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お菓子を食べ終わった俺は、楽しそうに話している母さんと姉ちゃんを横目に、リビングを出ようとしたのだが、
「あら、もうこんな時間! 一勢、悪いけど、庭からネギとってきてくれない? 今日の夕飯に使うから」
と頼まれ、俺はハサミを片手に庭に来ている。
家の庭は花がたくさん咲いているが、隅っこのほうにプランターがあり、そこに少しだけ、ネギやトマトなどの簡単な野菜も生っている。言うまでもなく、ここにある植物は、すべて母さんが世話をして育てている。
俺は庭に興味がなかったから、来ること自体あまりなかったが、最近は、この庭にある池から神界に入っているので、よく来るようになったせいか、ずいぶんと見慣れた感じがする。
一瞬だけ庭全体を自分の視界に映してから、ネギの前にしゃがみ込み、ネギを切るという地味な作業を開始した。
パチンパチンと、ハサミでネギを切る音が庭に響く。今日は妙に静かだ。いつもなら子供の声や、車の音など、何かしら音があるのに今日はまったくと言っていいほど音がない。強いて言えば、木々の揺れる音や風の音がかすかにする程度だ。空も赤く夕焼けに染まっていて、なんとなく、気味が悪い。それが気になってしまった俺は、ネギを切る手を早めた。
「ねぇ」
作業を終え、ネギの束を持って立ち上がった瞬間、誰かの声が聞こえた。その声の気配は近くに感じたが、さっき庭には誰もいなかったはず。
きっと家の庭のすぐ外の道で、誰かが話しているだけだ。
そう思い玄関に向かおうとしたら、
「後ろ向いて。僕だよ僕」
と言われ、気持ち的には向く気はなかったのだが、思わず反射的に振り向いてしまった。
「ごめんね? 驚かせちゃった?」
「……え? ナギ?」
「うん」
「なんだナギだったのか……っていうか、いつの間に!?」
「ここに来たのはちょっと前だよ」
そう言ってナギは、縁側に腰掛けて笑っていた。
「ナギもこっちに来ることあるんだ。なんか用事でもあったのか?」
「たまにね。今日は特に用はなかったから、ただの散歩みたいなものかな」
「一人で?」
「茶々丸もいたけど、先に帰っちゃった」
「ふぅん」
「で、僕が帰らずに、ここにいた理由なんだけど……」
「理由?」
「うん。本当は、散歩ついでに一勢に会いに行ったら驚くかなぁって思って、お家にお邪魔したんだ」
「え!?」
「そしたら、君とお母さんとお姉さんが話してることが、耳に入っちゃったんだけどさ……」
そこまで言うと、少し申し訳なさそうな笑みを浮かべたナギ。
「……話してること?」
「従姉妹のお姉さんの話だよ」
「ああ」
そういや、瀬里姉の話してたけど……
「君は、その従姉妹のお姉さんのこと好き?」
「は、え!?」
「変な意味じゃないよ? 人としてどうかってこと」
「人としては……好き、だよ」
「じゃあ明日、神界に来て」
「え? 神界と瀬里姉が、何か関係あるのか?」
「赤ちゃん、産まれるんでしょ?」
「そうみたいだけど」
「だから明日、安産の神様に会ってみない?」
「……俺が?」
いや、会うのはともかく、よく考えたら俺が産むわけじゃないのに、俺が会ってどうすんだろう……
「君以外に誰がいるのさ。とにかく、何かお姉さんのために出来ることがあるなら、してあげたいでしょ?」
「まぁ、うん」
「それなら、会うだけ会ってみてよ」
「……分かった」
「うん。じゃあ、また明日。待ってるから」
ナギは満足げな笑みを浮かべて、池の中に消えていった。
ナギを見送ったあと、俺も足早に家に入ったのだが、俺が手にもっているネギを見て、
「まぁ! こんなに持ってきたの!? 一、二本でよかったのに」
と、母さんに驚かれ、
「ぷくくっ、ネギ農家の人ですかー?」
と、姉ちゃんに笑われた。
…………何に使うか知らなかったんだから、仕方ないだろ。
その日の夕食は、俺がネギを持って来すぎたせいか、ネギがふんだんに使われていた。
次の日、俺はナギとの約束どおり神界に入った。
神界に入ってすぐに、誰かが橋にいたことが数回あり驚かされているので、一応周りを確認したが、今日は誰もいないみたいだ。
