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「――――?……一勢っ?」
「は、え!?」
祭壇の花に囲まれて座っている女を、瞬きも忘れて固まったまま凝視していると、俺を呼ぶ母さんの声が聞こえ、慌てて現実に帰った。
「どうかしたの?」
「な、なんでもない」
「そう? じゃあ、帰りましょうか」
「……うん」
俺に背を向けて歩き始めた母さんとじいちゃんの背中を確認して、バレないように、一瞬だけ振り返って祭壇を見たが、そこに女の姿はなかった。
俺の見間違え? それともおじいさんの親戚の人?
いや、はっきりと見えたから見間違えではないはずだ。それに、親戚だったとしても、あんな場所にいるなんて、まずありえないだろ。
あと考えられるのは、まさかとは思うけど……俺が見えるのは神様とか神使だけだと思っていたが…………もしかして霊的なやつ!? いやいやいいや! ちゃんと足だってあったし! そもそも、そんなの見えたことないし!
その日は、ずっとそんな自問自答を繰り返しているうちに、夜が更けた。
次の日、学校に行き、いつもどおり他愛のない話をしていると、
「あ、そういや昨日は急なことで気づかなかったんだけどさー、スイが言ってた迷信ちょっと当たってたかも! ってことに俺、家帰ってから気づいてさ」
と、春斗が唐突に話題を切り替えた。
「昨日? あーカラスの話? なんかあったの?」
スイが首をかしげた。
「そうそう、それそれ! 昨日、近所のおっちゃんのお通夜だったんだよ。すげーいい人だったから、なんかさみしい気がするなー」
「そうだったんだ。それは残念だけど、いい人だったなら、きっといいところに行けるよ」
「そうだよな!」
「春斗のご近所さんってことは、イッセーも行ったの?」
「っえ、うん……まぁ」
突然、スイに話を振られ、あわてて適当に相槌をうった。そんな俺を見て、スイは「ふぅん」と言いながらも、少し不思議そうな顔をしていた。
正直、昨日はあんなに気になっていたカラスの鳴き声の話も、それよりも気になっていることがあるからか、今はそんなに関心が持てない。
一晩経った今でも、あの女の姿が脳裏に焼き付いて離れないのだ。
昨日の晩、家に帰ってから母さんとじいちゃんに「祭壇の花の中に、人いなかった?」とさりげなく聞いてみたが、二人とも「いなかった」と言っていた。
今だってまず、人がいること自体がありえないような場所に人がいたなら、春斗が真っ先に話題にしそうなものだが、言わないところを見ると、気づいていなかったのか、見えていなかったのか……
一体あの女は何者で、あの場所で何をしていたのか。
授業中も休み時間も、昨日の光景を思い出しては、答えの出ない考えを巡らせることを繰り返した。
「なに? なんか考え事?」
帰り道、話が途切れ一瞬の静寂のあと、スイが切り出した言葉に思い当たるふしがある俺は、ギクッとした。だけど、それを隠そうと平静を装った。
「……なんで?」
「気づいてないとでも思った? 今日、いつも以上にボケっとしてるじゃん」
適当に相槌は打っていたし、バレていないと思っていた。
「ちなみに、春斗は分かんないけど、サキだって気づいてたからね。今日、イッセーボヤっとしてるから、帰り道気を付けろって言ってたよ」
「へ、へぇ」
「で? 何をそんなに考えこんじゃってるのかな?」
「……何をって」
「心ここにあらずだった原因だよ」
原因はあきらかだが、本当はあまりスイには聞きたくなかった。
でも気づかれてたし、こうなったら仕方ないか。
「昨日、お通夜に行ったとき…………祭壇の花に埋もれるっていうか、たくさんの花の中で女の人が座ってて……」
「女の人?」
「うん。着物来てて、おかっぱの」
俺がそこまで言うと、スイは顎に手を当て、少し首を傾けて考え込むような姿勢になった。
