009
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キノは、今にも泣きだしそうな顔で、何度も「ごめんなさい」と、ぽつぽつとつぶやいている。
俺を避けてたこと? でも、それだけなら多分こんなに謝らないし……森の木が伐られないように、吹聴したこと? いや、それは俺、全然怒ってないし、むしろよかったと伝えたはずだ。
これまでのことを思い出してみても、何で謝られているのか分からない。俺は助けを求めるように瑠璃に視線を送った。
「キノ、謝るだけじゃ何のことか分からないわ。ちゃんと自分の思ってることを言わないと、伝えられないでしょう?」
瑠璃はキノをなだめるように、後ろからそっとキノの両肩に手を置いた。
「……約束っ、したのに……守れなくてっ」
零れ落ちそうな涙をこらえ、話し始めたキノの肩は震えていた。
「約束って……俺と?」
キノは力なくうなずいたが、俺にはキノと何かを約束した覚えがない。といことは、きっと前世の俺と何か約束したんだ。
木の年輪のような模様の入った神玉を握りしめたキノの手に、涙が一粒零れ落ちた。
「……僕っ、木の神様なのに……守るって約束したのにっ…………森が、木が、どんどん無くなっていくのを……ただ見てることしか出来なくてっ……だからっ、ごめんなさいっ……ごめ……なさい」
キノは悲痛な声を搾り出し、堰を切ったように声をあげて泣き出した。俺は、謝られた理由が予想外で、目の前で泣きじゃくるキノに、何て声をかければいいのか分からなくて、ただ茫然としていた。
前世の俺はどうだったか知らないけど、今の俺はキノに怒ってなんかいないし、そもそも怒る理由もない。そう伝えればいいのだろうか? だけど、それだけじゃダメな気がする。でも今の俺には、それ以外に言える言葉が見つからない。
「先ほど、森がなくならないように、吹聴して回ったと言いましたが……キノは森がなくなっていく中で、せめてここだけでも、出来るだけ変わらない姿で残して、生まれ変わってきたあなた様にお見せたしたかったんです」
瑠璃はキノの背中をさすりながら、悲しそうな笑みを浮かべていた。
「……そうなんだ」
「今の、森が減ってしまった世界を見たあなた様に失望されることが、キノにとっては一番怖くて、だから避けてしまったんです」
キノが、おびえるような目をしていた理由は分かったが、俺の胸の中に新たな突っかかりが出来て、何かが詰まっているみたいでスッキリとしない。それでもなんとか言葉を探した。
「あのさ、俺、怒ってもないし、失望もしてないからさ……だから、その……」
何か言いたいけど、続きが出てこない。
口ごもってしまった俺を見かねた瑠璃が「よかったわね」と、キノに声をかけ、その場を収めてくれたのだが、俺の中では何かが引っかかったままだった。
「何だか納得いかない、という顔ですね」
じいちゃんの家に帰る途中、どこか上の空だった俺に佐波が声をかけた。
「……ミコトも佐波も、キノが俺避けてた理由、知ってたのか?」
「まぁ……」
「僕らも確実ではないけど、なんとなく察しはついてたよ」
「……なんで教えてくれなかったんだよ」
「教えてたら、君はどうしてたの?」
そんなこと、いきなり聞かれても……
「それは…………」
「ま、とりあえず、キノに嫌われてなくてよかったじゃないか!」
たしかに、キノの嫌われていたわけじゃなかったけど、素直に喜べない。
「スイを呼んできてあげようか? そんなに気になってることがあるなら、彼に聞けばいいんじゃない? 彼ならきっと解決してくれるさ」
煮え切らない俺を見て、少し意地の悪い笑みを浮かべたミコト。
「…………いい」
「本当にいいのかい?」
なんて言ってはいるが、ミコトは俺が断るのを分かっていたみたいに、満足げに笑っていた。
答えが分かっていることをわざわざ聞くなんて、本当に意地が悪い。ミコトとは対照的に、俺は不満げな表情を浮かべた。
じいちゃんの家に帰り着くと、思っていたより少し早く母さんたちが到着していたみたいで、見慣れた白い車が停まっていた。
「もうお母様たちが到着されているみたいですね」
「そのようだね! じゃあ、僕らはここで。またねー!」
俺はミコトと佐波に見送られ、玄関の扉を開いた。
玄関に入ると、楽しそうに談笑している声が聞こえてきたが、俺は楽しい気分にはなれそうもなくて、部屋にはいるのが億劫だったのだが、
「あ! 一勢帰ってきた!」
と、運悪くトイレから出てきた姉ちゃんに見つかってしまった。
「おかえり一勢。どこ行ってたの?」
姉ちゃんのでかい声のせいで、部屋から顔を出した母さん。
「ちょっと……そこまで」
このまま素通りするわけにもいかなくなって、俺は諦めてみんなのいる部屋に入った。
「……あれ? 父さんとじいちゃんは?」
「お父さんは明日も仕事だし、おじいちゃん明日は町内会の日帰り旅行だから来られなかったのよ」
「へぇ」
「それより! 一勢ってば料理できたのね! さっきおじいちゃんに聞いてびっくりしたわ!」
「えー! 一勢が料理とか、想像つかないんだけど!」
「美味しかったぞ。ひょっとしたら、お前たちよりうまいかもしれんな」
じいちゃん! 余計なこと言わなくていいから!
「あら! じゃあ今日は頑張ってご飯作らなきゃ!」
「そうだよお母さん! 一勢に負けてられないよ!」
「五十鈴はいいの?」
「私は食べるの専門だもん」
「まぁ! そんなことじゃ、お嫁にいけないわよ」
そう言って冗談っぽく笑う母さんに、姉ちゃんは、
「……別にいいもん」
と、拗ねたように口を尖らせた。
母さんが夕飯を作っている間、俺は借りていた部屋で寝転んで、ただぼーっと天井を見つめている。
ずっとキノのことが頭から離れなくて、でも、考えても答えは簡単に見つからない。だから考えることに疲れて、最初は気を紛らわそうと、持ってきていたゲームを始めてみたが、全然紛れなくてすぐにやめた。そのあと寝転んで目を閉じてみても、眠くなるどころか、余計に目が冴えてくる始末。
どうしようもなくなった俺は、寝ころんだまま、ズボンのポケットから最終手段の携帯を取り出した。今、俺の中で引っかかる何かが、携帯なんかで調べられるものではないとくらい分かってはいるが、俺の指は検索機能へと滑らかにスライドした。
しかし、検索機能を開いてみても、具体的に何を調べたらいいか分からなくて、とりあえずキノに関係する言葉、『森林』とか『木の数』みたいな曖昧な単語を打ち込んだ。すると、ほんの一瞬で、携帯の画面に膨大な検索結果が表示された。
その中で俺が見た、ほんの一部の情報によると、人間が増えて、産業が発達するにつれ、森林が減ってしまい、今も世界中の森林が減り続けているらしい。
それは一見、仕方のないようなことに思えるが、泣いていたキノを思い出すと、何だかやるせない気持ちになった。だからってもちろん、俺の中で引っかかっているものが取れたわけではない。
俺は荷物から飛び出していた、若干散乱気味の洋服のかたまりに向かって、携帯を放った。
そしてそのままずっと、夕飯が出来たことを知らせる母さんの声が廊下に響くまで、畳に寝転んで天井を見上げていた。




