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神様の水鏡  作者: 水月 尚花


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  覚える気も失せるようなメニュー名に、一人打ちひしがれていると、

 「一勢ー、なんとなく覚えた?」

  と、姉ちゃんが戻って来た。

  覚えるって……何をどこから?

 「……あんまり」

 「もー、ちゃんと見てたのー?」

  見てたよ。見てたけど何も入って来ないんだよ。そもそも俺は歴史には詳しくないから、全然テンション上がらないんだよ。

 「これ、オーダー表になんて書けばいいの?」

 「ああ、それ? ナポレオンとか紫式部とか略して書いたら伝わるから!」

 「……へぇ」

 「ちなみに! かっこの部分のメニュー名で注文するお客さんにはかっこの部分で復唱してもいいけど、そのままのメニュー名で注文されたら、そのまま復唱するんだよ!」

  …………まじかっ! この意味不明な料理名復唱すんの!?

 「ほら、中には恥じらいを持ちつつも、そのまま言ってくれてるお客さんもいるからさ!」

  恥じらいって……なんでお客さんをそんな目に遭わせるんだよ。

 「…………へぇ」

 「一勢、さっきから「へぇ」しか言ってないけど、聞いてる!?」

 「うん。聞いてる聞いてる」

 「……あやしいなー」

  姉ちゃんは横目で、俺に疑いのまなざしを向けた。

 「っていうか、ここの従業員女の人多くない?」

 「たしかに女の子多いけど、男の子もいるんだよ? 現に今日来れなくなった三人のうち二人は男の子だもん」

 「ふぅん」

 「今日シフト入ってたうちの一人は女の子なんだけど、体調崩しちゃったみたいなんだ。男の子はー……えっと、一人は彼女と別れたショックでバイトどころじゃなくて、もう一人はバイク乗ってて事故に遭っちゃったんだって!」

  体調不良とか事故は、まぁ仕方ないが……なにしてんだ、男二人。特に失恋自主休暇のヤツ。まぁ、よほど彼女のことが好きだったんだろうけど、おかげで俺は意味の分からないメニュー名に苦戦を強いられているんだぞ。

 「……っていうか、その事故した人は大丈夫なのか?」

 「うん。聞いた話によると、転んで怪我はしたけどたいしたことないみたい! 聞いたときはびっくりしたけど、とりあえず命に別状なくてよかったよー!」

 「……そうだな」

 「まぁ、そういうわけだから! 帰りお菓子買ってあげるから、今日はがんばってね!」

 「いらねーし」

 「あー! せっかく買ってあげるって言ってるのにー! もう自分のチョコしか買わないもんね!」

 「あっそ」

 「さ、もう少しで開店だから、私テーブル拭いてこよーっと!」

  そう言って姉ちゃんは、人に絡むだけ絡んでまた自分の仕事に戻って行った。

  俺はそれからお店が開店するまでの間、ずっとメニュー本とにらめっこを続けたが、自分で思っていたよりも成果が出なかった。

  しかし、店長の、

 「うちは滅多に満席にはならないから焦らずに、とりあえず笑顔でやってくれればいいよ」

  という言葉で少しだけ、気が楽になった。

  それはそれでどうなの? とは思ったが、今の俺にとっては好都合だ。



  開店して間もなく、まだ昼食には少し早い時間だったので、最初はお客さんもまばらだったため、俺の出番はなく、姉ちゃんやほかの従業員の人たちの動きを見ていた。俺は、姉ちゃんがバイトしてる姿は初めて見たけど、いつものふざけた感じはなくて、楽しそうに笑顔で仕事してる姿を見て、感動まではいかないけど、それに近いものを感じた。

  本人には、絶対言わないけど。

  正直、ずっとこんな状態で、俺の出番が来なければいいのに……と、思っていたが、お昼近くなり、さすがにそういうわけにはいかなくなってきた。

  姉ちゃんたちはお客さんのところへオーダーに行っていて、店長と美也子さんはキッチン。そんなとき、ついにやってきた俺の出番。

  お店の入り口の鐘が、カランカランと小気味よい音が鳴り響いた。入って来たのは、女の人二人。

 「……い、いらっしゃいませ。二名様でよろしいですか?」

 「はーい」

 「えっと、空いているお席へどうぞ」

  女の人二人が席に着いたのを確認し、水とおしぼりの用意をして、客席に向かった。

 「本日は、ご来店ありがとうごさいます……こ、こちらに、水とおしぼりを置かせていただきます。メニューがお決まりになりましたら、そちらのボタンでお呼びください」

  教えてもらってメモ帳に書いたことや見て覚えたことを思い出しながら、たどたどしくもなんとか言い切った。

  俺は軽く会釈をして、ぎこちない動きでその場を去った。

  お客さんから見えないキッチンの入り口に入り、安堵のため息を吐くと、

 「よかったよ。今の感じで」

 「私、ちょっと感動した! やれば出来るじゃーん!」

  どこからか見ていたのか、俺の背後から店長と姉ちゃんが現れた。

 「………………」

  出来たことはうれしいが、見られていた恥ずかしさと褒められた照れくささと、さらに店長だけならまだしも身内もいるところで素直に喜べない。

  俺は、さりげなく二人から顔をそらした。

  そのとき、ちょうどタイミングよく、客席のテーブルのベルが鳴らされたことを知らせる機械音が鳴った。鳴らされたテーブルの卓番が、天井から吊るされた小さい掲示板みたいなものに表示されるのだが、確認すると俺がさっき案内した席だった。まだ緊張はするが、この場からは離れられる。

 「お、お呼びだね」

 「いってらっしゃーい!」

  二人に見送られながら、ホールに出るとなんとなく気が引き締まる。

 「お、おみゃ……お待たせいたしました! ご注文はお決まりですか?」

  噛んだ!

