008
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料理が出て来ると、今度は女中さんたちが飲み物を注いでくれたりいろいろ世話を焼いてくれていて、なんだか落ち着かない。最初、鈴鹿に酒を勧められたが、さすがにそれは断った。俺は一応、未成年だ。その代わりにスイがお酒に付き合っている。
「お前、お酒飲めるのか?」
スイがお酒を飲んでいるところを見たことがなかった俺は、酔っぱらわないのかどうかという確認も兼ねて、お酒を飲み始めたスイにそう尋ねてみると、
「まぁ、嗜む程度には。でも、ちょっとやそっとじゃ酔わないから大丈夫だよ」
と、スイから返ってきたのは、涼しげな笑みとさわやかな返答だった。
……なんかムカつくから聞かなきゃよかった!
でもよく考えたら、高校に通っているから同い年だと錯覚しがちだけど、スイは全然未成年じゃないんだったな、そういえば。
俺が女中さんに入れてもらったお茶を啜っていると、碧生の周りが騒がしくなってきた。
「ほんとに久しぶりだねぇー碧生! あんた男前が増したんじゃないのー?」
少し年配の女中さんが、碧生の肩を叩きながらそう話しかけると、
「ほんとねぇ! 元々、綺麗な顔してたけど! ふふふ」
と、もう一人の女中さんも碧生に話しかけた。
それからも来る人来る人、碧生に声をかけて行く。碧生はそれに対し、
「お、お久しぶりです」
「そ、そんなことないですっ」
「あ……ありがとうございます」
と、どもりながらも一人一人に返事を返している。
俺はここに来てなんとなくだけど、碧生はこの里のみんなに好かれているんだと思った。誰一人、碧生のことをバカにしたり、貶したりする人はいない。それどころか、みんなすごく好意的だ。どうして、あそこまで自分を否定して、ここに帰ることを拒んでいたんだろう? それが、俺には分からない。
「すごいよね」
碧生を見ながら、スイがポツリとつぶやいた。
「え?」
「三千年ちょっと経ってるのに、みんな碧生のことちゃんと覚えてるんだもん」
「言われてみれば……!」
「イッセーなんて二、三日前のことすら忘れてそうなのに」
「なっ! さすがにそれくらい覚えてるよ!」
……たぶんだけど。
「あ、これうまい」
悶々としている俺の横で、のんきに食事を再開したスイ。
あっさり話題変えやがったな。
「碧生には、もう少し自尊心を身につけてほしいものじゃのぅ」
「そうですねぇ」
そう言いつつも鈴鹿と青花は、謙遜しまくる碧生を見てうれしそうに目を細めた。
そんな穏やかな空気の中、ふいに部屋の入り口のふすまを見た鈴鹿は、怪しげに笑みを浮かべると、着物の帯から出した扇子で口元を隠し、青花に耳打ちをするような動きを見せた。鈴鹿が扇子をしまうと、青花はスッと立ち上がり、女中さんの一人に声をかけに行った。小声なので、何を話しているかは俺のところまでは聞こえない。
すると、その女中さんが他の女中さんに小声で話しかけると、またそこから他の女中さんへと、どんどん話が通っていく。そして女中さんたちは、示し合わせたように、全員綺麗に退室していった。
事情がのみこめていない俺と碧生は、キョトンとした表情で顔を見合わせた。
静まった部屋の中、
「青憧、黄雅。ぬしら、バレていないとでも思うたか?」
と、鈴鹿の声が響いた。
しばらく間があったあと、ふすまが開くと、さっき部屋の前に居た護衛らしき男が二人、バツが悪そうな顔で入ってきた。青い髪のスポーツ刈りの男と、黄色い目をした長髪の男。ふすまを閉めると、部屋に入って二、三メートルくらいのところで並んで座った。二人の姿を目にした碧生は一瞬、目を見開いたあと、申し訳なさそうな顔でうつむいた。
