009
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俺は仕方なく、崖を慎重に降りていき、橋に到着したのだが、その橋を見て再び絶句した。
崖の上から見ていたときは分からなかったのだが、架けられている橋には、どの角度から見ても傾斜がついているように見える。しかもこの橋に手すりなどはない。落ちたら下の川に真っ逆さまだ。
おまけに、時おり強い風が吹き付けてくる。一つ幸いなことがあるとすれば、わりかし幅があることくらいだ。
「渡りがいのある橋だわぁ」
いいえ。スリリングすぎます。
「ま、こんな橋、神界にはいっぱいあるけど、今まで誰も落ちてねぇし大丈夫だろ」
いや、そういう問題ではないだろう。
「何かあれば、私が真っ先にお助けいたしますもの! ご安心なさって!」
それも、そういう問題ではない。
「一思いにいっちゃえば?」
お前は、簡単に言うな。
「……せめて、風がなければいいんだがな」
そうだよ。俺もそう思う。
しかし、真白以外はもう渡ること前提で話を進めている。
ここで俺がうじうじ言って微妙な空気になっても嫌だし、こうなったらもう、気持ち的には自棄に近いが、腹をくくるしかないと思った俺は、
「…………渡ればいいんだろ」
と、ため息交じりにつぶやいた。
とは言ったものの、橋に一本ずつ足を乗せ、両足を踏み入れた瞬間、いきなり風が吹いて、俺はその場で硬直した。最初からこんな感じで大丈夫なんだろうか。
「一勢様ー! ファイトですわ!」
「真ん中歩いたら大丈夫よぉ」
真ん中って……ちょっと右に傾いてる気がするんだけど……
俺は、なるべく下を見ないようにして、自分の平衡感覚と、後ろからの声援やアドバイスらしき声を頼りになんとか真ん中くらいまで来た。
ここまで来る間にも何度か風が吹いたが、俺なりに少しコツを掴んだ。傾いている右から風が吹いてきたときは、少し左に重心を移動させ、左から吹いたら右で踏ん張るような感覚。
これなら、なんとか行けるかも!
と、そう思った矢先、橋が不自然に上下に揺れた。
「この橋、渡りやすいわぁ」
「あっ! 私より先に一勢様のところに行くなんて、許しませんわよ!」
「これは私の橋だものぉ。私が先に決まってるわぁ」
「まぁ! 自分のだからって客人より先に行くなんて、おもてなしの精神が欠けてますわ!」
俺は、止まったまま体のバランスを取り、そっと振り向くと、声で想像はついていたが、そこには想像どおりキョウとレンカが居て、橋を渡り始めていた。
どんどん縮まってくる二人と俺との距離。このまま橋の上で鉢合えば……なんて、想像しただけでゾッとした俺は、言い知れぬ危機感に迫られ、いろんなところに精神を張り巡らせながら少しづつだが、逃げるように足を進めた。
とにかく、橋を渡りきることだけに集中した。そして、残すところあと二メートルくらいのところまで来て、思い切って小走りで走り抜けた。
橋を渡り切って、一気に力尽きた俺が、その場で地面に手を付けば、キョウとレンカを始め、あとから神使たちも橋を渡ってきた。
「おつかれー。オレの出番がなくてよかったよ」
「……っていうかさ、これ、俺が渡る意味あった!?」
人をからかうように笑うスイに、俺がそう尋ねれば、
「橋を架けてもらったのは、願掛けみたいなものなんだけど、渡ってもらったことに特別意味はないのよぉ」
と、キョウが答えた。
「え? じゃあ」
「でもねぇ、どうせなら架けるだけじゃなくて、渡らせてあげようと思ったのぉ。昨日、スイから願掛けの意味聞いたぁ?」
「……うん」
「そう。あのねぇ、一勢君って自分も含めて、人間にあんまり興味ないでしょう? 私も、一勢君以外の人間には興味はないけど、あなたは今は、人間なんだものぉ。だから、人と関わったうえで、少しくらい興味も持ったほうがいいと思うのぉ。という意味も込めて渡ってもらったのよぉ」
そんなようなことを昨日、スイにも言われたのを思い出した。人間に興味があるとかないとか、今まで考えたことなかったけど、俺は興味がないほうなんだということは分かった。
「ああ、だけどねぇ……女の子には、興味持たなくていいのよぉ」
