006
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まさか、シラギクがこんな強制的な行動に出るとは思わなかった。初めて会ったときの姿からは、想像出来ない。一度くらい帰れというようなことは言っていたが、帰らないと言う碧生に、無理強いさせるようなことはなかった。めんどくさがりだから、そこまで何も言わないのかな、と俺はそう思っていた。
それなのに、ここに来てシラギクが突き付けたのは、碧生にとっては究極の二択。
「シラギクさんは……どうして、僕を里に帰らせたいんですか?」
「それは、今あたしが言わなくても、帰れば分かる」
二人の会話がどう展開するのか、という緊張感に、なぜか俺まで巻き込まれそうだ。
「…………僕は、鬼のくせに気が弱くて……誰の役にも立てなくて、里では落ちこぼれだったんです」
戸惑う瞳でシラギクを見つめたあと、碧生の視線はゆっくりと下を向き、手をぎゅっと握ると、静かながらも吐き出すように始めた。
「日に日に、劣等感ばかりが大きくなる一方で……だけど、そんなある日、「鬼を、神の使いに出してはくれないか」と、全知全能の神だという方が鬼の里に見えたんです。神の使いになれるなんて、鬼にとっては大出世。もちろん、僕は自分なんかが選ばれるわけがないと思っていました。それなのに……全知全能の神は、あろうことか僕を選んだんです。僕よりも優れた鬼がたくさんいるのに、どうして僕だったのか、それがいまだに理解出来ないんです。だからきっと、僕より力のある鬼たちは、僕のことなんてまだまだ認めてはくれていない……」
「だから、帰れないと?」
「……はい」
碧生が肯定すると、シラギクは一度、軽く息を吐き、
「そんなところだろうとは思っていたが、そんな理由なら、やっぱり一度くらい帰れ。そんでもしも、そんなヤツがいたら、帰って自慢の一つや二つしてやればいいだろう。あたしが許す」
と、碧生に向かって腕を伸ばし、人差し指を出した。
「え、でも」
「“でも”も“だけど”も禁止。一回帰ってその性格直してこい。じゃ、あたし帰るから。あとは頼んだ」
俺とスイに軽く手を挙げると、階段を一段上るみたいに足をあげたシラギク。上げた足は半分消えているので、おそらく出てきたところであろう空間の中なのだろう。あっという間にシラギクの姿は消えた。
そのあと、シラギクに手を伸ばしかけ、立ち尽くす碧生に、なんて声をかければいいのか分からず、スイに視線を送った。
っていうか、口には出さなかったけど……よく考えたら、碧生が里に帰らない原因、俺じゃね? いや、俺っていうか、前世の俺だけど。
「碧生。行くしかない状況になっちゃったわけだけど……大丈夫?」
スイが碧生に声をかけると、振り返った碧生は、
「だ、大丈夫じゃないです……でも、今シラギクさんのところに帰ったら怒られそうだし……」
と、少し涙目で、青い顔をしていた。
「まぁ、だよね。嫌なら無理にとは言えないけど……イッセー、どうしよっか?」
なんで俺に振るんだよっ!
「えーっと……とりあえず、行ってみてから考えるのじゃ、ダメかな?」
「そうだね。ここまで来ちゃったし。碧生もそれでいい? 無理しなくていいからさ」
「…………はい」
なんとか碧生から承諾を得た俺たちは、碧生を加え、再び足を進め始めた。
「碧生さー、今日シラギクに、どうやってここまで連れて来られたの?」
「仕事だと言って……でも今思えば、最初から違和感はありました」
「違和感?」
「さっきシラギクさんは、ご自分の神具を持っていなかったでしょう?」
「あー言われてみれば! あれがなきゃ、仕事出来ないもんね」
「ええ……」
碧生はスイと会話をしていたが、それっきり黙り込んでしまった。
それからしばらく誰も言葉を発さず、ただ足音だけが鳴り響いていた。俺と碧生の前を歩くスイに付いて歩いていたら、もはやどこから来たのか分からなくなるくらいの森に入っていた。スイのことだから、おそらくは道を間違えたなんてことはないだろう、とは思っても不気味な鳥の鳴き声や、木がざわつくような音がすれば、少し怖い。
「あれー? たしかこのあたりのはずなんだけどなー」
「え!? お前、まさか迷ったとか!?」
「どうだろうね」
スイは悪びれた様子もなく、笑っていた。
「どうすんだよ、道まちがってたら!」
「冗談だよ。ほら、あそこ」
体ごと振り返ったスイが親指でさした方向には、俺が平安時代に飛ばされたときに見たような光景があった。お屋敷の形は違えど、だいたいの感じは変わっていない。
俺の隣にいた碧生が、あからさまにビクっと肩を揺らしたのが分かった。
「さて、どうしよっか? ここから先に行く? 行かない? 今ならまだ引き返せなくはないけど……」
「………………」
碧生が、スイの問いかけに答えられずにいると、スイはなぜか俺の少し後ろを見ていた。その視線に気が付いた俺は、振り返ってスイの見ていたところを見たが、見えるのは深い森だけで誰もいない、と思い視線を戻したそのとき、パキッと枝が割れる音がした。
「え、今なんか音が……」
再び視線を後ろに向けると、女の人が一人、立っていた。普通の現代人の着ているような洋服に、ショルダーバッグをかけ、手には大きな袋を抱えていた。その女の人は、目を大きく見開いてこちらを見ている。
え、これってやばいんじゃ……どうみたって普通の人だし! ここが鬼の里なんてことがバレたら一大事だ。
