006
006
あれから二日たったが、イッセーは未だに花の名前を決められずにいる。
「悩んでるねぇ」
「……お前、他人事だと思って」
「っていうか、この前イブキが来たときに花の名前つけてあげてって言われてたのに、イッセー忘れてたでしょ?」
「忘れてたわけじゃないけど…………後回しには、してたかも」
「ほんとに決めなきゃいけないときが来るなんて、思ってなかった?」
「あー、それもあるかも」
「このあいだナギも言ってたけど、“花の名前”って括りから離れて考えてみた?」
花の名前を付けるにあたって、イッセーは花の図鑑などを見ていたので、ナギにそう助言されていた。花の図鑑を見て、ほかの花の名前を参考にしようと思っていたんだろうけど、それだとあんまり意味がない。
「そしたら範囲広がった気がして、余計に分かんなくなってきた」
「そんなに深く考えなくてもいいんじゃないかな? ま、何にしても、花の神が来て直々にお願いされちゃあ、決めるしかないよね。イッセーが名前決めるまで帰らないって言ってるし」
「……それなんだけど」
イッセーは足を止め、肩を落とした。
「どしたの?」
「サクヤがさ、気が付くと家にいるんだよ。そんでお茶飲んでたり、菓子食ってたり……家族には見えてないけど、なんかハラハラする。今日も朝起きたら俺の部屋にいてさ…………」
どこか遠い目をしているイッセーには悪いけど、思わず笑い声が漏れた。
「笑い事じゃないんだぞ、俺からしたら」
イッセーはジトーッとオレを睨んでいた。
「あー、ごめんごめん。ちょっと思い出しちゃってね……サクヤは神界から出てくときいっつもこっそり行くんだけど、帰ってくるとなんかものすごく満足げな顔しててさ」
「それって家に来るとき?」
「そこしかないでしょ。行く場所分かってるから、葉舟もそんなに気にしてないからね」
「……どうりで、一人で来てることが多いわけだ」
「ま、そんなに邪険にしないであげてよ。サクヤは、別に急かしに行ってるわけでもなくて、ただ一緒にいたいだけなんだと思うから」
「…………うん」
イッセーは何か言いたげな様子だったが、小さくうなずいた。
「でも……」
ふと、思いつめたような表情で切り出したイッセー。
「ん?」
「朝、俺の部屋に来て、ベッドに肘付いてめちゃめちゃ至近距離で顔の前に顔を置いてくるのは……出来ればやめてほしいかな。びっくりするから、あれ」
何を言い出すのかと思えば……
その状況と驚くイッセーを想像するとなんだかおかしくて、オレはまた思わず笑ってしまった。
「お前っ、またっ!」
「あーうんうん。分かったよ。一応言っとく」
とは言ったものの、笑ったあとだと説得力にかけるため、イッセーから疑いの眼差しを向けられた。
そんな目線よこされてもねぇ……っていうか、オレが言ってもあんまり効果ないと思うよ?
