005
005
花の匂いをまとわせているイッセーは、一日中どこか落ち着かない様子だった。きっと自分から発せられる匂いが、すれ違う人や近くにいる人に、ことごとく気づかれたり、気づいているような素振りを見せられたりすることが気になるんだろう。自分で分からない分、余計に周りの反応に敏感になっているみたいだ。
「……この匂い、いつになったら消えるんだよ」
そうイッセーから小声で質問され、
「少なくとも、イッセーが神のお願い事をやり遂げないと消えないんじゃないかな」
と、答えると、イッセーはため息を吐いてガクリととうなだれ、そのまま机に突っ伏した。
「そもそも、この匂いって何のために付けられたんだよ」
「付けられたっていうか、匂いを付けようとして付いたんじゃないよ」
「は?」
「ほんとの理由は別のところにあるってこと」
「……ん? それってどういう――――」
「授業始めるぞー席つけー」
イッセーの言葉を遮ったのは、タイミングがいいのか悪いのか教室に入ってきた数学の教師の声。そこから授業が始まり、話は中断した。
まったくイッセーは、変に怖がりっていうかなんていうか……
オレも何の神なのか教えてあげればよかったかもしれないけど、ただの意地悪で教えないのではなく、あえて教えなかった。そういう場面は今までに何回かある。
もちろん聞かれたら教えることだってあるけど、毎回それじゃあイッセーは何でもオレに聞くようになってしまうかもしれない。それが普通になってしまったら、自分で考えるということをしなくなる可能性だってあるが、イッセーがそれではダメだという確かな理由がある。
まだまだ本人には実感も何もないけど、世界はイッセーにかかってるんだ。だから小さなことでも、ちゃんと自分で考えて、少しづつでもいいから世界を見定める判断力を身に付けてもらいたい。
と、いうのがオレの考えだ。
でも、たかが一神使は全知全能ではないわけで、オレだってたまには間違えることだってあると思う。だからたまに、他の神たちにも意見をもらったりしているのだが、そのうえで考えてもこのことについては、ほぼほぼ全員一致だった。
そして実は、次に待ち構えてる神のお願い事は、イッセーが自分で考えなきゃいけないことだったりする。だからと言って、そこにイッセーの答えで何かが左右されてしまうような重大性はないけど、いい経験にはなってくれるはずだ。
放課後、校門を出てからホッとしたようで、イッセーは軽く息を吐いた。室内ではなく外に出て空間が広がり、自分から漂う匂いが少し軽減されたような感覚になったようだ。
確かに匂いが拡散した分、気づかれにくくはなったけど、匂い自体は全然消えてないんだけどね。
「あのさ……」
イッセーは何か言いたげに口を開いた。
「ん? なに?」
「ちょっと考えてみたんだけど…………この匂いって、花の神様……だったりするのかなぁって……」
自信なさげに、そうつぶやいたイッセー。
お、当たってるじゃん!
「そうだよ。やっと気づいたんだね」
「……まさかとは思ったけど、花にも神様いたんだ」
「うん、いるよ」
「いないもの探すほうが難しいって言ってたもんな」
「っていうか、こんだけ花の匂いさせてんのに気づかないなんて、どんだけ鈍感なんだろうって思ったけど、自分で気づいてくれてよかったよ」
「……悪かったな、鈍くて」
ブスッとふてくされているイッセーに、
「いーよ、いつものことだから」
と、からかうようにそう返すと、オレの足に軽い蹴りが入った。
「でも……その花の神様は、いったい俺に何のお願い事があるんだよ? 俺、花なんてあんまり触ったことないから、全然知らないし……」
「まぁそうだろうけど、花育てろとか、花の名前覚えろとかじゃないから心配いらないと思うよ?」
「花の神様なのに、花関係じゃないのかよ?」
「いや、花関係っちゃ花関係だよ。神界のね。オレはなんとなく分かってるけど、オレが言っちゃうとスネちゃうから、あとでのお楽しみってことで」
「お楽しみ、ってなんだよ……なんか逆に怖いわ」
「取って食われるわけじゃないんだから、もっと気楽にしてればいいよ。あ、今日神界来てね」
「……分かった」
気になってはいるんだろうけど、イッセーはそれ以上何も聞いてこなかった。
別にそんなに深刻な感じでもないのに、イッセーは神妙な顔してるし、名前だけ教えといてあげようかな。
「花の神様の名前はサクヤで、神使は葉舟っていうんだよ」
「え? ……花の神様って、女? 男?」
ああ、たしかにどっちとも取れる名前だもんね。
「女だよ。ちなみに、葉舟は男で蜂だから」
「蜂!? 花にとっては天敵みたいなもんじゃないのか?」
「そんなことないよ? 二人は神と神使だからあれだけど、実際はお互いありきで人の役に立ってるところもあるし。あと、葉舟はミツバチだから危険性も低いからね」
「…………そういう問題?」
イッセーは独り言のようにつぶやいた。
自宅に着くとイッセーは、
「じゃあ、荷物置いたら行くから」
と、玄関の扉に手をかけた。
「うん……あ、ちょっと待って」
「なんだよ?」
オレは顔の前で人差し指を立てて、静かにするように促した。
「こっち来て」
小声でそう伝えると、無言のまま怪訝な顔をして首をかしげたイッセーを、庭へ静かに誘導した。
そしてそっと庭を覗いてみると、イッセーの母親が育てている花が咲いている花壇の前で、至福の表情を浮かべている女が一人。頭に色とりどりの花で作られている冠を乗せ、天女のようなヒラヒラとした服を着ている。