「それは同感ですわ! まっ、心配なさらずとも、一勢様に近づく忌々しい女は、私が成敗いたしますけど!」
「それなら私も手伝うわぁ」
「がんばりましょうね!」
黒い笑みを浮かべながら、仲良く手を取りあったキョウとレンカ。
心配しなくても、ただでさえ人間にあんまり興味のない奴が、女の子と仲良くするなんてありえないと思う。実際に彼女とかもいないし。っていうか、なんでそこだけ結託してんだよ……
「あーあー、イッセーにはしばらく彼女できないかなー?」
「恋愛の神らしからぬ発言だな」
「いつものことだ」
盛り上がっている神様二人に、冷静なつぶやきを放つ神使たち。
その中で、唯一の人間である俺は、いろいろな感情の混ざったため息を一つこぼした。
キョウの神界で橋を架けた数日後、新学期が始まった。
俺は、緊張気味に校門をくぐった。キョウのところで願掛けみたいなことはしたけど、本当にみんなとクラスが離れてたら、と考えると少しクラス分けを見るのが怖くなってきた。
クラス分けの紙が貼られている場所には、もう同じ学年の生徒たちが群がっていた。喜んでいたり、落ち込んでいたり、何事もなかったかのように去っていったり、いろいろな感情が渦巻いている。
俺もクラスを確認しようと、群れの中をかき分けていると、誰かの肩がぶつかり、「あ、ごめんなさい」という声がしたので、俺も謝ろうとその人を確認すると、よく見知った顔だった。
「なんだ、希実か」
と、俺が言うと、
「一勢!? っていうか、なんだって何よ! あ、あんたA組だったわよ」
「え? なんで知ってんの?」
「お、同じクラスだったのよ! あんたの名前、上のほうだし、目についただけ! じゃあね!」
それだけ言うと、足早に去っていった希実。幼馴染みである希実とも、何度か同じクラスになったことはある。だけど男じゃないから、中学くらいからは、教室でそんなに話したりしなくなった。まぁ、それでも誰も知り合いはいないよりはマシか。
自分のクラスは分かったし、今さらどうあがこうがクラスは変わらない。なかなか減っていかない人の群れに、これ以上いる意味もなくなった俺は、教室に向かうことにした。ある意味、もう行き当たりばったりだ。
教室に入ると、
「あ、遅かったねー」
自分の席の前に、スイが座っていた。
「スイ、同じクラス?」
「そ。安心した?」
「……別に」
「ちなみに、春斗も一緒だよ」
「そうなんだ」
俺はそっけなく返したが、本当はやっぱり友達がいたほうが安心する。肩から鞄をおろしたのと同時に、緊張感も解け、ほっとしていると、
「イッセー、スイ! はよー! また同じクラスだなっ!」
と、春斗が来たのだが、その後ろに誰か居る。俺が、じっと見ていると、
「そーそー! コイツ、俺と同じ部活の高崎! ちょっと変わってっけど仲良くしてやって!」
春斗に後ろから引っ張り出されたのは、背が高くて、無口であんまり愛想のなさそうな男子生徒だった。
俺とスイがひと通り、初対面の挨拶を済ませると、先輩に呼ばれた春斗は教室を出て行った。
「春斗と同じ部活ってことは、高崎君って野球部なんだ?」
スイの質問に、静かにうなずいた高崎君。
「どこ守ってんの?」
「ピッチャー」
あ、喋った。
スイと話している高崎君を見ていた俺の視線に、高崎君が気づいて、目が合ってしまった。何か話さなきゃ、と思ったときにふと目についた、彼の持ち物。
「あ、えっと、読書好きなのかなって」
手に持っていた本を見て、とっさに思い付いたことを聞くと、高崎君はうなずいて、その本の表紙を見せてくれたのだが……その表紙を見て、俺は一瞬、言葉を無くした。
「…………少女漫画?」
そう、その表紙には、顔の半分くらいはあるであろう、キラキラした大きな目が特徴的な女の子の絵が、でかでかと描かれていたのだ。
「結構面白い」
「へ、へぇ。俺、漫画好きだけど、少女漫画は読んだことないや」
「今度貸す」
「え、あ、ありがと」
高崎君は、少女漫画の話になると、なんとなく顔がうれしそうだ。
春斗が言っていた変わってるっていうのは、このことだったのか。
結局、スイや春斗とはまた同じクラスだったけど、キョウたちのおかげ、なのかは分からないが、新しく一人、変わった友達が出来た。




