002
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俺は他の神様の名前を出さないよう、細心の注意を払い、キョウを豹変させることなく、なんとか無事に神殿に着いた。しかし、まだ油断は出来ない。
今、俺の隣にキョウが座っていて、向かい側にはナギとナミが座っている。スイは、開いている小窓の淵に腰をかけていて、茶々丸は相変わらず寝ている。一つ違うのは、いつも穏やかな笑みを浮かべているナギが、どこか緊張したような少し強張った笑みを浮かべていること。ナギの隣にいるナミは、いつもどおりの無表情だが、俺でもキョウでもなく、どこか全然違うところを見ているように見える。
「久しぶりだね、キョウ。鋼守がいないみたいだけど、一緒じゃないの?」
一番に口を開いたのはナギだった。
「久しぶりねぇ。そういえばあの子、どうしたのかしらぁ?」
鋼守というのは、おそらくキョウの神使だということは俺にも分かったのだが、その神使がいないことに気がついても、キョウはのんびりと構えている。
「多分、そのうち来るんじゃない?」
スイが、「多分」なんて曖昧なことを言っても、
「そうよねぇ」
と、あっさり納得してしまった。
「それよりキョウ。イッセーに何か用事があるって言ってたけど、何だったの?」
「今日ここに来た一番の目的はねぇ、一勢君にお願いがあって来たのぉ」
「……お願い?」
俺が尋ねると、隣にいたキョウは俺の顔を見て、おっとりとした笑みを浮かべた。
「そう。あのねぇ、私の神界に新しく橋を一橋、架けて欲しいのぉ」
「橋を架けるって……橋を作るってこと?」
「そうよぉ」
「え……俺、橋なんて作ったことないし、作れる気しないんだけど……」
「…………」
俺が思っていたことをそのまま言うと、キョウは黙り込んでしまった。
あれ? この展開はもしかして……
そう思い恐る恐るキョウの顔を見ると、先ほどまでと変わらず、おっとりとした笑みを浮かべていて、ホッとしたのもつかの間、キョウは手に持っていた湯呑を、勢いよく机に叩き付けるように置いた。その横顔に笑みはなく、表情のない真顔になっていた。
「ちょっとキョウ、落ち着いてっ!」
ナギが声をかけるが聞こえていないようで、おもむろに立ち上がったキョウは能面を外し、そのまま自分の顔へ被せ、体ごと俺のほうへ向けた。
「あ、あの」
「……許さないわ」
地を這うような声。
先ほどまでの、おっとりとした話し方がウソみたいに、流暢に話し始めたキョウ。その声が能面の中で響いていて、本当に能面が話しているみたいに聞こえる。
「許さない。ナギとナミは、すぐにあなたに会える場所にいて、タタラのところへは自ら出向き、コハクにはご飯を食べさせた上に床を共にして、レンカとは一日中抱き合って、サイカクとは数日、密会を続け、カナヒメとは逢瀬の約束をして、ミコトとは共同作業を行い、キノとはよりいっそう仲を深め……それなのに、私とだけ何もないなんて、そんなの……絶対に許さない!」
「いやっ!? あの、分かった! 分かったから!」
俺が今まで出会った神様のことが全部筒抜けだし、それ以前に、ちょっと違う! 床を共にするとか、抱き合うとか密会とか逢瀬とか……語弊があるにもほどがある。もし仮にそれが本当だとしたら、俺は男も女も見境なく手を出す、救いようのない遊び人じゃないか。
「それは……私の神界に、橋を架けてくれるってこと?」
「う、うん。自信はないけど……」
「そう。なら…………」
そう言ってキョウは、能面に手をかけ、元あった後頭部へと移動させた。そして何事もなかったかのように、俺の隣に座り、
「明日、私の神界に来てねぇ」
と、再びおっとりとした笑みを浮かべた。
