003
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「ねぇ、エイザン。和紗女はいないの?」
「いや、どこかにはいるぞ」
「どこかにはって……」
適当だなぁ。
「和紗女って――――」
ここにはいない人物の名前が出てきたことが気になったイッセーが、その名前をつぶやいた瞬間、エイザンの後ろの扉が開き、エイザンの姿が影に覆われた。
エイザンは後ろを見て、「げっ」と声を漏らした。
その後ろにいる人物は、まがまがしいオーラを放ちながらエイザンを見下ろしている。
「……エイザン。何だその着物の着方は」
大人っぽい艶やかな声の中に、どこか威圧感を感じる女の声と同時に、ゆらーっと姿を現したのは縦に長い影。
「貴様はっ! 今日はきちんと着ろとあれほど言ったではないか!」
「……そうじゃったかのぅー?」
エイザンは冷や汗をかきながら、あからさまに目をそらした。しかしその瞬間、何かが切れる音がして、襟を掴まれたエイザンは、そのまま扉の奥に引きずり込まれた。
「は…………え? 今のって……」
イッセーは目を点にさせたまま、エイザンが引きずり込まれた扉を見ていた。
「彼女が和紗女だよ。エイザンの神使の大天狗」
「大天狗…………っ大天狗!?」
ぼそりとつぶやいたあと、少し間を置いてから今度は大きな声を上げたイッセー。
「その驚き方から察するに、天狗は男だと思ってたでしょ?」
「えっ、いや……まぁ、どっちかっていうと男のイメージのほうが強かったっていうか……」
「残念。女の人でしたー。天狗だからって男ばかりとは限らないんだよ?」
「そりゃあっ、そうなのかもしれないけど!」
「ちなみに、昔イッセーが見たっていう大きな鳥は、たぶん和紗女だと思うよ?」
「はぁ!?」
「あとで本人に聞いてみなよ」
「本人にって……」
そうつぶやいて何気なく扉を見ると、タイミングよく再び開いた扉に肩を揺らしたイッセー。
「こんなに詰めたら窮屈じゃろうがっ!」
「いつもが緩すぎるんだろう! これが普通だ!」
「…………怪力女っ」
「今なんて言った。聞こえていないとでも思ってるのか?」
きちんと着物を着せられたエイザンと和紗女が姿を現した。不服そうな顔をしたエイザンは文句を垂れている。
「まぁまぁ二人とも。でもエイザンはそっちのほうが男前だよ?」
「ほら見ろ」
「何をいうか! ワシはいつでも男前じゃ!」
「やかましいわ! ……っと、今はエイザンにかまっている場合ではなかったな」
その様子をぽかんと見ていたイッセーに気が付いた和紗女は、そっと音も立てずに地面へ飛び降りた。
「申し遅れました。私はエイザンの神使、和紗女と申します……本当に大きくなられて」
和紗女はやさしく目を細めた。
しかし、イッセーは和紗女を見て身を固めた。
まぁ無理もないか。
和紗女は緋色の袴に小袖五ツ衣、薄絹という出で立ちで、黒い髪は地面につきそうなほど長く、顔は眉が濃く、目は切れ長で、鮮やかな口紅を引いている。体は細身で優美な女性なのだが……問題はその丈だ。
和紗女は、ものすごくでかい。オレやエイザンもそれなりに身長はあるけど、それよりもでかい。それこそイッセーなんて、見上げなければいけないくらいの身長差がある。
「はっ……えっと、よ、よろしくお願いします」
和紗女を見上げて固まっていたイッセーは、ハッとして返事を返した。それを見たエイザンは、
「はっはっは! でかくてびっくりしただろう?」
と、軽口を叩いたが、和紗女に視線を送られ、唇をとがらせて目をそらした。
「先ほどはお見苦しいものをお見せして申し訳ございません。着物は綺麗に着ろと再三言っても聞かず……」
「え、いえ」
「おい! 見苦しいとはワシのことを言っているのか!? 猫っかぶり女!」
「あ、そうそう! 私たちに敬語なんて使わなくてもいいんですよ?」
「無視!?」
しばらく話しているうちに慣れたようで、イッセーは緊張せずに和紗女と話せるようになった。オレはエイザンの隣に座り二人を見ていたのだが、エイザンはすっかりふてくされてしまったようで、むすっとしている。
「機嫌直しなよ」
「…………」
まだふてくされ気味のエイザンに苦笑いを浮かべつつ、オレはさりげなく話を変えてみた。
「そういえば、今日はエイザンたちしかいないの?」
「……さぁな。ワシも見てはおらんが、いないことはないと思うぞ」
「だろうねぇ」
「ヤツの考えておることは、いまいち読めん」
「そうだね。あ、オレちょっと気になってたんだけど……ここの式神ってエイザンのだけじゃないけど、それにしても今日数多いよね? 何かあったの?」
「あー……それか。まぁ、たいしたことではないんじゃが……」
そう言って立ち上がったエイザン。
「和紗女! 一勢に例のものを渡しておいてくれんか?」
「例のもの……ああ、あれか!」
エイザンに呼ばれ、言われたことを理解した和紗女。
「ワシはちょっとスイと話がある。その間に連れて行ってやってくれ」
「分かった。スイ、少しの間、お前の主を私に任せてくれるか?」
「うん。和紗女なら安心だよ。イッセーたまにちょっと抜けてるから手を煩わせたらごめんね」