次の日の朝、天神家にイッセーの叫び声が響いた。
ほらね。やっぱり。
「あ、イッセーおはよー」
「おは――――って、え!? なにしてんだよ!」
「なにって、誰もいないからお邪魔しちゃった」
ナギ、ナミ、茶々丸、サクヤ、葉舟、そしてオレを含め六人が、イッセーの家のリビングに集結している。
「はぁ!? あ、っていうかお前っ、昨日のことちゃんと言ったのか!?」
「言ったよ? でもその様子じゃ、やっぱり効果なかったみたいだね」
さっきのイッセー叫び声はサクヤに驚いて出たものだ。
「やっぱりって……」
深くため息を吐くイッセーの後ろで、サクヤはひろひろと部屋の中を見て回り、どこからかイッセーの母親のものらしきガーデニングの雑誌を持ってきて、机に広げていた。
その後、あきらめがついたのか意外と早くこの状況に順応したイッセーは、用意されていた朝食を食べたあと、ペンを握りしめ、紙とにらめっこをしている。手はたまにボールペンを揺らすだけで、それ以外は動いていない。
ナギと葉舟はおとなしくテレビを見ていて、ナミとサクヤは一緒に雑誌を見たり庭に花を見に行ったりして、部屋と庭を行き来している。茶々丸は何か食べ物を見つけては、勝手にいただいている。いつもは犬の姿でいることのほうが多いのだが、今は人間の姿になっている。そのほうが食べ物見つけやすいしね。
そしてオレは適当に空いている場所に座ったのだが、みんなが見える場所だったため行動が目に入りやすく、そのまま観察している。
二時間ほど経ったころ、イッセーはおもむろに立ち上がり、飲み物を取りに行ったのだが、何かに気づいて驚愕していた。
「ちょっ、なにこれ! 茶々丸! お前、どんだけ食い散らかしたんだよ!」
ふと覗きに行ってみると、出してあったお菓子はもちろん、炊飯器に残っていたご飯も食べつくしたような形跡があった。ふりかけや海苔の佃煮のビンが無造作に放置されていた。しかし当の茶々丸本人は、犬の姿になってクッションの上で丸まって気持ちよさそうに寝ていた。ぽっこり膨らませたお腹を抱えながら。
「あーあ……茶々丸の目につくとこに食べ物置いといたら、まぁおおかたこうなるよね」
イッセーは散乱した食器やふりかけなどを片付けながら、ため息を吐いた。
「この状況……なんて説明すりゃいいんだよ」
「お腹空いてたから食べちゃったとか?」
「こんな片っ端から食うとか……俺、どんなだよ! いくらなんでも食いすぎだろっ! 怪しまれるわっ!」
「じゃあ、友達来てたとか?」
「……それが一番、無難っちゃ無難だけどっ――――ん?」
話の途中、イッセーは突然、俺の後ろを凝視し始めた。
振り返ってみると、ナミとサクヤが何やらせっせと動き回っていた。
「なんか……部屋の雰囲気変わった?」
「うん。華やかになったね」
「……っ! なんか増えてる!」
二人がどこからか運びこんでいたのは、寄せ植えの鉢。それが、部屋の至る所に置かれていた。
「あのさ……二人とも、なにしてんの?」
イッセーは、なんとなく聞きづらそうに二人に声をかけた。
「綺麗でしょう? さっきナミと一緒に作ったのよ。ここのお庭とか神界から少しづつ花を持ってきたの。本に載ってたのより上手に出来たわ」
「へ、へぇ……」
表情がどこかいきいきしているナミと、満足げな笑みを浮かべてるサクヤ。その様子を見て、さすがに怒れないようで、イッセーは二人の前で微妙な笑みを浮かべたあと、キッチンに戻ってきて、
「……あれもどうすんの」
と、頭を抱えた。
「まぁ、イッセーのお母さんは喜ぶんじゃない? クオリティー的には申し分ないし」
「そうかもしれないけど、誰がしたのか聞かれたら……友達、はさすがに苦しいだろ? クオリティー高すぎて。だからと言って俺がしたなんて、もっとありえないし」
「んー……友達なら意外と通用するんじゃない? 実は昔、生け花やってたヤツがいる設定とかで」
「なんだよ設定って! でも……あー、いけそうな気がしなくも……ないかも」
「別に悪いことしたわけじゃないし、きっとそんなに深く追及してこないでしょ」
