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神様の水鏡  作者: 水月 尚花


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 「今日はいつもより賑わってるねぇ」

  店内がだいぶ落ち着いてきたころ、俺がコーヒーを運んだ席に座っていた一人の老人に声をかけられた。落ち着いていて、上品な雰囲気の人だ。

 「えっと、は、はい」

  “いつも”と言われても、今日初めてここに来た俺には分からないが、とっさに肯定してしまった。

 「僕はもう三十年以上ここに通ってるんだけど、いつ来てもホッとするよ」

 「……え?」

 「この歳になるまでに、この街のいろいろな変化にも立ち会ってきた。だけど、ここは変わらないでいてくれるから」

  そういやこの店、よく見ると年季入ったものが多いな。

  店に飾られている絵、テーブルや椅子から小さな小物に至るまで、手入れはされているが、時代を感じる跡が見受けられる。

  この人にとっては、“昔ながらの”って感じなのかな?

 「若い君にはまだ分からないかもしれないけど、この今の街だって君が僕くらいの歳になったら、変わっているかもしれない」

 「……そうですね」

 「だから、今のうちに今の光景を覚えておくといい。変わってしまったさみしさもあるけど、歳を取ってからそれを懐かしむのも、また一興だよ?」

  今のうちに今の光景を、か…………これだけ豊かになって変わり切ったあとでも、まだ変化なんてするのかな?

  店の中から、外の景色に目をやったが、そこまで劇的な変化は想像出来ない。

 「すまないね。仕事中に声をかけてしまって」

 「えっ、いえ……あの、ごゆっくりどうぞ」

  俺は、上品な笑顔に見送られ仕事に戻った。

  今の老人と話をしたあと、不思議な気分になった。変わっていく街並みの中で、昔のまま変わらないこのお店の中は、俺が知りえない時代にタイムスリップしたかのような感覚を教えてくれた。



  店長は「あんまり満席になることはない」と言っていたので、最初は客の入らないお店なのかと思っていた。それが、ホウトクと高恩のおかげで満員御礼状態になっているのだと思っていたのだが、そうじゃないんじゃないかという出来事がいくつかあった。

  オーダーを取りに行ったときに、「いつものね!」と頼む人が何人かいたり、「私、前はそれだったから、今日はこっちにしてみようかしら?」「あ、そうそう! これたしか玉ねぎ入ってた! ごめんなさい。抜いてもらってもいいですか?」と話す人もいた。当然ながら、即席バイトの俺に「いつもの」なんて言われてもさっぱり分からなくて困惑したが。

  絡まれた俺を助けてくれたお姉さんたちにしろ、さっき少し話をした老人にしろ、このお店にはわりと常連客という固定客がいる。

  もちろん、今日このお店を満席にしたのはホウトクたちの力もあるんだろうけど、もともと満席にはならないにしても、それなりにお客さんの入るお店なんじゃないだろうか?



  


  


  ピーク時ほどではないが、またぽつぽつとお客さんが入り始めたころ、一組の夫婦らしき男女が来店した。

 「いらっしゃいませ。二名様でよろしいですか?」

 「ええ」

 「空いているお席へどうぞ」

  入り口で出迎えた俺がそう言うと、店内をじとーっとなめまわすように見回した二人。なんとなく違和感を感じたが、俺は水とおしぼりを持っていき、オーダーを取り、同じように接客をした。今のところ、目立っておかしいところはない。

  その二人が注文したコーヒーをテーブルに運ぶと、

 「……君は新人さんか?」

  と、男の人が声をかけてきた。眼鏡をかけていて、顔はよく見えない。

 「あ、はい」

 「へぇーーそうなのぉーー」

  女の人は不自然に間延びした話し方で、にたりと笑った。

  なんだろう、この感じ……

 「えっと、ごゆっく――――」

 「ねぇ、僕ー?」

  俺の言葉を遮った女の人は、コーヒーカップを俺に差し出した。

 「え?」

 「このコーヒー、ちょーっと濃いんだけどぉーーお湯で薄めてきてくれないかしらぁ?」

 「え、あ、はい」

 「あ、みんな忙しいだろうし、普通にお湯入れちゃっていいからねー」

  女の人はえらく機嫌の良い様子で、俺に手を振った。

  キッチンに戻ると、美也子さんは料理中で、店長はお客さんのコーヒーを淹れていて、姉ちゃんと早見さんは接客中。だけど、お湯のポットの場所は知っていた俺は、女の人から預かってきたコーヒーカップにお湯を注いだ。

  それを急いでさっきのテーブルに持っていくと、じーっとカップを見つめた女の人は、

 「…………本当にお湯入れてきたの?」

  と、冷たい声でつぶやいた。

 「え……はい」

 「ありえないだろ! なんて店だ!」

  俺が返事をすると、今度は男の人が怒り始めた。

  俺はお湯を入れて来いと言われて入れてきただけなのに、なんで怒っているのか、さっぱり分からない。

 「本当よ! これだから三流の喫茶店は!」

 「はっ、お粗末なもんだな!」

 「うちならこんなこと絶対ないわ!」

 「えっと……す――――」

 「とにかくお前じゃ話にならん! 店長を呼べ!」

  とりあえず謝らないと、と口を開いたのだが、男の人が店長を出せと要求してきた。周りのお客さんも異変に気が付き始めた。

  

 「お客様、大変申し訳ございません」


  初めての経験に内心動揺していると、呼びに行く前に店長が現れた。店長が頭を下げていたので、俺もとなりでぺこりと頭を下げた。顔をあげると、身振りであっちに戻っていろということを俺に伝えた店長。店長だけをここに残すことに罪悪感に似た感情を覚えたが、俺は言われたとおりその場を離れた。