「まったく、何か言いたげにふすまの間からちらちらと……気になって仕方がなかったぞ」
「「申し訳ございません、姫様」」
立派な体格の男二人が、鈴鹿に頭を下げた。
「かまわぬ。して、ぬしらは碧生に話があるのじゃろう?」
「「…………はい」」
その会話を聞いていた碧生は、大きく肩を揺らした。
青憧と黄雅が顔を見合わせ、目配せした瞬間、二人が何か話す前に碧生が口を開いた。
「あ、あのっ、すいません! 僕、二人がいることに気が付いていたのに、何の挨拶もしないで――――」
「「すまなかったっ!」」
青憧と黄雅は大きな声で碧生の言葉を遮り、今度は碧生に向かって頭を下げた。
「――――――――え?」
青憧と黄雅の謝罪の言葉を聞いたあと、少ししてから顔を上げた碧生は、意味が分からないというような顔をしていた。
「……正直、俺らはお前が神の使いに選ばれたとき、なんでアイツがって思ってた」
「そのことを僻んで……お前のことを馬鹿にしたようなことを、言ったりもした」
「そんで、お前がいなくなってから、今までうまく行っていたことが、思い通りにいかなくなって、それをお前のせいにして、勝手にふて腐れてたら、姫様にお叱りを受けた」
「それでも最初は、それすらお前のせいにしていたら……ついに本気の鉄槌を下された……」
交互に話し始めた青憧と黄雅は、そこまで話すと二人して青い顔をしていた。おそらく、そのときのことを思い出したのだろうが、その様子からよほど鈴鹿を怒らせたということが伺える。
「碧生は、決して目立つような存在ではなかったが、己の為すべきこと以上の働きをしてくれていたのを、余は知っておった。反対に、この二人は目立ってはいたが、それは碧生の働きがあってこそ為せたもの。人間だろうが、鬼だろうが、どんな仕事も地位も一人で為せるものなどない。余とて、みながあっての余じゃ。それを……この大馬鹿者二人は、それに気づかないどころか理解しようともせず、あたかも自分たちだけの力で為し遂げたような気になって驕っていたゆえ、余が灸を据えたまでの話」
「…………へ、へぇ」
俺は適当に相槌を打ったが、本当はぼんやりとしか理解出来ていない。言っていることの意味が表面的にしか分かっていないような感覚。俺のそんな曖昧な様子を見た鈴鹿は、
「あらゆるものに対しての感謝を忘れた者に、大成はない。一応言うておくが……余の言う大成とは必ずしも、地位や名声を手に入れることではないぞ。今はまだ、みなまで理解できぬだろうが、心得ておけ」
と、まるでお見通しとでも言わんばかりの顔をして、フッと笑みを浮かべた。
「……俺たちは、姫様が言うとおり、本当に大馬鹿者だった。姫様に言われたこと理解すんのにも、すげー時間かかったしな」
「だから、理解して初めて自分たちの傲慢さに気づいて、お前が帰って来たら謝ろうって思ってたのに……全然帰ってこねぇし。そりゃあ、俺らみたいなんがいるから、帰って来たくなかったのかもしんねぇけど……」
青憧と黄雅は、しおらしい表情で話し始め、少し拗ねているような顔で碧生を見た。二人に視線を向けられた碧生は、あたふたと言葉を探していた。
「……あのっ、僕が帰らなかったのは、決してお二人のせいではなくてっ、えっと………………本当は――――」
「碧生ーっ!!」
碧生が、真面目に何か話し始めようとした矢先、碧生を呼ぶ声と同時に勢いよくふすまが開いた。
まさか、空気ぶち壊すの今日で三回目の黄恵!?