スイに昨日のことを聞きたくなかったのは、これだ。スイも知らなかったとなると、いよいよ疑問や不安が大きくなる。だからあえて聞かなかったのだ。俺はモヤモヤした気持ちで、スイの返答を待っていると、
「その女の人ってさぁ……すげー長い刀持ってた?」
と、俺が伝えていなかった女の特徴をスイが言い当てた。
「っ! うん、持ってた! 知ってるのか?」
「まぁね。っていうか、知ってるもなにも――――」
「あのぉ……すいません」
突如響いた第三者の声。どこか弱弱しさを感じるような男の人の声が、スイの言葉を遮った。
俺とスイが歩いている道の電柱から顔をのぞかせたのは、青い着物を来た優しそうな顔立ちの男の人だった。
「あれ? 久しぶりだね、碧生。どしたの? そんなとこから出てきて」
「……知り合い?」
スイに小声で尋ねれば、
「うん。碧生は、さっき言ってた女の人に関係してるよ」
と、笑みを浮かべた。
……碧生? どこかで聞いたような名前だな。
俺と目が合った碧生は、電柱の影から出てきて、俺の前まで来ると、
「昨日はすいませんでした」
と、いきなり腰を九十度曲げ、頭を下げた。
「えっ、なんで!?」
俺は、この人に謝られるようなことをされた覚えはない。
「シラギクさんが、ご迷惑をおかけしまして……僕なんかが謝っても許していただけないかもしれませんが、シラギクさんに悪気はなくて……」
「……シラギクさん?」
「あ、説明が途中だったね。昨日イッセーが見た女の人っていうのが、シラギクだよ」
「っ! すいません! お話の途中だったんですね。僕が先走ったばかりに……ほんと使えない神使ですいません」
しょんぼりと肩を落とす碧生。
「いや、あの、大丈夫だから!……っていうか、神使って……」
「あ、はい。申し遅れましたが、僕は死を司る神の神使、碧生と申します」
「……死を司る?」
「そ。シラギクは、死神だよ」
「…………え?」
「そりゃあ、祟り神だっているんだから、死神だっているでしょ。普通に考えて」
普通って……いや、たぶん普通なんだろうけど……もう普通の基準がよく分からない。
「ところで碧生。そのシラギクはどこにいるの?」
「それが、その……来ていただければ、分かります」
よほど言いづらいことなのか言葉を濁した碧生に付いて行くと、俺の家についた。そのまま池に向かうのかと思えば、予想に反し、俺の家の玄関のほうに歩いて行った。
「実は……家の中に勝手にお邪魔してまして……」
「えぇ!?」
家の中に入ると、玄関に草履が一足きれいに並べられていた。今日はみんな出かけていると聞いていたので、その草履だけがポツンと置かれていて、やたらと存在感を放っている。
誰もいないはずの家の中からは、テレビの音が少しだけ漏れていた。俺は緊張しながら音がするリビングのドアを、そっと開けてみると、テレビの音がさっきよりはっきりと聞こえた。しかもドアを開けたと同時に、煎餅くささも漂ってきた。
リビングに入り、ふとソファを見てみると、昨日の女が横になり、煎餅をかじりながらテレビを見てくつろいでいた。
「あ、あの」
「んー? ああ、おかえりー。邪魔してるぞー」
俺は恐る恐る声をかけてみたが、シラギクは特に気にした様子もなく、気だるげにそれだけ言うと、またテレビを見始めた。そして湯呑みに手を伸ばし、お茶を飲み干したあと、
「あ、碧生ーお茶」
と、空の湯呑みを碧生のほうへ差し出した。
「シラギクさん! いつまでくつろいでるんですか!」
「これ観終わるまで。真相が分からないと腹立つわー」
「なんの話ですか!」
「鈴木さんを殺した犯人を殺した犯人は誰なのか」
なにそれ、わかりづらっ! っていうか、神様がなに観てるんだよ……
「とりあえず、これが終わるまで待ってようか」
「……そうだな」
「ほんとにすいません……」
昨日見た謎の女が実は神様で、そしてその神様が俺ん家のリビングでくつろいでいる。しかもなぜかサスペンス劇場に夢中になっている。
しかし、そんな急な展開にも関わらず、耐性がついたのか、俺は前ほど驚かなくなったような気がする。