  キッチンに入ると、

 「ありゃあ、この辺りで有名なクレーマー夫婦だな」

  と、美也子さんがつぶやいた。

 「クレーマー夫婦?」

 「この間も、この近所の肉屋で「おたくのコロッケのせいでうちの息子は太った」とか、意味の分からんことをほざいてたぞ」

 「……はい?」

 「コロッケくらいで太るか。どんだけ食ったんだ。っていうか、まず自分らの体型見てみろって感じだろ」

  美也子さんは、呆れたようにため息を吐いた。

  たしかにあの夫婦、テーブルにお腹突っかかってたし、お世辞にもスリムとは言えない。

  美也子さんの話に苦笑いを浮かべていると、キッチンの扉が勢いよく開いた。

 「一勢ー! ごめんねー! 」

  入ってくるなり姉ちゃんは俺に抱き付いてきた。続いて入ってきた早見さんは、

 「ごめんね。あの人たちには気をつけなきゃって分かってたのに、タイミングが合わなくて伝えられなくて……」

  と、申し訳なさそうに目を伏せた。

 「いえ、あの……俺は大丈夫なんですけど……」

 「君は何も悪いことしてないから、謝らなくていいんだよ」

 「えっ」

  いつの間にか音もなく店長が戻ってきていたようで、自然と会話に溶け込んだ。それと同時にベルが鳴り、店長と入れ替わりで、早見さんがホールに出て行った。

 「そういや、何してクレーム出したんだ?」

  美也子さんの質問にさっきの出来事を話すと、

 「何それー! 自分でやれって言ったくせにそれはないよね!」

 「つーか、別にコーヒーってお湯で薄めるのがダメとかないだろ。薄めるためのお湯と一緒にコーヒー出てくるお店だってあるしな。どっちが三流だか」

 「まぁ、うちは一応、淹れ方にこだわって淹れてるから、淹れ直せってことだったんだろうね」

  姉ちゃんと美也子さんと店長は、それぞれ反応は違えど口々に感想を述べた。

 「あっ! 店長! もしかして、あの人たちにサービス券とか渡したんですか!?」

  姉ちゃんがそう尋ねると、

 「いや、渡してないよ。今回の分の代金は頂かないことにしただけ。あれは典型的なクレーマーだし、券渡してまた来られてもねぇ……」

  と、店長は控え目ながらも本心を語った。

  店長、意外と強いな。



  俺がホールに戻ると、クレーマー夫婦は帰る準備をしていた。そして、さも当たり前でもというように支払いをせずにレジを素通りして行った。すると、

 「お兄さん、大丈夫だった?」

 「やーねぇ、きっと僻んでんのよ、あの人たち! このお店のほうが流行ってるから!」

 「気にすることないよ」

  店内にいて一部始終を目撃していたお客さんたちから、小さな声で励ましの言葉をかけられた。なんだか照れくさいけど、ホッとした。このお店の評判が、クレームのせいで落ちなかったことが、うれしかった。

  気持ちを切り替えて仕事に戻ろうと、ふと顔を上げるとお店の窓からあの夫婦が、肩で風を切りながら歩いているのが見えたのだが…………なにもないところで、急に盛大に転んだのが見えてびっくりした。このお店の中にいるお客さんにも丸見えだ。店内だけではなく、通行人の人たちも笑いをこらえているのが見受けられる。それくらいおかしな転び方をしたわけだが、それには訳がある。

  ホウトクが熊手の柄の先で、男の人の背中を刺すように思い切り押し、高恩が自らの足で女の人の足を引っかけたのだ。結果、飛ぶように転んだ二人。普通に見れば笑えるのかもしれないが、俺は転び方よりもホウトクと高恩が気になって、それどころではなかった。

  だから、みんなが外に気を取られている間に、スイのところへ行き、

 「あれ、いいのか?」

  と、こっそり尋ねてみた。

 「なにが?」

 「なにがって……ホウトクと高恩だよ! あんなことしていいのかなって」

 「いいんじゃない?」

 「はぁ?」

 「悪いことしたから、バチが当たっただけのお話だよ?」

 「バチ?」

 「まぁ、ほっといてもいずれ自分に返って行くけど、リアルタイムで神様に悪事を見られてたから、すぐに返ったみたいな感じだよ」

 「…………」

  こういう、神様や神使にとっては当たり前のようなことに、たまにだけど、なにか一種の怖さを感じるのは、俺が人間だからだろうか。

 「さっきクレーム言われたの、ショックだった?」

 「え? いや……なんで怒られてんのか分かんなかったし、それを理解する前に収拾しちゃった感じだし、そんなにショックじゃなかったかも」

 「ふぅん、そっか」

 「でも、いろんな人間がいるんだなって思った」

 「勉強になったでしょ?」

 「ちょっとだけな……っていうかお前、いつまでいるんだよ」

 「んー? オレ、今待ち合わせ中だからね」

 「は!? 誰とだよ」

 「秘密ー」

 「なんでだよ! ヘンな奴、呼んでないだろうな!?」

 「だいじょーぶだいじょーぶ。イッセーも知ってる人だよ。あ、お客さん呼んでるよ!」

 「えっ」


  接客をしながらも、スイが誰と待ち合わせをしているのか気になって仕方がなかった。

  ナギかナミか、もしくは茶々丸だろうか? それとも他の神様、もしくは神使だろうか? 俺に考えられる範囲はそれくらいだ。というか、そこしかないという確信じみたものさえある。

  俺は店の入り口を気にして、内心そわそわしながら、その誰かの来店を待ち構えた。

  



 

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