら、それはけしからん」
「うん、まぁ……」
喧嘩、と聞くとイメージの悪い言葉として受け取っていたが、じいちゃんの話を聞いて少し見方が変わった。でもやっぱり、両親が喧嘩してるのは嫌だし、単に喧嘩って言ってもどの喧嘩にも限度がある。
「さて、そろそろ行くか。もうじき夕飯だろうしな」
じいちゃんと一緒に部屋を出ると、廊下に夕飯の匂いが漂っていた。
結局、今日も昨日と変わらずで、父さんと母さんは一言も言葉を交わさず、不穏な空気は継続していた。
夕飯後、自室に戻り、携帯を弄っていると姉ちゃんから連絡が入った。
『やほー。今日はお姉ちゃんがいなくてさみしかっただろう! ところでお父さんとお母さん、どうー?』
姉ちゃんはバイトでまだ家に帰っていないが、二人の様子が気になるようだ。しかし、最初のテンションがうざい。そこは無視しとこう。
『昨日と変わりない』
『やっぱりかぁー。早く仲直りしてほしいなー』
うん。俺もそう思う。
まだ二日目なのに、もう一週間くらいこの状況が続いているみたいな気がする。
俺は携帯をベッドに置いて、リビングに行くとキッチンに立っている母さんの後ろ姿が目に入った。気のせいかもしれないけど、その背中は元気がないように見えた。リビングと繋がっている隣の部屋では、父さんとじいちゃんが付いているテレビを観ないで小声で何か話していた。じいちゃんが喧嘩のことを聞いてるのかもない。
そう思いながらキッチンに入ると、
「あら、一勢。どうしたの?」
俺に気付いた母さんは、洗い物をしていた手を止めた。
「あ、えっと、のど乾いたなって」
俺は冷蔵庫を開けてお茶の入ったボトルを取り出してコップに注ぎ、それを一気に飲み干した。
「早くお風呂入っちゃいなさいよ」
「うん」
母さんとそれだけ会話を交わし振り返ると、リビングのテーブルに見知らぬ男が座っていた。
「っえ!?」
「……どうかした?」
母さんはキッチンから振り返り、俺を見て不思議そうに尋ねた。
「へ、いや……なんでもない。つ、つまずいただけ」
「そう。気をつけなきゃダメよ」
「う、うん」
この人、母さんに見えてないってことは、絶対人間じゃない。っていうか、神様? よく見たら着物っていうか、平安時代の貴族みたいな格好してるし。
でもこの人、さっきから母さんばっかり見ててこっちに気が付いてない。
「あの……」
小声で話しかけてみると、
「可憐だ! 大きなお子が二人もいるようには、とても見えないな!」
全然意味の分からない言葉が返ってきた。
俺のほう見てないし、このままリビングを出て行ってもいいが、無視するわけにもいかないような気もする。
でも、このままここに居るのもまずい。キッチンには母さんが居て、隣の部屋には父さんとじいちゃんがいる。しかも二つの部屋をつなぐ扉は開いている。俺とこの人はその真ん中にいて、つまり挟みうちなわけだ。
どうしよう。
一人、内心困惑していると、いきなり壁からすり抜けてきた優美な着物姿の女が、無言でその男を引っ張ってあっという間にリビングを出ていった。男は目線を母さんに向けたまま、抵抗もせずに引きずられていた。
驚きはしたが、なんとなくそっと付いて行ってみると、リビングの外で男は大きなしゃもじのようなもので一発殴られていた。
「あなたって人はっ! また他の女に現を抜かしていたのね!?」
「イターっ!! はっ! 違うんだ、これはっ!」
「何が違うのかしら?」
女の人は黒い笑みを浮かべた。
えっと、この人たちは神様と神使? いや、なんかそんな感じじゃなくて、どっちかっていうと夫婦? みたいな……でもどっちかが神様だとしたら、どっちかが神使なんだろうな。
「二人とも、みっともないよ。見られてるし、やめようよ」
二人を見ていろいろ考えを巡らせていると、今度は俺の後ろから小さな女の子が現れた。
その声でピタッと静かになった二人と小さな女の子に挟まれた俺は、目で三人を見回して、ただ呆然としていた。
謎の男の登場に始まり、続いて女が現れ、さらに子供まで現れ……謎の人物が増えて行くにつれて俺の中の困惑は広がっていった。




