005
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不安があろうが、どんなことがあろうがなかろうが、朝は来てしまうものだ。
目を開けば、小鳥のさえずりが聞こえた。
「あら。一勢ったら、そんな格好でどこ行くの?」
「…………スイんとこ」
朝食を食べ終え、玄関で靴を履いていたところを母さんに見つかった。今の俺の服装は、昨日スイに動きやすい服装で来いと言われたから、スウェットのズボンにTシャツを着て、その上からパーカーを羽織っただけの適当な格好。まぁ普段もこういう感じの服装だが、このままの格好で出かけることはあまりない。行くとしたらコンビニくらいだ。
しかし、すぐに帰るわけじゃないから、コンビニとは言えないし、まさか自分の家の庭の、しかも池の中だなんてもっと言えない。だから、どこに行くのか聞かれて、なんて答えようか迷って、咄嗟にスイの名前を出した。
「スイ君のお家に、お邪魔するの?」
「う、ううん。待ち合わせしてるから」
「今日はスポーツでもしに行くの?」
「……まぁ、そんなとこ」
「そう。何時ごろ帰るの?」
「……分かんない」
「じゃあ、遅くなるなら連絡しなさいね。気を付けるのよ」
「うん」
母さんに見送られながら玄関を出て、周りに誰かいないか確認して足早に庭へ向かう。そして庭に着くと、また周りと自分の家の窓から誰もこちらを見ていないか確認して、さっと池に足を踏み入れた。
もちろん、こうやって神界に来ることは初めてではない。しかし、いつも神界に入ってホッとする反面、ここに来るためにコソコソしている自分に、少しだけ罪悪感を感じていた。本当のことは言えないから仕方ないけど、隠し事をして、ウソをついているみたいだから。
だけど、そんなことを言っていたらキリがないことは分かっている。これは俺が、これからさきもずっと、みんなに隠さなきゃいけない……一生、つきとおさなきゃいけないウソなんだ。
「浮かない顔してんねぇー」
橋の真ん中でいきなり聞こえてきた声の先にいたのは、見慣れた人物だった。ソイツは足を組んで、橋の勾欄に腰かけていた。
「スイ!? いつからそこにっ!」
「最初から。キョウのとこ行くの、嫌んなっちゃった?」
「そんなんじゃない」
「じゃあ、あれだ」
スイは足を下ろし、勾欄から離れて橋の上に立った。
「……なんだよ」
「みんなに隠し事してるみたいで、心苦しいとか?」
「っ!」
「当たっちゃった?」
「当たってない!」
「ふぅん」
「そんなことより、早く行くぞ!」
「はいはい」
本当は、スイの言っていることはだいぶ的を得ている。だけど俺は、素直に認められなくて、その話を振り払うように力を込めて足を踏み出して、歩きはじめた。
「そういえばさ、もうすぐ二年になるよね」
俺と違い、何も気にしていない様子で歩いているスイは、また唐突な話題を持ってきた。
「そうだけど、なんで今その話?」
「四月は、クラス替えあるじゃん?」
「うん」
「イッセーはさ、もしオレも春斗もクラス離れたら、どうすんのかなって」
「どうするって……」
「中学一緒だった奴は居ても、何回か話したことあるかなー、くらいのうっすらした関係でしょ?」
「……まぁ、たぶん」
「それでも、誰かと仲良くなれればいいけど、イッセーはあんまり自分から人に関わらないから、大丈夫かなーって思って」
たしかに、言われてみればそうかもしれないけど、今まで深く考えたこともなかった。
俺は小さな声で、
「……考えてみたら、今まで春斗とクラス離れたことないかも」
と、つぶやいた。するとスイは、
「って話をこの間、キョウにしたんだよね。だから、橋架けるって言い出したのも多分、半分くらいはイッセーのためだから」
と、俺がつぶやいた言葉をかき消すように話を続けた。
「はぁ!? 今の話と橋に、なんの繋がりがあんだよ?」