「っ! あれって」
「うん。サクヤだよ」
「なにしてんだよ、あんなとこで」
「花、見てるんだろうね」
「それは見りゃあ分かるよ」
小声でぼそぼそ話していると、ふいに視線を感じた。なんとなく見なくても分かるが、ふと視線を辿ると、その先には縁側に座っている着物の男、葉舟がいた。
「サクヤ。帰ってきたぞ」
葉舟はぶっきらぼうにそう言いながら、親指でこちらを指した。
するとサクヤはキリッと表情を正し、いろんな色の花の付いた枝でこちらを指して、
「遅かったのね。あんまり遅いから待ちくたびれて出てきちゃったわ。決して心配で出てきたんじゃないのよ」
と、淡々と言い放った。
「お前……本音ダダ漏れじゃねーか」
葉舟は軽くおでこを押さえた。
「ごめんね、待たせちゃって」
「そうね。でもこの子たちが相手をしてくれたから、楽しかったわ」
そう言ってサクヤは、花壇の花を見て微笑んだ。
「で……イッセーはなにしてんの?」
姿は現しているが、さっきまで隠れていた場所からさほど動いていないイッセーは、
「えっ、あの……なんか、タイミング逃したっていうか、その」
と、声が尻すぼみに消えていくようにつぶやいた。
「そんなの気にしなくていいのに。早くおいでよ」
イッセーが花壇の近くに来ると、
「この間ぶりね。とは言っても、実際には会っていないのだけれど」
と、サクヤはイッセーの目の前で、ジッと顔を見つめながらつぶやいた。イッセーは、視線を外すに外せないようで戸惑っている。
「お前が出て行かなかっただけだろうが」
「そういえば、なんで出てこなかったの?」
「だって私の社の前を通ったとき、この子は和紗女と楽しげに話していたし……私も二人で話したかっただけだもの。でも別に妬いてたわけじゃないのよ」
これは俗に言う、ツンデレというやつなのだろうか。勢いはないけど、淡々と、そして堂々と言い切るあたりがすごい。というか、根が素直なんだろうな。顔は凛とした顔立ちの美人だし、例えるなら素直なほど綺麗に咲く花みたいだ。
「じゃあ、とりあえず神界に行って話そっか」
「ええ、そうしましょう」
サクヤが池に向かう途中、枯れかけている花を見つけ、それに向かってさりげなく花のついた枝を軽く振ると、花が綺麗に蘇った。後ろでその光景を一部始終見ていたイッセーは、目を丸くしていた。
四人で神界に入ると、サクヤはちゃっかりイッセーの隣にいて何やら話していて、オレと葉舟は邪魔しないように少し後方に離れて歩いた。
神殿に着くと、ナギとナミが出迎えてくれた。茶々丸は、いつものように犬の姿で神殿の入り口付近で寝ている。ナミはサクヤと仲が良いから、心なしかうれしそうな表情を浮かべているように見えた。
「サクヤ、葉舟。いらっしゃい。あ、一勢とスイはおかえり」
ナギは穏やかに微笑んだ。
「ありがとう。お邪魔するわ」
「いきなり悪いな」
「ううん。この間はナミがお邪魔したみたいだし。ナミ、すごくうれしそうに帰ってきたんだよ」
「それはよかったわ。今年は本当に綺麗に咲いてるのよ。思うに、この子が神界(この世界)と繋がったことにも、関係しているかもしれないわね」
「ああ、うん。ありえなくはないね」
自分のことがサクヤとナギの話に出ているのだが、肝心のイッセーはキョトンとしている。まぁ、無理もないか。この世界のこと知って、まだ三ヶ月くらいだもんね。
「ねぇサクヤ。例のお願い事、イッセーに教えてあげてくれない?」
オレがそう切り出すと、イッセーの背筋がピンと伸びた。
「そうだったわ…………そう、これよ」
サクヤが話し始めてすぐに、植木鉢を持ったナミが現れた。ナミはサクヤが言わんとすることを知っているから、話の核になるこの花を持ってきたのだろう。
「これって……」
「ここに来た日に見せたでしょ? イッセーが生まれた日に芽が出て、今年のイッセーの誕生日の日に咲いた花」
「これが、何か関係あるのか?」
「大有りだよ。ね? サクヤ」
「そうよ。あなたには、この花の名前を付けてもらいたいの」
「…………え?」
「いつまでも名前がないなんて、かわいそうだもの」
「それは、そうなのかもしれないけど……俺、花のこともろくに知らないのに、名前付けるなんて自信ないよ」
「これは、私のお願いというより、あなたの使命のようなものよ? あなたは残していく私たちに、名前をくれたんだもの。だから私たちは、誰もこの花に名前を付けようとはしなかった」
「どうして?」
「この花だってあなたが残していったものなら、あなたが名前をつけてあげるのが至極当然だもの。それに、そのほうがこの花も喜ぶわ」
イッセーは真面目な表情で少し目を伏せ、少し間をおいたあと、
「…………自信はないけど、考えてみる」
と、言葉どおり自信なさげにつぶやいた。
「適当につけたらダメよ?」
「分かってるよ!」
「ちなみに名前が決まるまで、私帰らないわ。あなたのお家にも、ときどき様子を見に行くから」
「え? ……えぇぇー!?」
「はっ! ……テメー! うるせーぞ!」
イッセーの声が響き、その声で寝ていた茶々丸が起きて文句を言っている。
花の名前を付けるのに、そんなに考えこまなくてもいいと思うのだが、今のイッセーの様子だと、時間かかるだろうなぁ。
でも、最終的にイッセーが、どんな名前を付けるのか楽しみだったりもする。




