001 人は死して名を留む
001
その日は、けたたましく鳴き続けるカラスの鳴き声で目が覚め、天気は晴天だったが、とてもさわやかとは言えない朝だった。カラスの鳴き声が聞こえることはよくあるが、こんなにやたらとギャーギャー鳴くことはめったになかった思う。
階段を降りてリビングに行くと、
「あら、おはよう! 今日はいつもより早いのね」
と、台所に居る母さんが、フライ返しを片手に顔をのぞかせた。
「カラスがうるさくて目覚めた」
「そうよねぇ。ここまで鳴いてると、なんか不吉だわ」
母さんは、少し覗き込むように窓を見た。
俺もつられて窓を見たが、窓の外に見えたのは、電線に三羽ほど止まっているカラスだけで、ほかにカラスの姿は確認できない。いったい、どこでこんなにカラスが鳴いているのだろうか。
あとからリビングに入って来たじいちゃんも父さんも、みんな口を揃えてカラスの鳴き声のことを言っていた。
それでも、ただ一人まったく起きてくる気配のない姉ちゃん。瀬里姉のときもそうだったけど、どんなに騒がしくても、いつも一人寝こけている姉ちゃんはある意味無敵だと思う。
俺が家を出るときには、カラスはだいぶ鳴き止んでいた。
しかし、学校までいつもの道を歩いているのに、今日は静かに感じた。いつもはもう少し、にぎやかだったように思う。人はいつもと変わらないくらい行き来しているが、話し声がなく、足音や自転車の走行音がやけにはっきりと聞こえる。まるで違う道を歩いているみたいな感覚。きっと朝、カラスがうるさすぎたから、その反動でそう思うだけだ、そう思い少し足を早めた。
学校につけば、いつものように人がたくさん居て、話し声もたくさん聞こえてきて、なぜかホッとした。
席に着いてしばらくしてスイが来て、そのすぐあと春斗と高崎君、もといサキが教室に入ってきた。二年になって友達になったばかりのころは、高崎君と呼んでいたが、春斗がサキと呼んでいるから自然とサキと呼ぶようになった。
そのあだ名の由来を聞けば、野球部の先輩たちが、いつも少女漫画を読んでいるからという理由で、高崎のタカではなく、サキという女の子のようなあだ名で呼び始めたのがきっかけらしい。だからと言って、いじめのような不穏な要素もなく、本人も特に嫌がっている様子もない。それに、幸いうちのクラスにサキという名前の女子もいないので、俺とスイもそう呼ばせてもらっている。
「はよっす! なー今日の朝、カラスすげーうるさかったよな!?」
春斗は開口一番に、今朝のカラスの話題を切り出した。
「うん。俺はそれで目覚めた」
「え? そうだったの? オレ知らなかったなぁ」
そりゃあ、学校とか何か用事ない限り、スイが居る場所は神界だからな。
「まじか! あんなにうるさかったのに、やっぱうちの近所だけだったんだな! サキも他の奴もそんな気にならなかったって言ってたし。な? サキ!」
春斗が同意を求めると、サキは少女漫画片手にうなずいた。
「不気味なくらい、やたらと鳴いてたのに、そんな狭い範囲だったんだな」
「だろー? んで、朝練のときそれ言ったら、みんな不吉の予兆じゃね? って言い出してさ!」
「不吉の予兆?」
そういえば、母さんもそんなこと言ってたような……
「なんか、カラスとか動物の異常な行動って、大地震とか災害とかの予兆の可能性もあるらしいって!」
「へぇ。でも、それならうちの近所だけってのもおかしいだろ」
「だよなー! んなの、だいたいが迷信だよな」
春斗はカラカラと笑い出した。そんな中、
「カラスの鳴き声って言えばさ……これも迷信だけど、聞きたい?」
と、さっきまで俺と春斗の会話を、ただ聞いていたスイが、あやしげな笑みを作った。
「えっ! 他にもなんかあんの!? なになに!」
俺は、スイがしょうもないことを言うんじゃないかと黙っていたが、春斗が食いついた。
「さっき聞いてて思ったんだけどさ、そのカラスの異常な鳴き声って、一定の範囲内だけでの出来事でしょ? それってご近所さんで不幸があったときにも同じような現象が起こることあるんだって」
「……不幸?」
春斗は首をかしげた。
「まぁ……おもに、誰かが亡くなったりすることだね」
「まじか!」
「で、その鳴き声って、近所の人たちにはめちゃめちゃ聞こえてても、その不幸があった家の人には、まったくと言っていいほど聞こえてないときもあるらしいよって話」
「なんか、それはそれですげーな! 迷信つってもいろいろあるんだな!」
スイを見て、感心したように声を上げた春斗。
予鈴が鳴り、春斗とサキが各自の席に戻っていったあと、前の席にいるスイに、
「あの迷信の話って本当の話なのか?」
と、尋ねると、
「さぁね」
と、はぐらかされ、前を向いたスイの背中に向かって、ふてくされた視線を送ってやった。
帰り道、カラスの話なんてすっかり忘れ、いつもと変わらず他愛のない話をしながら、スイと歩いていると、目の前をカラスが無言で横切って歩いていた。
「あ、カラス」
俺がそうつぶやくと、驚いたのか、カラスは羽を広げ瞬く間に空へと飛び立っていった。
