006
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「ここは空気がキレイだねぇ!」
そう言って、ミコトは歩きながら両手を広げていた。
「神界とか、神様がいるとこなんて、どこでもキレイなんじゃないのか?」
「君の言うとおり、神界は常にキレイだよ! でも今の人間界で、キレイな空気のある場所を探すのって難しくなってきているだろう?」
「まぁ……そうかもな」
「だからこそ、こういう場所を見つけると、お宝を発見した気分にならないかい!?」
「……いや」
別にそこまでは……
「この気持ちを分かり合えないのは残念だけど、君ももう少し歳を取れば分かるさ!」
「歳を取ればって、三千年ちょっと生きてるやつに言われても、あんまりピンとこないんだけど」
人間は歳取ると老けるけど、俺が今まで会った神様や神使は、みんな若々しかったし。
「人間の寿命には、限りがありますからね」
「……あれ? 考えてみたら神使って元は動物なのに、寿命ないんだ?」
「はい。私たち神使は特別な力を授かってますから」
「そういえば、佐波は何の動物なの?」
「白蛤です」
「はっ……蛤!?」
「はい。意外でしたか?」
「意外っていうか……神使っていろいろいるんだな」
「ええ、まぁそうですね」
昆虫の神使とかもいたりして……まさかな。
「さあ! こっちだよ!」
話しながら歩いていると、いつの間にかバス停を通り越していた。俺と佐波の前を歩いていたミコトは、今歩いている道の先ではなく、右側にある森の入り口のほうを向いている。そしてそのまま、どんどん森の中へ進んで行ってしまった。
ここは、じいちゃんと近所のおばあさんが言ってた森じゃないのか?
「ここって……」
俺が森へ入るのをためらっていると、
「大丈夫ですよ。もし仮に、あなたの身に何かあれば、私たちはスイさんに会わせる顔がありませんから。信じてください」
と佐波が俺を安心させるようにつぶやいた。
「……なんでスイ?」
「自分がお仕えしている神のことを、安心してお任せできる方は限られます。たとえそれが、同じ神や神使だったとしてもです。私だってミコト様を、簡単に他の方にお任せすることはできません。ですから今、ここにスイさんが居ないということは、私たちはそれなりに信用していただいているということなのです」
「お仕えって……俺、今はただの人間なのに……」
それにスイからは、仕えてるっていうような雰囲気を一切感じないし。
「それでも、あなたが私たちにとって、すべての始まりだということに変わりはないですから」
そう言った佐波の横顔は、どこか遠くを見つめながら優しく微笑んでいた。
「おーい! 二人ともー! 早く来ないと日が暮れちゃうよー?」
俺と佐波との距離が離れたことに気付いたミコトは、振り返って大きく手を振っていた。
「行きましょうか」
「うん」
俺たちはミコトの元へ駆け寄った。
森の道はまっすぐではなく、緩やかなカーブを描いていたり、道が分かれていたりして入り組んでいた。道は舗装なんてされていなくて、大きな石や木の根っこがむき出しになっていて、少し歩きにくい。道幅も広かったり狭かったり不安定だ。
来た道を振り返れば、もう森しか見えなくなっていた。
「もうそろそろだったかなぁ?」
「なんでそんな曖昧なんだよ」
「いやーこっちから来るのは久々だからね!」
「こっちから?」
「あ! あっちだね!」
「はあ!?」
明らかにかみ合っていない会話をしながら、二手に分かれた道の左側へ入っていったミコト。その後ろをついていくと、信じられないくらい大きな木があり、その木の向こうに道はなかった。
きっと、俺が両腕を横に広げても足りないくらい大きな幹には、注連縄が巻かれていた。
木の下ではミコトが手招きをしている。俺は一応、ミコトのところへ向かったが、タタラの岩のことを思い出し、木と少し距離を置いた。
「ここに来たかったのか?」
「そう! 君をここへ連れて来たかったんだよ!」
「この木を見せるために? ずいぶん大きな木だけど」
「これはご神木だからね!」
ミコトはそっと木の幹に触れた。
「ご神木って……」
「書いて字のごとく神の木です」
注連縄を見て、なんとなく予想はついていたが、佐波が分かりやすくざっくりと説明してくれた。
「神の……じゃあここも」
「ええ。神界につながってますよ」
「この中の神界に神様が……」
「いえ。すでに神も神使も、ここにいらっしゃいます」
「えっ?」
俺には、ミコトと佐波しか見えない。きょろきょろと辺りを見回してみても誰もいない。
もしかして、俺には見えない神様?
そう思っていると、
「木をよく見てごらん!」
と、ミコトの声が聞こえた。しかし前を見てみるが、俺の目の前には、そびえ立つ木の幹しか見えない。
少しだけ木に近づき、じっと幹を見ていると、
「…………あっ!」
一部分だけ、柄が変わった。
姿を現したそれは、黒褐色に鮮やかな水色のラインが入った綺麗な翅を持つ蝶だった。どうやら、翅を閉じているときの柄は保護色になっていて、木と見分けがつかなかったみたいだ。その蝶はひらりと俺へ向かって優雅に飛んできたのだが、徐々に翅が長くなってきたかと思えば、手品みたいにいきなり人の姿になった。
着物ではない、ひらひらとした水色の服を着た女の人は、俺を見るなり、裾をつまんでお辞儀をした。
「ようこそお越しくださいました。私は木の神であるキノの神使、瑠璃と申します」
「あ、どうも。えっと……」
「相変わらず、瑠璃は隠れるのが上手だね!」
「一勢様が話しているんですから、ミコト様は黙っていてください」
「ふふ。お二人とも、お久しぶりですね。相変わらず仲がよろしいようで」
「そうだね! ところで、キノはどうしたんだい?」
「それが…………」
瑠璃が困ったように笑い、木の幹を見たことにより、その場にいた全員の視線が木に集まった。
「キノ。ひょうたんが見えてるよ」
木を見て、一番に声を発したミコトが指をさしたところを目でたどると、木の右側から、確かに深緑色のひょうたんの形をしたものが飛び出していた。そのひょうたんは一度、ビクッと揺れたあと木に隠れてしまった。
「キノ。早く出ていらっしゃいな」
瑠璃が優しく声をかけると、木の後ろから半分だけ顔を出したのは、少し髪が長めの、可愛らしい顔の男の子だった。
しかし、キノはそこから出てきてはくれず、その日はキノと一言も話さずに帰った。
キノは俺を見るとき、何かにおびえるような、不安そうな顔をしていて、目が合いそうになるとふいっとあからさまに目をそらされ、まったく目を合わせてくれなかった。




