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神様の水鏡  作者: 水月 尚花


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005

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 昨晩、じいちゃんが敷いておいてくれた布団に、倒れこむようにダイブしてから、そのまますぐに眠ってしまった。

「――――よ。……きて……さい」

 なんか途切れ途切れ、女の人の声がする。夢かな……

 夢と現実みたいな曖昧な意識の中にいる俺は、その声に耳を傾けることもなく、また夢の世界に戻りかけた。しかし、再び途切れ途切れの声が聞こえ、誰かが俺の肩を優しく叩いたことにより、意識が現実に傾きかけた。

 薄っすら目を開く、と目の前に見えた肌色。何回か瞬きをして、だんだん目が開いてきて視界が広くなってきた。一番最初に目に入った肌色を、まだ少しぼんやりとした目で辿っていくと、えんじ色が見えた。また何回か瞬きをしたあと、はっきりしてきた目に飛び込んできた光景に、俺は思わず飛び起きた。叫びたい気持ちだったが、寝起きだったため声が出なくて、代わりに思いっきり息をのんだ。

 人だということは分かったが、それよりも驚いたのは、正座をしていることによって裾が上がり、太腿の間からパンツが見えそうになっていたことだった。

 まだ心臓が普段より早い間隔で波打っている俺に、佐波は何事もなかったように、

「おはようございます。驚かせてしまったみたいですいません。外からお声がけさせていただきましたが、返事がなかったので、勝手ながら部屋に入らせていただきました」

 と、軽く頭を下げた。

「お……おはよ」

 一気に目が覚めた。

「では、台所でお待ちしております」

 佐波はそう言い残し、部屋から出ていった。


 気持ちを落ち着かせ、服を着替えて台所に向かうと、ミコトと佐波が今から使うであろう食材や料理器具、食器を用意して待っていた。

「おはよう! よく眠れたかい!? さあ今日も一日、張り切りたまえよ!」

「……おはよ」

 寝起きなうえに、朝から佐波の登場に驚かされ、すでに疲れていた俺は、朝だろうが夜だろうが関係なくテンションの高いミコトに対応出来ていない。しかし、今俺がここでやるべきことは決まっている。

 また二人に教えられながら、ぎこちない手つきで料理を始める。朝は簡単にしておこうと言われ、少し肩の荷が下りたというか、安心したのだが実際俺にとっては全然簡単じゃなかった。

 卵焼きは難しいから、と目玉焼きを作ることになったのだが、まず卵がうまく割れなかった。魚の切り身を焼いている最中は、焦げないか気になって何度も裏返して確認しまくっていたら、「いつまでたっても焼けませんよ」と注意され、お浸しだって、ほうれん草としめじを茹でて味を付けるだけなのに、茹ですぎてほうれん草がしなしなになってしまった。

 自分の出来なさ具合に、ちょっとした挫折感に見舞われたけど、炊飯器を開けたとき、昨日セットしておいたお米がうまく炊けていたことには、少し感動した。

 そして昨日多目に作っておいた味噌汁を温めて、朝食は完成した。ところどころ失敗はしたけど、食べれる程度だし、よしとしておこう。



 朝食のあと、俺はじいちゃんの車でばあちゃんが入院している病院へ向かっている。車から見える景色は、昨日バスに揺られているときの景色と同じで、ほとんど何もない。

「じいちゃん。このへんに病院なんてあんの?」

「ちょっと離れとるが、一つ大きい病院があるぞ」

「ふぅん」

「今日、一勢と病院に行くことは言ってないから、驚くだろうなぁ」

 じいちゃんは、ばあちゃんの驚く顔を想像しているのか、運転しながら楽しそうに笑っていた。

 車に乗ってから二十分ほどで病院に着いたのだが、病院を見た瞬間、俺の中のどこかに緊張が走った。風邪を引いたときに行く、小さな病院には何回か行っているが、大きな総合病院に来るのは今日で二回目だ。


 俺が初めて大きな病院に行ったのは、小二のときだった。そのとき、一緒に住んでいたばあちゃんが入院していたのだが、ただのお見舞いではなかったのだ。

 父さんも母さんも、見たことがないような悲痛な面持ちで、姉ちゃんはばあちゃんの病室の前で「入りたくない」と泣き叫んでいた。俺は悲しげな苦笑を浮かべる母さんに手を引かれ、病室に入ると、じいちゃんの背中の向こうにたくさんの管に繋がれたばあちゃんが横たわっていた。

 うっすらと目を開いたばあちゃんは俺と目が合うと、かすかに笑みを浮かべた。母さんやじいちゃんが、ばあちゃんに何か話しかけている間に、親戚の人たちもやってきたが、みんな悲しそうな顔をしていた。

 今思えばあのときはもう、ばあちゃんが亡くなる前だったんだと思うけど、当時の俺には、人が『死ぬ』ということが、ちゃんと理解できていなかった。みんな悲しんでいるのに、ばあちゃんは笑っている……当時、意味が分かっていなかった俺から見て異様だったその光景は、今でも脳裏に焼き付いている。