今から神様に会うということで、少し緊張はしているが、いつもと同じくらいのペースで歩き始めた。もう何回も来ているので、神殿までの道は体で覚えているような感覚で、俺は歩きながらぼんやりと景色を眺めていた。
しかし、のんびりと歩いていたのも束の間、突如、俺のすぐ右隣の木の茂みからガサガサッと何かがうごめいているような音がして、びっくりして立ち止まって身構え、茂みに目を凝らして何かいないかそっと確認してみた。
すると次の瞬間、音がしたところから飛び出てきた、つぶらな瞳のサルが、俺のポケットから出ていた神玉の紐を引っ張り、すばやく取って、そのまま走り去って行ってしまった。
「あっ!」
本当にあっという間の出来事で、俺が手を伸ばしたときには、サルはすでに走り出していた。
神玉は俺自身、ただ持っているだけで、これといって何か出来るわけでもないが、大事なものだということだけは分かる。
それ以上、何か考える前に、サルを追いかけて走り出すと、神殿の前にサルの姿を捉えたのだが、俺が神殿の前の階段を駆け上っているうちに、見失ってしまった。
突然の出来事を理解する前に、サルを追いかけて走り出したが、走っているうちに、ようやく少しだけ冷静になってきた頭の中。
っていうか、なんでサル!? 今までここで見たことなんてなかったのに! サルに神玉取られたなんて言ったら怒られるかも……
階段を上りきり、息が上がったまま門をくぐると、びっくりしているナギと目が合ったが、俺は手を膝につけてうなだれた。
「え? なんでそんなに息上がってるの?」
ナギの問いかけに、俺は息を整えながら、
「……さ、サルッ、サルが、いたっ」
と、返すのが精いっぱいだ。
「ああ、そのサルはね――――」
ナギが何か言いかけたとき、俺の足元に影が出来た。それと同時に、
「あらあらあら、まぁまぁまぁ!」
と、ナギの声を遮って、俺の頭上から声が降ってきた。
聞いたことのない、落ち着いた感じの女の人の声。
頭をあげると、やはり見たことのない女の人がいた。頭のてっぺんがりぼんのような形に結われている。その人は、俺と目が合うと綺麗に笑った。
着物の上から、足首くらいまでの丈の長い羽織を羽織っていて、手にはなぜか長箒を逆さまに持っていた。歪みなく整っている穂先が、ちょうどその人の頭の高さくらいにあり、箒の柄は地面に着いている。
「しばらく見ないうちに大きくなって!」
その女の人は、俺の頭を優しく撫でた。
「え、あの……」
若くてすごく綺麗な見た目に反して、親戚のおばさんのような反応を見せたその人に戸惑っていると、
「彼女が、安産の神様のイブキだよ」
と、ナギが掌でイブキを指し示しながら紹介してくれた。
「あ、えっと――――」
俺がイブキに何か言わなきゃと口を開くと、
「はーなーせー!!」
と、今度は聞いたことのない子供の叫び声が聞こえた。
「離すとまたちょろちょろするでしょ」
その声とともに現れたのはスイと、スイに首根っこを掴まれているさっきのサル。
「あっ! さっきの!」
俺が思わずサルを指さすと、
「これでしょ?」
と、スイが俺の神玉を持っていた。
「そうだよ! っていうかそのサルは!?」
茶々丸で慣れてたけど、サルなのに喋ってるし……
「あらあらあら! これ、雪丸! おとなしくしてなさいと言ったでしょう?」
イブキが優しめに叱りつけると、ポンッと人間の姿になったサルは、人間の姿のときの茶々丸と、同じくらいの背格好の男の子だった。やんちゃそうな顔立ちで、髪は高い位置で短いポニーテールのように結われ、毛先は切りそろえられている。サルもとい、雪丸は、
「茶々丸寝てるし、退屈だったんだよ!」
と、ふてくされた様子で地面を蹴った。
「雪丸はイブキの神使なんだけど、イタズラ好きでね」
スイはその様子を横目に、俺に神玉を渡した。
「いきなり、ごめんなさいね? 雪丸、あなたもちゃんと謝りなさい」
イブキは雪丸の肩に軽く手を置いて、俺のほうを向かせた。
「…………すまん」
雪丸は俺のほうを向いてはいるが、目は合わせず、しぶしぶといった感じで、ぼそっとつぶやいた。俺はそんなに怒ってないからいいけど、この様子からして、雪丸はあんまり反省してないだろうな、と思い俺は思わず苦笑いを漏らした。
いつもだいたい、神様との出会いは俺の想定外に訪れるが、今回のイブキと雪丸との出会いも想定外で、いつも以上にあわただしい神様との出会いだった。