そう思い、入ってきた人物を見ると、今日初めて見る女の子だった。可愛らしい顔をして、ふわふわした髪の毛を揺らしながら、碧生を目がけて突進してきたその女の子は、そのままの勢いで座っている碧生の腰のあたりに抱き付いた。突然の出来事に、碧生は体勢を崩しかけたが、なんとか床に手を付いて体勢を保っていた。
「え、っと? 紅里?」
「そうよ! どうして最初に、私のところに来てくれなかったのよー!」
碧生が戸惑いがちに名前を呼ぶと、子供のように駄々をこね始めた紅里。開きっぱなしのふすまから、黄恵が「あちゃー」と、おでこを抑えているのが見えた。
「まぁ、紅里! はしたないでしょ! お客人がいらっしゃるのに……」
青花がそう言って窘めると、
「お姉さま……でも、だって……私だって碧生に会いたかったんだもの! それなのに……どうして、青憧と黄雅が私より先に碧生に会ってるの! いじめっ子のくせにっ!」
と、キッと青憧と黄雅を睨みながら、涙ぐむ紅里。
「なっ! 紅里お前!」
「いじめっ子って……」
「だってそうでしょう!? あんたたちのせいで、碧生ずぅーっと帰ってこなかったんだよ、きっと! バーカバーカ! ね、碧生?」
「えっ!? いや、ちがっ――――」
……俺が言うのもなんだけど、なんか子供のケンカみたいだ。
「紅里。ぬしの気持ちも分からなくはないゆえ、出ていけとは言わぬが、まずはおとなしく座れ」
鈴鹿の声はこの騒音の中でもよく通るようで、一瞬にしてピタリと音が止まった。
「…………はぁーい」
鈴鹿の言うことをおとなしく聞き入れた紅里は、ごく自然に碧生の横に座った。
さすがの威厳。
しかし、おとなしく座るやいなや、紅里の視線は俺に向けられた。「あんた誰?」とでも言わんばかりの懐疑的な視線。
視線が痛い。俺は、どうしたらいいんだろうか?
「あ! え、えっと、一勢さんは彼女に会うの初めてですか?」
紅里の視線に気づいた碧生は、焦った様子で紅里の気を反らすように割って入った。
「う、うん」
「紅里は、僕の幼馴染みなんです。お騒がせしてすいません」
「いや、お邪魔してるのこっちだし、いいよ気にしないで」
再び「すいません」と謝った碧生は、今度は小声で紅里に俺のことを話していた。碧生が話し終えると、紅里は、
「ふぅーん…………でも、あなた全然エライ人に見えないわね」
と、俺の顔をまじまじと見ながらつぶやいた。
「紅里っ! なんて失礼なことをっ!」
紅里の発言に碧生は、顔を青くしていた。
「ほんとに、紅里ったら! ごめんなさいねぇ。悪気はないのよ……この子」
青花は困ったような顔をしながら、頬に手を当てた。
「言われちゃったねぇー」
「この里の者たちに比べれば、まだまだ若造じゃからのぅ」
スイは明らかに俺をからかっているような笑みを浮かべ、鈴鹿は余裕の笑みを浮かべた。
まぁ……ほんとに俺、ただの人間だし全然エラクないから、たいして気にしてないからいいんだけど……
この場が落ち着きを取り戻したころ、紅里はきょろきょろと部屋中を確認するように、丁寧に見回していた。
「どうしたの、紅里?」
青花が尋ねると紅里は、
「…………今日は、あのおかっぱの人いないの?」
と、ムスッとした表情になった。
「ああ! そうね。碧生、今日、一緒に来られなかったの?」
紅里の一言で、何かを思い出したような青花。
問いかけられた碧生は瞳を揺らした。
「おかっぱって、え? ……まさか、シラギクさん?」
「そう! その人よ! 碧生はあの人の神使なのに、あの人が来るときいっつも碧生いないんだもん」
「来るときいつもって、なんで……」
「余はシラギクには、幾度か会うとるのじゃ」
「……え!?」
「いくら神とは言え、ぬしがどんな奴に仕えているのか分からぬままでは心配だろうと、自らここへ出向いて来てくれてのぅ。それから、幾度かここへ来ては、ぬしのことを聞かせてくれたんじゃ」
「そんなことが…………僕は、全然知らなかったです」
碧生は、どことなく気が抜けたような声でつぶやいた。その様子から、ここに来たときとは違う動揺が見えた。
碧生が一番びっくりしているのだろうけど、シラギクが碧生に黙ってここに来ていたことを知って、俺も少しびっくりした。