 俺の中では衝撃的な記憶だ。だから大きな病院を見た途端、いとも簡単にそのときの記憶が蘇った。どんどん鮮明になっていく記憶が、離れてくれない。

 じいちゃんと母さんは、たいしたことないって言ってたけど、本当は重い病気で、それを俺に隠してるとか……ダメだ、よくないことばかり想像してしまう。

 病院内の廊下を歩き、ばあちゃんの病室に近づいていくたびに、緊張感がじわじわと張りつめていく。俺は気を紛らわせるため、じいちゃんに気づかれないように、一度だけ深く深呼吸をした。


「おお、ここだここだ。着いたぞ」

 俺は病室の前で立ち止まり、心を落ち着かせようとしていたのに、じいちゃんは何のためらいもなく、病室のドアを開けた。しかし、まだばあちゃんの姿はなく、カーテンで仕切られたスペースが左右に二つずつあり、計四つあった。

「こっちだ」

 入り口で立ち止まっていた俺を、手招きしているじいちゃん。俺は少し戸惑いながら、右側の窓側のスペースの前にいるじいちゃんのところへ足を進めた。

「ばあさん。起きとるか?」

 じいちゃんがカーテンの外から声をかけると、

「ええ。起きてるわよ」

 と、中からばあちゃんの声が聞こえて、少し安心した。

 仕切りカーテンを開くと、ベッドを少し起こした角度で、リラックスした状態で本を読んでいるばあちゃんがいた。カーテンが開き、ふと顔を上げたばあちゃんは、俺の顔を見て目を見開いた。

「まあ! 一勢じゃないの! 大きくなって!」

 声を弾ませたばあちゃんは、俺の手を握った。

「うん。久しぶり」

「元気にしてたの?」

「うん」

「高校は楽しい?」

「うん。まぁまぁ」

 次々といろんな質問をしてくるばあちゃんに、俺は同じような返事しか出来なかったけど、ばあちゃんはとてもうれしそうに話してくれた。

 昨日久しぶりにじいちゃんに会ったときにも思ったけど、ばあちゃんも小さくなったような気がした。

「それで、いつごろ退院なんだ?」

「そうねぇ。私としては早く出たいんだけど、先生次第かしらねぇ?」

「そうか」

「今、家におじいちゃんと一勢だけっていうのが心配だわ」

「心配せんでもきちんとやっとるわ!」

 じいちゃんとばあちゃんが話している間、一つどうしても気になっていることがあった俺は、二人の話が終わるころを見計らって口を開いた。

「あのさ……ばあちゃん、何の病気なの?」

 俺が遠慮がちにそう言うと、二人ともキョトンとしていた。

 あれ? 俺、なんか変なこと言った!?

「あら、おじいちゃんに聞いてなかったの?」

「そういえば……言ってなかったか?」

 俺がうなずくと、ばあちゃんは少しためらいがちに、

「そうだったの。あのね、ちょっと言いづらいんだけど……実は…………………………ぎっくり腰なの」

 と、小さくつぶやいた。

 ……え? ぎっくり腰? 

 言いづらそうに溜めるから何かと思えば、ぎっくり腰だったなんて。張りつめていたものが一気に切れた。


 病院で無駄に緊張して疲れたせいか、短い間だが、俺は帰りの車内で眠ってしまった。家に付いて、じいちゃんに起こされ、車から降りると、玄関の外にミコトと佐波がいた。

 そういや、散歩がどうとか言ってたっけ。

「……じいちゃん、俺、眠気覚ましにちょっと散歩してくる」

「そうか、気をつけてな。ああ、そうだ! 森に行くならご神木までにしておけよ! その先へは絶対行くな。そんで暗くなる前には帰るんだぞ! あと、あの森の木には絶対いたずらしちゃいかんぞ!」

 めずらしく、普段はあまり何も言わないじいちゃんに念を押された。

「……うん?」

「うん。分かればいい」

 もうちょっと詳しく聞こうと思ったが、じいちゃんはそれだけ言うと、ばあちゃんから預かった荷物を持って家に入って行ってしまった。

「じゃあ、帰ってきていきなり悪いけど、楽しい散歩に出かけようか!」

 まぁミコトと佐波もいるし、大丈夫だろう。

「で、どこまで行くんだよ?」

「行けば分かるさ! 付いて来たまえ!」

 昨日もこんな感じではぐらかされた気が……

 なんとなく腑に落ちないが、目的地に向かい歩き出したミコトの少し後ろを、佐波と並んで歩き始めた。

 途中で、昨日道を教えてくれたおばあさん会い、散歩をしていることを伝えると、じいちゃんと同様に「森は危ないから、奥まで入って行っちゃダメだよ!」と念を押され、さすがにちょっと不安になってきた。

 

 ……森に入らなきゃ、大丈夫だよな。

 よく分からない鼻歌を歌いながら歩くミコトの後ろ姿を見ながら、そう自分に言い聞かせた。




 

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