「……分かったよ」
俺は一気に体の力が抜け、息を吐いた。俺の向かい側で、ナギもホッと胸をなでおろしていた。寝ている茶々丸と、動じていなさそうなナミは最初と何も変わりない。
スイは顔を反らしていたが、肩が揺れていて、明らかに笑いをこらえているのが見て分かった。きっと隠す気もないんだろうけど……なんか腹立つ。
「あ、誰か来た。まぁ、だいたい予想はつくけどね」
小窓から外のほうを見て、笑いをこらえていたスイがそう言ったあとすぐに、俺たちのいる部屋の扉が大きな音を立てて開いた。
ずかずかと入ってきたのは、短めの髪が逆立っていて、着物の袖を肩まで捲り上げている男だった。
「キョウ! お前はまた、フラフラフラフラフラフラと! どっか行くなら言えって何回言えば分かんだよ!」
「ここに行くって、言ってなかったかしらぁ?」
「聞いてねーよ!」
キョウは自分が怒られているのに、どこ吹く風といった感じであまり気にしていない、というか反省していない様子だ。
突然の来客に、俺がポカンとしていると、
「キョウの神使の鋼守だよ」
と、ナギが教えてくれた。
俺は、キョウの隣に立っていた鋼守を座ったまま見上げると、目が合ってしまった。鋼守は、俺の顔を見た途端、目を見開き、
「アンタはっ!」
と、少し驚いたあと、キョウを見て短いため息を吐いた。
「なるほどな……そういうことか。すまなかったな」
「え?」
「どうせここに来て、アンタに無茶言ったんだろ?」
「いや、えっと」
無茶って……橋作れって言われたことかな?
「そんなことないわぁ。ねぇー、一勢君?」
キョウは、俺の腕に自分の両腕を絡めた。
「うそつけっ!」
「ほんとよぉ。あ、明日ねぇ、私の神界で一緒に橋を架けるのぉ」
「はぁぁ!?」
「まぁまぁ。鋼守もちょっと座りなよ」
スイは、キョウに説教したり、驚いたりと忙しい鋼守を座らせると、簡単に事のいきさつを説明した。それを聞いた鋼守は、
「ほんっとにお前は……」
と、頭を押さえた。
「ちょうどイッセーも暇してたし、大丈夫だよ。ね? イッセー」
「え、うん……まぁ」
「すまないな。キョウは言い出すと聞かねーから、少しだけ付き合ってやってくれ」
なんか、この人もいろいろ大変そうだな。
キョウと鋼守が帰ったあと、
「なんとなく、そうじゃないかと思ってたけど、また鋼守に何も言わないで出てきたんだね、キョウ」
と、スイがつぶやくと、ナギは困ったような笑みを浮かべた。
「そうみたいだね」
「よくあることなのか?」
「うん。キョウはいろんなところの橋を見に行くのが趣味みたいなもんだからね。それで思い立ったら出かけちゃうみたい」
「しかも神界だけじゃなく、人間界の橋も見に行っちゃうから、鋼守も探すの大変だよね」
「へ、へぇ」
「オレも大変だよ。忠告したのに、イッセーはあやうくキョウを豹変させるところだったし」
スイはわざとらしくため息を吐き、困ったような顔をした。
「お前、笑ってたくせによく言ったな。っていうかあれ、まだ豹変する前だったのか!?」
「あんなぬるいもんじゃないよ。本当に豹変したら、何するか分かんないし、ちょっと手に負えないかも」
「そうだね。さっきは、一勢が折れてくれたからよかったけど、僕、ちょっと焦ったよ」
「そんなに!?」
「ま、滅多にそこまで豹変しないけど、キョウが顔に能面付け出したら、うまく対処してね」
「あの能面って豹変したら付けるものなのか?」
「ううん。本来の使い方は違うけど、さっきは嫉妬に狂った醜い顔を見られたくなくて、それを隠すために付けたんだと思うよ」
……あの能面の下で、いったいどんな顔してたんだよ。
そう思っていたら、頭の中にあの酷く歪んだ顔の能面が浮かび、あまり想像したくなくなってやめた。