俺が一人でテンパっていると、その女の人は目をこらすように細め、こっちを見ながら、
「……本物?」
と、つぶやくと、少しずつ近づいてきた。
何のことを言っているのか、俺には全然見当がつかない。
迷ったにしても、そもそもこんな不気味な森に足を踏み入れる女の人なんて、不自然極まりない…………はっ! まさか人間にとって未知の生物を研究してる人とか!? それなら余計に――――
「ああー! やっぱ本物だ!! 碧生ー!?」
女の人は、突然叫び声をあげた。
やっぱり! ……え!? いや、今、碧生って……
俺の見当違いでよかったけど、碧生はそうではないらしく、女の人に気が付いて真っ青な顔をしていた。
「あの人、鬼だよ」
戸惑う俺の少し後ろで、スイがボソッとつぶやいた。
「でも、服とか普通じゃん」
「ほら、オレもそうだけど、人間の世界に行くときは、人間に紛れ込まないといけないからね」
「じゃあ、あの人は人間のいるところに行ってたってこと?」
「そういうこと。なんか用事頼まれたんじゃないかな」
神使が人間に姿見せれるのと一緒ってことか。
そう考えると、人間って気づかないだけで、人間に見せかけて実は人間じゃない人に、知らず知らずどこかで遭遇しているのかもしれない。
碧生の名前を叫んだ女の人は、駆け足で近寄って来るなり、
「ひっさしぶりー!! あんた今まで、ぜんっっっっっぜん帰って来ないから、みんな心配してたんだよー!?」
と、碧生の肩をバシバシ叩いていた。
碧生は、ただ立ち尽くし、魂が抜けかけたような顔をしている。
「そうだ!! 早く姐さんに知らせてあげなきゃ!!」
女の人がそういうと、碧生はハッとして止めようとしたが、時すでに遅し、彼女はお屋敷に向かって一直線に走り出していた。
あそこには、たぶん鈴鹿御前がいる。
「もうこうなったら仕方ないんじゃない?」
「……や、やっぱり無理です!」
碧生はそう言って、踵を返したが、スイが碧生の襟を掴んで行動を阻止し、そのまま碧生を引きずるように歩き出した。
「は、離してくださいっ!」
「あのねぇ、だいたいさっきの子に見られた時点でアウトでしょ。ときには潔さも必要だと思うんだよね、オレ」
有無を言わさず、碧生を引きずりながら、お屋敷のほうに向かって歩くスイと、その横を微妙な面持ちで歩く俺。
何人か建物の外に出ていた着物の人たちは、
「あら、あれ碧生じゃないのかい?」
「ほんとだ、ありゃあ碧生だな」
「え、どこどこ!?」
と、遠巻きからこちらを見て、少しざわめきだした。
ついに、一番大きなお屋敷の前までたどり着いた。ようやくスイが碧生の襟から手を離すと、碧生は俺の後ろに隠れた。
っていうか、それで隠れたつもりかもしれないけど……碧生のほうが俺よりでかいし明らかにはみ出してるし、隠れられてない。
そのことを伝えようかそうしようか迷っていると、お屋敷の中から足音が聞こえてきた。その音はどんどんこっちに向かってきている。それに気づいたのか、碧生はまた肩を揺らした。
その直後、思いっきり玄関の扉を開けて飛び出してきたのは、青花だった。青花の後ろからは、
「ちょ、青花姐さーん! 早いっすー!」
と、さっきの女の人が続いて出てきた。
俺は、自分の背後にいる碧生の姿が見えるように、体を横にずらした。
「っ! 碧生っ!!」
碧生の姿を確認するなり、青花は碧生に向かって走ってきて、そのまま飛びつくように碧生に抱き付いた。その勢いで背中から地面に倒れこんだ碧生と、そのまま碧生に抱き付いたままの青花。よく見ると、足は足袋のままで何も履いていない。そこから、よほど慌てて出てきたことがうかがえる。
「あ、姉上……」
碧生はさまよう手をどうしていいか分からないようで、青花の肩を触りかけてやめた。
「ほんとに馬鹿なんだからっ! あれから全く連絡もよこさないで……」
そう涙目で訴える青花さんの顔は、少し碧生に似ていた。
「…………すいません」
碧生は、青花の肩にそっと手を置いた。
微笑ましくも、少し見ていて恥ずかしい気もするこの状況。しかしそんな空気も、
「姐さん、よかったっすねー! あ! あとは、姫様にも知らせて来ないと! それに客人もいるみたいっすからね!」
と、いい意味で明るくぶち壊したのは、最初に会った女の人だった。
「……いいわ、黄恵。私も一緒に姫様のところへ行くわ。あなたも一緒に行なさい」
感動の再開もつかの間、青花はそう言って碧生の手を取り立たせた。
すると、黄恵と呼ばれた女の人は、
「そうっすかー? もう少しそのままにしててもいいんすよー?」
と、首をかしげた。
いやいや、空気ぶち壊したのお前だろっ!?
「私ったら、つい取り乱しちゃって……ごめんなさいね。はずかしいわ」
青花は俺とスイを見て、少し赤らんだ頬を押さえ、困ったような顔で笑った。
「いいよいいよ、気にしないで。いきなり来たオレたちが悪いんだし。ね、イッセー?」
「っえ、あ、うん!」
よそ見をしていた俺は、話を振られ、慌ててうなずいた。
お屋敷の中に案内されるとき、
「スイ……お前、碧生が迷ってるとき、後ろからさっきの黄恵っていう人が来るの知ってただろ?」
と、小声でボソッと尋ねると、
「んー?」
と、とぼけたふりをしているのかと思えば、鼻の前で人差し指を立て、ウインクをしたスイ。
その仕草に若干、腹立たしさも感じたが、前に碧生たちがいるためグッと抑えた。