「うん、たぶんな…………っていうかさ……」
「なに?」
「後で神界行くから、もうとりあえず帰らせてくんない? 集中出来ないから」
イッセーは疲れた表情で、リビングにいる人物たちに目をやった。
「ああ、うん。そろそろかな、とは思ってたんだ」
同じくオレも、イッセーが見ている人物たちに目をやった。
「今日も楽しかったわ」
神界に帰ってきて、両手を組んで前方に伸びをしているサクヤに、
「そりゃあお前、あんだけ好き勝手やってりゃ楽しいだろうよ」
と、呆れ顔の葉舟。
「そんなことないわ。朝は変なものが入って来ないか見張っててあげたのよ? あと、花もたくさん飾ってきたから部屋が明るくなったでしょう?」
「無許可だろうが」
葉舟はサクヤに聞こえないように、ぼそっとつぶやいた。
「私だって好きでもない人のところには行かないし、花だって飾らないわ。あ、でも別に好きって言ってるわけじゃないのよ」
「……素直に好きって言やぁいいだろ」
サクヤと葉舟を見て、ナギは眉を八の字にしながら笑みを浮かべ、
「僕ら、邪魔しちゃったかな? 花の名前考えてたのに」
と、少し申し訳なさそうにつぶやいた。
「そんなことないと思うよ」
「そうだといいけど」
「いや、多分だけど、もうほとんど決まってんじゃないかなーって感じするんだよね」
「どうして?」
「クセ……みたいなもんかな?」
「クセ?」
「そ。最初はペンが動いてなかったから、全然浮かんでないのかと思ってたんだけど……よく見てたら空中でなんか文字書いてたんだよね」
「それは、昔もやってたの?」
「うん。ナギや、みんなの名前考えてるときもそうだったから。最初はああでもないこうでもないって考えながら、思いつく限りのこと紙に書いて、だんだんなんとなく決まってくると筆持ったまま、さっきみたいに空中で文字書いてた」
「そうだったんだ!」
「今も必ずしもそうとは限らないけど、なんか似てるなって。あとはまぁ、雰囲気的なものかな。あんまり目が迷ってないように見えたし」
「そっか……でも、スイさすがだね。こんなに時が経っても覚えてるなんて」
「……まぁね」
正直、イッセーのそれに気づいたとき、今の姿に昔の姿が重なって見えて、瞬きを忘れてしまうくらい驚いた。
ほんと変なとこ同じでびっくりするよ。でも、これから他にも「そこなの!?」みたいな共通点が見つかるかもしれない。
そう考えるとなんだかおかしくて、自然と口元に弧を描いた。
神界に帰って来ても、基本的にみんなやってることはさほど変わらない。
ナミとサクヤはまた花ばっかり見てるし、茶々丸は寝てるし、外廊下に座布団を持ってきて座り、そこでお茶を飲んでるナギと葉舟からは、どことなくおじいちゃんみたいなのどかさが漂っている。
そんな中、ふと神界の空気が変わった。何かが静かにほどけたような柔らかい空気。イッセーが神界に来ると、神やその神使たちがここへ出入りするときよりも、明らかに顕著に変わる。この場にいる全員がそれに気づき、一斉に神殿へと繋がる門を見た。
しばらくすると、そこへイッセーが現れたのだが、いつもと違い駆け込んで来たかと思えば、
「あの花、どこ!?」
と、開口一番そう言った。
「あっちだよ」
花のある場所を指さすと、迷わずそっちへ向かったイッセー。
みんなが少しあっけに取られている中、イッセーはその花の鉢を持って、じーっと花を見ていた。
「えっと……もう名前決まったの?」
ナギが遠慮がちに尋ねると、
「…………ち……」
イッセーは花を見たまま、何かをつぶやいた。
「え?」
「“みち”だよ、この花の名前。今、この花を見てはっきりそう決めた」
顔を上げそう言うと、すっきりしたような表情を浮かべたイッセー。
「へぇ!」
「えらい可愛らしい名前考えたね」
「っ! う、うるさいな」
「その名前には、どんな意味があるの?」
サクヤにそう尋ねられるとイッセーは、
「実はさ……一番最初に思いついた名前なんだけど……そのときは、ただ単に三千年前からあるってことで三千だったんだけど、それじゃ適当かなぁっと思ってやめたんだ」