「ま、ただ単にお前に橋架けてほしいってのもあるけど、願掛けも兼ねてるんだよ」
「願掛け?」
「人と人との架け橋が、イッセーにもできますようにってこと」
「……そういうことか」
でも、なんていうか……俺、そんな心配されてたんだ。でもスイの言ったことはまた的を得ている。それなりには人付き合いはしてきたと、自分で思っていただけなのかもしれない。
神殿に着くと、ナギとナミが居て、さっそくキョウのところへ送ってくれた。
「いってらっしゃい。頑張ってね」
ナギがそう言って手を振った瞬間、昨日と同じくナミが扇子を振れば、俺とスイを囲むように、円を描いて風が吹き、風の壁のようなものが出来た。くるくると円を描いて吹く風は、円の外の景色が見えなくなるくらいに、どんどん加速していった。
しかし、円の外の景色が見えなくなったのはほんの一瞬で、風はすぐに減速していった。風がおさまると、ナギとナミの姿はなく、周りの景色も変わっていた。
「…………橋だらけ」
今、俺の目の前には神殿らしき建物があるのだが、その周りを見回せば、至るところに、造りも形も異なるいろいろな橋が架かっている。よく見れば神殿の中にも、渡り廊下のような、短めの橋らしきものがあるのが見える。
「キョウの神界だからね。ここにある橋、三千年前よりだいぶ増えてるんだよ。あ、あの橋、オレも初めて見るなぁ」
スイは手のひらを水平にして、目の少し上のあたりに当てながら右の方向にある橋を見ていたが、その方向にもいくつか橋があり、もはやスイがどの橋を見ているのか分からない。
……これ以上、どこに橋を架けるつもりなんだろうか。
「二人とも、いらっしゃぁい」
「よく来たな。今日はよろしく頼む」
キョウと鋼守が神殿からではなく、俺とスイの背後から現れた。
「ちょうどいいところに来てくれたわぁ」
そう言ってキョウは、俺の左腕を自分の右腕を絡めて掴むと、いきなり俺を引っ張るように歩き始めた。
「え、どこ行くの?」
「さっき、橋に使う木を用意しておいたのぉ」
「へ、へぇ」
ちらっと後ろを付いてきているスイと鋼守を見れば、二人で何やら話しているみたいだが、とりあえず、二人が近くにいることで少し安心した。
俺は、キョウに引っ張られるがまま歩きながら、気が付いたのだが、神殿の周りもそうだったが、視界に入ってくる景色にも必ず橋がある。いくつか橋を渡り、歩いているうちに崖に突き当たった。行き止まりかと思いきや、ちゃんと橋は架かっている。しかし、キョウはそこで立ち止まった。するとキョウは、
「着いたわぁ。ここの渓谷に橋を架けてほしいのぉ」
と、崖の下を指さした。
俺はそっと顔を出し、崖をのぞいて見ると、幅の広い谷間に、これまた幅の広い川が流れていた。
「……え。この下?」
「そうよぉ。ちなみに橋に使う木はこっちにあるのぉ」
また腕を引っ張られ、崖から少し離れた場所へ移動すると、そこには丸太が数本と木の板が置かれていた。
「これで橋作れるの!?」
「作るのは、簡単な丸太橋だから大丈夫よぉ」
作るのが簡単なのはありがたいけど……いやいやいや! よく考えたら、あの崖の谷間に簡単な橋でいいのか!?
「ちなみに、この木は橋を作るために育てていた木なんだが、一応キノにもちゃんと許可を得てる」
鋼守がそう言うと、
「だから大事に使わなきゃね」
と、スイがうなずいた。
「一勢君と橋を架けたいって言ったら、許可してくれたのぉ」
「泣く泣くだったがな」
「え」
……キノ、なんかゴメン。
俺は心の中でキノに謝った。
「じゃあ、橋は簡単に出来るから、今からここにある橋を見せてあげるわぁ」
え!? 今から作るんじゃないんだ?
キョウは掴んだままの俺の腕を引っ張り、歩き出した。
マイペースすぎるキョウに振り回されているが、ニコニコと笑っている横顔を見て、豹変させたらどうしようという不安は、少しだけ消えた。