「なっ……抜けてるって……」
イッセーは予期せぬことを言われ、一瞬驚いたあと、オレに恨めし気な視線を送った。
そのあとすぐに和紗女に案内されて歩き始めたイッセーは、一度だけちらっと振り返ってオレとエイザンを見ていた。こういうパターンは初めてだから、気になるんだろうなぁ。
「さて、ワシらも場所を変えるか」
二人を見送ったあと、エイザンは羽団扇で宙を扇いだ。
瞬く間に、先ほどまでの景色はエイザンの神界へと姿を変えた。山に囲まれているところはあまり変わらないのだが、神殿の作りが少し違い、こっちのほうが大きい。山も人の手が加えられていない分、人間界よりも迫力がある。
「例のものって何だったの?」
「なに、ちょっとした忘れ物みたいなもんじゃ」
「ふぅん」
エイザンが神殿の扉を開けた。
神殿に入り、腰を落ち着けると、
「で……なぜ式が多いのか、じゃったのぅ?」
と、エイザンは確認するようにつぶやいた。
「うん。その話でここに連れてくるってことは、何か理由があるんだ?」
「まぁ、別に人間界でもよかったんじゃが、一応な」
「そっか」
エイザンは自身を扇いでいた羽団扇の動きを止めた。
「ちょうど去年の今頃の話だ……羽舞神山に、天狗岩があるじゃろう?」
「うん」
「あの岩は由来こそ違えど、長い間人に信仰され、それなりの力を持った岩じゃ。それを悪用しようとする輩がいても不思議ではない。ゆえに、一応あそこにも式を置いている」
「うん、そうだね」
「しかし……その式が幾体かやられてな」
「え?」
「まぁ、それ以外に実害はなかったようじゃし、ここ一年は何も起きてはいないんじゃがな」
「それ、どんな人がやったのか分かってるの?」
「連絡を受けてワシらが行ったときにはもう姿はなかったが、式を復元して聞いたところ、学生服を着た女子じゃと言っておったぞ。もしかすると、主らと同じ学校の生徒かもしれんのぅ」
「……他には何か聞いてない?」
「他か? んー……黒髪でー……背はそれほど高くなくてー……あ、手の甲にアザがあったと聞いたぞ!」
学生服を着た女、黒髪、背はそれほど高くない。それだけでピンと来る人物が一人だけ浮かんだ。手の甲のアザは、今度確認してみよう。
「分かった。ありがと」
「……心当たりがあるのか?」
エイザンは真面目な顔でオレの目を見てつぶやいた。
「まぁね。たぶん同じ学校にいるよ、その子」
「結構な霊力の持ち主のようじゃが、大丈夫なのか?」
「オレが負けるとでも思ってんの?」
そう冗談っぽく返すと、エイザンはフッと笑って
「それもそうじゃのぅ」
と、再び羽団扇を扇いだ。しかし、
「でも……おそらく彼女の狙いはイッセーなんだよね」
本題に入ると、羽団扇はピタリと動きを止めた。
「っ! ……今は普通の人間と大差ないのに、狙われる理由がどこにある?」
「それなんだけど……オレも最初は、彼女に見覚えはあったけど思い出せなくて、サイカクに協力してもらって調べたら――――」
オレはその彼女もとい立花さんの情報を、分かっている範囲でエイザンに話した。高校ではイッセーの先輩にあたり、すでに顔見知り。バレンタインデー以来、何もなかったけど、まさかこんなところで思いがけない情報が入ってくるなんて、ほんとに油断出来ない。立花さんは天狗岩の力をどうしようとしてたんだろう。まぁ、うまくいかなかったみたいだから、そこはよかったけど。
オレがひととおり話し終えると、
「ほぉ? しかしその女子は、とんでもないやつに手を出そうとしておるのぅ。理由は何にせよ、神々に喧嘩を売ったも同然。何かしようものなら、ただじゃ済まされんぞ小娘が」
話しながらエイザンの目つきや口調が、だんだん鋭くなった。もちろん本気ではないけど、それだけでも少し空気が揺れた。
「オレとしては穏便に済ませたいから、そうならないように努力するよ」
和紗女に頭が上がらないように見えても、エイザンは山の神。山々を統べる絶大な力を持っている神だ。一度怒らせると手が付けられなくなる可能性もあり、大変なことになるのが目に見えている。正直、あまり想像したくない。
オレは少し引きつった笑顔を浮かべた。
「すまんな。分かっていればすぐに報告したんじゃが……」
「ううん。言ってなかったから仕方ないよ。それに、一年前に言われても分かんなかったと思うし」
「それにしても、主もいろいろ大変じゃのぅ」
「ほんとにね。あ、このことはイッセーには内緒にしておいてね」
「まだ言っておらんのか?」
「うん。今のところ特に被害はないし、変に意識させちゃってもダメかなと思って言ってないんだ」
「そうか…………ワシはいつでも手を貸すぞ」
「ありがと」
羽舞神山に戻ると、イッセーは和紗女と和やかにお茶を飲んで談笑していた。
呑気だなぁ。
なんて思うけど、出来ればこのまま何事もなく、こういう穏やかな時間が続いていってほしいと思う。
イッセーに何かあれば黙っていないヤツがたくさんいる。それも人間ではなく神だ。そうなれば何が起こるか想像もつかない。
分かってはいたけど……オレに課せられた責任は、神にとっても人間にとっても重大だと、生まれ変わってきた全知全能の神におとずれた変事に遭遇して、改めて自覚した。




