008
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「困ったねぇ」
「……やっぱ、いきなり来ないほうがよかったんじゃないのか?」
「それは大丈夫ですよ。ですが、ここは瑠璃さんにお任せしたほうがいいんじゃないですか?」
「僕に任せたまえ!」
「ちゃんと話を聞いてください。ミコト様に任せていたら、いつまでたってもこのままな気がするので却下します」
隠れてしまったキノに、なんて声をかければいいのか分からなくて、ご神木の前で俺たち三人が、ああでもないこうでもないと悩んでいると、
「まぁキノったら……失礼でしょう?」
と、どこからか瑠璃の声が響いた。しかし、キノからの反応はない。
「……本当に、もう」
瑠璃は袖をなびかせながら、木の枝から飛び降りてふわりと地面に着地した。
「ごめんなさいね。せっかく来てくださったのに」
「いえ、元はといえばミコト様がいけないんです。いきなり声をかけるから、驚かせてしまったようで……」
「あっはっは! すまなかったね!」
「ミコト様は真剣に反省してください」
瑠璃は微笑んで俺たちを見て、
「ここで立ち話もなんですし、どうぞ」
と、手のひらを見せてご神木を指し示した。
どうぞって……
「そうだね! では、お邪魔するよ!」
そう言ってミコトはご神木に触れ、そのまま一歩踏み出し、木の中に吸い込まれるように入っていった。
俺の予感は的中したみたいだ。
俺は、ポケットに入っている自分の神玉を確認するように手を入れた。本当は家に置いてこようと思ったのだが、なんとなく持っていかなきゃいけない気がして、家から持ってきていた神玉。ポケットの中の手が神玉を探り当て、ひそかに安心していると、
「一勢様は、それがあってもなくても神界に入れますよ」
と、佐波が教えてくれたのだが、俺は自分が考えていたことを言い当てられたような気がして、少しびっくりした反面わずかに恥ずかしさも感じた。
「では、私たちもお邪魔させていただきましょう」
「うん……お邪魔します」
俺と佐波が木に向かって足を出した瞬間、
「キノ? 置いて行っちゃうわよ?」
と、瑠璃がキノを気遣う声が聞こえた。
木に向かって足を踏み出せば、何の障害の感じずに俺の体は木に吸い込まれた。そして、もう次の瞬間には神界の中に居た。
さっきまで居たところとは、また違った森の中。枯れている木なんて一本も見当たらない。さすが神界と言うべきか、人間界の森よりも空気も澄んでいるように感じた。
「あ! やっと来たね! いらっしゃーい!」
先に入っていっていたミコトは、岩に腰をかけて足を伸ばし、両手を後ろに着きながらくつろいでいた。
「……なんでミコト様が、そんな我が物顔で座ってくつろいでるんですか」
一応、敬語を使ってはいるが、佐波の目は若干すわっていた。
「この岩、座り心地がよくてね!」
「どうぞ、もうずっと座っていてください」
「……お前、そのうち本気で怒られるぞ」
俺は近くにいたミコトに小声で助言したが、当の本人は何のことかいまいち分かっていないみたいで、きょとんと首をかしげていた。
「お待たせしました」
俺は、少しハラハラしながらミコトと佐波を見ていたら、いきなり後ろから声が聞こえ、びっくりして振り返ると瑠璃と、その後ろに隠れているキノがいた。
「キノ。私は木じゃないから、完全には隠れられませんよ?」
「そうだよキノ! 瑠璃はあんまりふくよかじゃないからね!」
「ミコト様……女性にそういうことを言うのはやめてください」
「ふふ。褒め言葉として受け取っておきます」
ミコトのデリカシーに欠ける言動も笑って流してくれた瑠璃は、俺たちの前を歩き始めた。キノは十メートルくらい離れて、俺たちの後ろから、とぼとぼと歩いている。
俺は途中で後ろが気になって振り返ってみたのだが、俺が振り返った瞬間、キノは近くにあった木に隠れてしまう。だから気にはなったが、あんまり後ろは見ないようにして、キノの姿は見えなかったが、たまに目線だけ少し後ろに向けながら歩いた。
五分くらい歩くと、綺麗に手入れされた木の間から、大股で歩けば一歩で跨げるくらいの小さな川が流れていた。そこに架かっている小さな橋を渡れば、低い塀に囲まれていて、質素だけど落ち着いた感じの大きなお屋敷が姿を現した。木の神であるキノらしい神殿だ。
「さあ、こちらです」
建物の中に案内され、通された部屋には森の緑が見渡せる縁側があり、お茶の道具が置かれていて、いかにも茶室らしい部屋だった。
佐波が全員分のお茶をたて、俺の目の前に茶碗が置かれた。
「お好きなようにお召し上がりください」
「え、じゃあ……いただきます」
抹茶を点ててもらうという初めての体験に戸惑いながら、一応両手で茶碗を持って一口、抹茶を口に含んでみると、思っていたほどの苦さはなく、すんなりと喉を通った。
「あとお茶菓子もあるんだよ!」
ミコトは持っていた風呂敷を開いて、お茶菓子を出したのだが……
「これ、クッキーだよな?」
「そうだよ!」
「なんでこんなカラフルな色ついてんだよっ」
「これは、君のおじいさんが育てた野菜を使わせてもらってるからね!」
「野菜?」
「オレンジは人参でー、緑はほうれん草で、赤いのはトマトで、白いのはジャガイモでー……あと他にもいろいろ!」
色もだけど、それ聞いちゃうと、あんまり美味しそうに見えないんだけど……
「あら、意外と美味しいですよ」
俺がクッキーに手を出すのをためらってる間に、瑠璃がオレンジ色のクッキーを、にこやかに頬張っていた。
まぁ、ミコトは料理の神様だし、変なものは作らないか。
俺は瑠璃の笑顔につられて、緑色のクッキーを一枚食べてみた。
「あれ……全然、野菜の味しない」
しかも、美味しい。
「そうだろう! 今度、作り方を教えてあげるよ!」
いや……それはいいや。
「キノもそんなところにいないで、こっちにいらっしゃいな。お茶もお菓子も美味しいわよ」
キノは一応、同じ部屋にはいるのだが、隅っこで膝を抱えて座っていて、こっちに来る気配はない。
「あの、肝心のキノがあのような感じですが……どうか、お気を悪くしないでくださいね」
「えっ、いや、俺はだいじょうぶ……」
多分だけど、キノがあんな感じなのは、俺のせいだ。でも俺は、特にキノに何かしたわけではないはずだ。となると……何かしたのは、前世の俺?