「朝、イッセーと春斗が言ってたけど、ほんと今日このへんカラス多いんだね」
「そうかもな。明日は違うとこだったりして」
「まぁ、ありえなくはないね」
そんな会話をしながら足を進め、だんだん家に近づいてきたとき、
「……なんか今日、雰囲気違うな」
と、ふと道の先を見つめながら、スイが小さめの声でつぶやいた。その声を聞き取った俺は、
「雰囲気って、誰の?」
と、スイに尋ねた。
「いや、人じゃないよ。なんていうか、空気感? 的なものかな」
「空気感?」
俺もじっと道の先を見つめてみたが、特に何も感じなかった。いつもどおりの景色で、それなりに人もいる。ただ……
「静かなんだけど……ざわついてる?」
本当に、ただなんとなく感じた、自分でもよくわからない感覚的例えを、自信なさげに言ってみると、
「あーそんな感じかも!」
と、意外と間違ってはいなかったようで、なんとなく理解はしてもらえたようだ。でも、スイがそんなことを言い出すなんて、やっぱり今日は何かが起こるんじゃないかという、不安とまではいかないが、それと似た感情が湧いてきた。
「……今日の朝は、不気味なくらい静かだったし、なんか気味悪いかも」
「大丈夫だと思うよ? とりあえず今のところ、そこまでのヤバさは感じないし」
スイはそう言っていたが、俺の中には、どことなく落ち着かない気持ちが残っていた。
家に帰れば、玄関のカギは開いていたのに、シーンと静まり返り、誰も気配がない。家に帰ったのに、余計に落ち着かない。
俺は一応、誰かいないか家中を軽く確認してみたが、誰もいなかった。気分をまぎらわすために、リビングのテレビを付けると、玄関で物音がして、とっさに見に行ってみると、
「帰ってたのね。今、お向かいさんのところに行ってたのよ」
と、母さんが脱いだサンダルを揃えていた。
「……ふぅん」
内心、ホッとした俺は、自分の部屋に向かおうと踵を返した瞬間、「あ! そうだ、一勢!」と、母さんに呼び止められた。
「なに?」
「今日はあんまり明るい色の服着ちゃダメよ!」
「なんで?」
「今夜、お通夜にお邪魔するからよ」
「……お通夜?」
「今朝ね、角の家のおじいさんが亡くなったんですって。さっき回覧が回ってきたのよ。おじいちゃんのお友達で、あなたも小さいときお世話になったでしょ? それで、さっきご近所さんとも相談して、お通夜だけ参列させてもらうことになったから」
「…………わかった」
俺は、その角のおじいさんを思い出しながら階段を上った。
一番最初に出てきた記憶は、小学校に入ったばかりのころ、春斗とサッカーボールで遊んでいたときに、その家の庭にうっかりボールを蹴り入れてしまったときのことだ。二人して、ビクビクしながら取りに行くと、温厚そうなおじいさんが出てきた。それが角の家のおじいさんだ。
多少のことでは動じない感じだったし、家も立派なお屋敷だし、今思えば、どこかのお偉いさんだったのかもしれない。
それから、会うたびに話しかけてくれたり、お菓子をくれたりして、とても優しいおじいさんだった。でも、その人がじいちゃんの友人だと知ったときは、少しびっくりした。
思い出しても嫌な記憶が出てこなくて、「もうあのおじいさん、いないんだ」と思うと、少し切なくなった。
そういえば……ここ最近は、全然会うことなかったな。体調、よくなかったのかも。
夕飯を早めに済ませ、まだ帰ってきていない父さんと姉ちゃん以外の三人で、車で斎場へ向かった。運転をしている母さんの隣で、
「さみしくなるなぁ」
と、せつなげにつぶやいた。
斎場に着いたあと、お参りをさせてもらい、誰かと話している母さんとじいちゃんを手持無沙汰に待っていると、俺のところに春斗がやって来た。
「イッセーも来てたんだな」
「うん」
「俺ら、ちっせーときお世話になったよな」
「うん。すげーいい人だったし」
「そうだよな。でも俺たちだけじゃなくて、おっちゃんはこんなにたくさんの人に慕われてたっていうか、なんていうか……」
「言いたいことはなんとなく分かるよ」
今、俺の視界には、この斎場に入りきらないんじゃないかってくらいの人がいる。そして、ほとんどの人が適当な気持ちで来ていないということが、見て取れた。
なんとなく、しんみりとしてしまった空気の中、お互いの親に呼ばれ、春斗とはそこで別れた。
母さんとじいちゃんと合流した俺は、そのまま帰る方向に体を向けたのだが、どこからか視線を感じたような気がして、ふと振り返った。その先に見えたのは、祭壇の中で微笑んでいるおじいさんの遺影。それにも驚いたのだが、もっと驚くべきものが目に映った。祭壇の花に埋もれるように、足を組んで座っている女の人がいたのだ。
その女は、黒地に花のような柄の入った着物を着て、腕には明らかに自分の背丈よりも、だいぶと長いであろう刀を抱いていた。おかっぱ頭で顔はうつむき加減のため、顔はよく見えないが、しばらく俺が見ていると、唇にうっすらと弧を描きはじめたような気がした。