 「ええ。日替わりランチ二つと、食後にホットのアメリカンコーヒー二つと、この……紫式部の憂鬱と、ダイエット中のエジソンの発明をお願いします」

  いきなり来た。

  俺は注文されたメニューを、手に持ったオーダー表に書き込みながら、オーダー表が手書きでよかったと思った。メニュー名だけでも大変なのに、オーダー通すのが機械だったら、それの扱いまで覚えなくてはいけないところだった。

 「……日替わりランチがお二つと、食後にアメリカンコーヒーがお二つと……紫式部の憂鬱と、ダ、ダイエット中のエジソンの発明を、お一つずつでよろしいでしょうか?」

  これも絶対、歴史関係ないやつだ。なんだダイエット中のエジソンの発明って。豆乳マフィンがエジソンの発明ではないことは、俺にも分かるぞ。

  そして俺は、少し恥ずかしい思いをしながらも、復唱を終えた。

 「大丈夫です」

 「かしこまりました。少々、お待ちいただけますか?」

 「はい。お願いしまーす」

  オーダーを取り終え、戻ろうとしたとき、

 「ふふ。お兄さん、新人さん?」

  と、注文をしていた人ではないほうの女の人が、微笑ましい笑顔で俺に尋ねた。

 「え、えっと、はい」

 「仕事覚えるまではいろいろ大変だと思うけど、がんばってね」

 「は、はい! ありがとうございます」

  あんだけ噛んだり、どもったりしていたら、新人だとバレていないほうがおかしいか。

  でも、初めて接客した人がいい人たちでよかった。



  そして、お店は怒涛のランチタイムに突入した。

  店長の話では、満席になることはあまりないとのことだったのだが、今の店内は満席。そのうえ、外には軽く列が出来ていた。

  その光景を見て、

 「今日はどうしちゃったんだろうねぇ。こんなこと、滅多にないんだけどなぁ」

  と、店長が首をかしげながらつぶやいた。

  お店が繁盛するのはいいことなんだろうけど、今日だけはやめてほしかった。

  店内をバタバタ、あっちに行ったりこっちに行ったり、目が回りそうだ。だけど、おかげで自然と仕事の流れが身に付いてきた。仕事を覚え始めると、最初に感じていた憂鬱さは、感じる間もなく、いつの間にか消えていた。

  しかし、「この子、そばアレルギーなんですけど、大丈夫ですか?」「パフェのバナナ抜いてほしいんですけど」など、メニューに関する質問や注文、お客さんが飲み物をこぼしてしまうというハプニングなど、この忙しい中、バイト初心者の俺でもなんとか対応出来ることもあったが、対応できないことも多々発生し、一人困惑する場面もあった。

  そんなときは、近くにいる姉ちゃんや早見さんが助けてくれたり、店長がホールに出てきて迅速に対応してくれた。

  マニュアル通りにはいかない出来事も、姉ちゃんと早見さんは慣れた感じで対応していて、バイト初日の俺とは経験値がだいぶ違うと実感した。

  だけど、店長はさらにすごいと思った。店長がホールに出てくると、なんとなく安心感がある。

  

  ああ見えて、店長ってすごいんだな……ネーミングセンスはおかしいけど。

  


  店の外の列が無くなったころ、

 「一勢君、休憩行ってきていいよ」

  と、店長が俺に声をかけた。

  まだ店内にお客さんはたくさん居るのだが、だいぶ落ち着いてきたように見える。

 「あ、はい」

 「奥の部屋に、お昼ご飯用意してあるよ。一人ずつ順番で休憩入れるから、三、四十分くらいで戻ってきてね。携帯とか見ててもいいし、テレビ付けてもいいよ」

 「分かりました。ありがとうございます」

  ふと店内の時計を見ると、もう十四時前だった。

  さっきまでざわざわしていた店内にいたせいか、スタッフルームに入ると、ものすごく静かに感じた。まるで別の世界みたいだ。

  スタッフルームの一番奥の扉を開けると、六人がけくらいのテーブルがあり、周りにはテレビやホワイトボード、段ボール箱が置かれていた。

  テーブルには一人分の食事が用意されていた。カレーライスとサラダとスープ。それとゼリーが置かれていた。美味しそうだが、一人分にしては量が多いような気がする。カレーライスのご飯は山盛りだし、よく見たらから揚げが乗っている。

  昼食の前の椅子に座り一息つくと、シーンと静まり返った空気。この静かさに落ち着かなくて、俺はテレビを付けた。適当なチャンネルに合わせ、そのあと一瞬だけ手を合わせて昼食を食べ始めた。

  


  今思ったけど、俺が一番に休憩もらっちゃってよかったのかな? と思いながら、何口か食べたころ、スタッフルームの短い廊下で話し声が近づいてきた。

  誰か休憩に来たのかな?

  そう思ったのもつかの間、部屋の扉が勢いよく開いた。


 「「兄貴ーっ!!」」


  ドアが開いたと同時に、聞こえた大きな声。

  そこにいたのは、頭にはちまきを巻いた男が二人。

  俺が、思わずポカンとしていると、

 「兄貴っ! ご無沙汰しておりやすっ!!」

 「ご無沙汰しておりやすっ!」

  と、部屋の中に入ってきて、正座をしてこぶしを床に付けた二人。



  ……これは、もしかして…………

  という、おそらく確信に近いであろう一つの答えが、俺の中に浮かんだ。




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