考え事をしていると、ポンッと肩を叩かれ、
「そのうち打ち解けてくれるさ! キノ! こっちに混ざりたくなったらいつでも来たまえ!」
と、ミコトが話を切り替えた。
「そういえば、ここの外の人間たち、ずいぶん森を怖がっていたみたいだけど、何かあったのかい?」
まだキノは隅っこから微動だにしないが、ひとしきり世間話や他愛のない話をしている中、不意にミコトが切り出した質問は、俺もちょっと気になっていたことだった。
「何もないですよ? ただ……」
「……ただ?」
瑠璃は、俺の顔を見て笑みを深めた。
「人間界では、切ると呪われるなどと言われている木はないですか?」
たしかに、近所にも伐ると人が怪我をしたり不幸なことが起こるって言われている松の木があったような……
「あるかも……」
「それが嘘か本当かはさておき、少し利用させていただいたんです」
「なるほど。そういうことでしたか」
そこまで聞いただけで、佐波は事情を察したみたいだったが、俺には想像がつかず、疑問符を浮かべていると、瑠璃はほんの少しだけ苦笑いを浮かべた。
「この辺りの土地も、もうだいぶ前になりますが、開拓されそうになっていたんです。そうなれば、森はなくなってしまう。だから吹聴して回ったんです」
「吹聴?」
「私は人間に溶け込むことが出来ます。だから、あの森の木を伐ったら神が怒って災いが降りかかる、と言い広めたんですよ。その際、スイさんにも手伝っていただいて、ご迷惑をおかけしてしまいましたが、おかげさまで、今でも森を出来るだけ、あのときのまま保てています」
「……そうだったのか」
俺は、やっと事情が分かりスッキリしたが、瑠璃は静かに目を伏せた。
「人を、だますようなことをしてしまい……もしかしたら、あなた様にお叱りを受けるかと――――」
「え? なんで? そうでもしないと、人間なんてやりたい放題だろうし、俺はいいと思うよ…………え?」
俺、変なこと言った!?
俺はただ、思ったことを口にしただけなのだが、ミコトと佐波と瑠璃の三人は、俺を見て目を丸くしていた。
「いえ、元神様にしては……」
「結構ブラックだね!」
「ふふふ」
「まぁでも、悲しいことにその通りなんだよねぇ」
「そうですね」
だったら、その耐えるような笑いをやめろと言いたかったが、雰囲気を壊したくはなかったから、俺はわずかにわいてきた羞恥心に耐えた。
「そろそろ時間ですね」
佐波は茶室にかかっていた時計を見てつぶやいた。
「夕方には君の母上が来るって言ってたからね!」
「もうそんな時間?」
携帯の画面を確認すると、いつの間にか帰る目安にしていた時間になっていて、俺も立ち上がった。
「キノ、瑠璃! 長い時間、お邪魔したね!」
「今日はありがとうございました」
「いいえ、何のお構いもしませんで」
茶室の入り口で、俺の前にいるミコトたちが帰りの挨拶を交わしている。俺はずっと気になってはいるが、キノのほうを見れなかった。何か声をかけたいけど、何て言ったらいいのか分からない。それにまた、おびえさせてしまうかもしれない。だから、キノのことは帰ったらスイに聞いてみよう、と俺は自分に言い聞かせるように、自分からキノに接触するのを半ば諦めた。
しかし、挨拶もそこそこに、そのまま部屋を出ようと一歩足を踏み出すと、俺の体は、斜め後ろからの小さな引力に引き留められた。引っ張られたところを確認するように振り返ると、キノが俺の服の裾を握りしめていた。
すると俯いていたキノは、何かを決心したかのように勢いよく顔を上げ、
「……ごめん、なさいっ」
と、涙のにじむ目で、声を振り絞った。
ごめんなさい?
俺はそれが、何に対する「ごめんなさい」なのか分からなくて、キノの次の言葉を待った。