と、少し恥ずかしそうに頬を掻きながら話し始めた。
「じゃあ、なんで最終的にその名前にしたの?」
「いろいろ考えてみたんだけど、やっぱり一番しっくりきたっていうか…………でも、漢字じゃないんだ。“みち”っていろんな漢字で書けるだろ?」
「そうだね! 道とか未知とか……」
ナギはしゃがんで地面に文字を書いた。
「うん……なんていうか、俺にとっては神界だってまだまだ未知の世界だし、だからこの花のことだってまだ知らないことがあるかもしれないし……それにこの花は、俺がまだ生まれていないときもずっと土の中で、三千年間生きてたのかもって思って…………あー、なんて説明すればいいのか分かんないけど、そんな感じだよ!」
「ううん、言おうとしてることは分かるよ。すごく一生懸命考えたんだね」
「意外とちゃんとした意味もあって安心したよ」
「適当はダメだと思って、ちゃんと考え――――え!?」
イッセーが話している途中で、鉢を持っているイッセーの手の上に自分の手を重ね、鉢を持つように包み込んだサクヤは、
「素敵な名前をもらって、あなたは幸せね」
と、花を見て微笑んだ。しかしその直後、
「でも、うらやましいなんて思わないわ。私だって、同じ人に名前を付けてもらったんだもの」
と、淡々と言い放った。
その間、イッセーはずっと体を硬直させていた。
「自分でこの花に名前付けて欲しいって言っときながら、軽く嫉妬すんなよな」
少し離れた場所からその様子を見ていた葉舟は、呆れ顔でため息を吐いた。
ナミはサクヤの隣でじっと花を見ていて、茶々丸もめずらしく覚醒していて、寝ころびながらこっちの様子を見ていたが、またすぐに目を閉じた。
日も暮れかけたころ、イッセーがそろそろ帰ると告げると、
「それじゃあ、名前も決まったことだし、私たちも帰るわね。あ、でもその前に…………」
と、唐突にイッセーの向かい側に立ち、握った手を上に向けてパッと開いたサクヤ。すると、サクヤの手のひらからいろんな色の花びらが出現した。
「えっ!」
驚くイッセーをよそに、サクヤがその花びらをフッと吹くと、イッセーに向かってふわりと舞った花びらは途中で姿を消した。
「花の名前を考えてくれたお礼よ。じゃあ、また会いましょう」
「世話になったな」
袖をひらりと回したと同時に、花の香りを残して消えたサクヤと葉舟。
そのほんの一瞬の出来事に、イッセーはあっけに取られてポカンとしていた。
「お礼って……今の、何だったんだ?」
「あれは、イッセーに悪いものが寄り付かないように、ガードしてくれたっていうか、いわばちょっとした結界みたいなもんだよ。ずっとじゃないけど、しばらくは効果あるよ」
「そうなんだ」
「ちなみに、これが遠足で行った羽舞神山で付けてきた匂いの正体だよ。しかも、あの距離からだから前よりも効果長いかも」
「へぇ…………えっ……はぁ!?」
納得したかのように相づちを打ったあと、少しの間を置き、イッセーは驚愕を顔に浮かべた。
花の名前を考える悩ましい日々は終わりを告げたが、今度はしばらく、また花の香りに悩まされる日々を送ることになったイッセー。
人間生きてりゃいろいろ悩むこともあるだろうけど、イッセーはそれプラスほかの人間が悩みえないことで悩むことが、これからも多々あると思う。今は小さなことばかりでも、その中には大きなことだってある。しかも自分以外の人間には相談できないことばかり。
その最たるがこの世界の最終決断なわけだけど、今はまだ――――
ずっとこのままだったらいいのになぁと思う自分がいて、それなのにいつか来るその日を待っている自分もいる。
オレは、この世界に初めて人間として生まれ変わってきたイッセーより、たしかに多くを知っている。だけどオレにとっても初めてなんだ。神に、一番近い人間に仕えるのは…………
だから、人間ではないオレの悩みもまだまだ尽きそうにない。
オレはナギの笛の音を聴きながら、そっと目を伏せた。




