010
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囲まれてから、息をつく間もなく斬りかかりに来る足軽たち。
たどり着いた絶望的なシチュエーションは、さらに絶望へと向かい始めた。
「伏せろっ!」「右だっ!」
俺は梅の指示を聞きながら、なんとか刃をよけられている状態だ。
梅の指示どおりに動けば、刃が当たることはない。しかし、そのまま神経を集中させ、刃をよけながら、俺たちを囲んでいた足軽たちの輪の外へ出たまではよかったのだが、裸足だった俺は、大きめの石を踏んでこけてしまった。
とっさに両手を地面についたが、その体勢から誰かに押され、体ごと横に一メートルほど吹っ飛んだ。
一瞬の出来事に、何が起こったのか理解出来なかったが、起き上がって押された腕を触ってみたが何もなくて、とりあえず、自分が生きているということは分かった。
「まったく、ちょこまかと手こずらせやがって」
俺がこけたあたりから、野太い声が聞こえ、ふと横をみると、梅が左腕を押さえてうずくまっていた。
「っ! 梅!」
俺が駆け寄ろうとすると、
「来ちゃだめだ!」
と、梅が叫んだ。
俺は少しだけ近づいたが、梅の静止で足を止めた。
しかし、そこから見えた梅の腕からは、鮮血が流れていた。
もしかして、さっき俺を押したのは梅で、俺をかばったのか?
血を見るのは初めてではないが、本物の血が流れ出ているのを見たのは初めてで、俺はさっきまでの自分の心持ちを悔いた。
そもそもが平安時代なんて現実とかけ離れた、時空を超えた場所にいること自体、完全に、素直に受け入れられていたわけじゃなかった。
だから周りを足軽に囲まれたときも、どうしよう……とは思いながらも、俺はまだ、この現実味のないシチュエーションに現実的な緊迫感は持ち合わせていなかったのだ。心のどこかで、もしかしてこれは夢かもしれないなんて、都合のいいことを考え、絶望的なシチュエーションになっても、どうにかなるかもしれないなんて根拠のない、甘い考えがあった。
それに、俺はきっと選択を間違えたんだ――――。
大人しく、首飾りを渡していれば、こんなことにならなかったかもしれない。
今のこの状況は、全部、俺が作り出してしまったような気がした。
だけど、そうやって俺が今更後悔しても、もちろん時間は止まってはくれなくて、目の前で梅に向かって白刃が振り下ろされそうになっているのが、スローモーションのように見えた。スローモーションの景色の中、俺がとっさに、梅に伸ばした手も景色に同化していて、気持ちだけが先走っていた。
早くしないと梅が危ないっ!
俺が梅の着物を掴みかけたとき、上から風が吹いたと同時に、刃と刃がぶつかりあったようなカン高い音がして、目の前が真っ白になった。
「あっぶな、ギリギリもいいとこじゃん」
今までここにはなかった、聞きなれた声が聞こえた。目の前に見えた白は着物の裾で、その声を発したのは、俺のよく知る人物だった。
「…………スイ?」
「とりあえず無事だったみたいだね。 多分、大丈夫だとは思うけど、梅見ててあげて」
「うん。あ、サイカクは――――」
「「「ば、化け物っ!」」」
今まで俺と梅を囲んでいた足軽たちは、俺たちから離れて、距離を取っていた。それを見たスイは挑発するように、
「はーい、化け物でーっす!」
と朱い翼を二、三回バサバサと動かした。するとスイの向かい側にいた足軽たちは、風で体勢を崩しかけていた。
「何をしておるっ! 向こうは一人じゃぞ!」
脂ぎった顔のおじさんが叫び、指示を出せば、足軽たちは少し
怯んだ後、やけになったように全員で攻めてきた。スイはのんきに、
「この刀、使いにくいんだけどなー」
と、手に持った刀を見てつぶやいた。
「それ、お前のじゃないのかよ!?」
「これねぇ、あの中の誰かから拝借したやつ……まぁいっか」
そう言ってスイは、刀を振り回す足軽たちの中に飛び込んでいった。
スイは流れるように刀を使いこなし、ふわふわとした動きで、相手の刀の切っ先を渡り歩いたりしている。足軽たちが、まるで弄ばれているように見える。そして瞬く間に、倒れていく足軽たち。
「ぐぬーこうなったら!」
足軽たちの数が三分の一くらいになったとき、安全なところで見ていたおじさんが動き出した。その手には、お札のようなものが握られている。
「ふっふっふ、これはのぅー手練れの陰陽師に作らせた札じゃぞ! お前たち化け物なんて、これで退治してやるわ!」
そう言いながら、おじさんはスイに向かって札を投げた。が、その札は届くことなく、むなしく地面に落ちた。
「あーそれね、ちゃんと力のある人が使わないと、効力ないよ? おじさん無能そうだもんね。まぁどっちにしろオレらには効かないんだけど」
スイの余計なひと言で、おじさんは怒りを爆発させ、
「貴様っ! わしに向かって――――グエっ!」
と、自身の刀に手をかけたが、蛙がつぶれたような声を出して前のめりに倒れていった。おじさんが倒れて、代わりに姿を現したのはサイカクだった。サイカクは分厚い本を肩に乗せていた。
「まったく……本が汚れたら、どうしてくれるんですか」
サイカクは中指で眼鏡を正したあと、本の角を手で払っていた。どうやらサイカクは、おじさんの頭を、その本の角でぶん殴ったようだ。
俺たち以外には、神様であるサイカクは見えていないようで、いきなり気を失ったおじさんを見て、足軽たちは戸惑い始めた。
その微妙な空気の中、追い打ちをかけるように、
「オレだいぶ手抜いてたんだけど、まだやる? けど、これ以上やるなら、容赦しないよ?」
と、語尾に近づくにつれ、静かに凄みをますスイの声。
今倒れている足軽たちが、誰も血は流していないのを見ると、スイはたしかに手を抜いていたのかもしれない。だけど、今のスイは笑顔だけど目が笑ってない。まだやるなら、確実に血を見ることになるような気がして、ここが血に染まる光景を少し想像してしまい、「頼むから、もう向かって来ないでくれ」と思いながら、俺は顔をこわばらせた。
しかし、俺の心配は無用だったようで、残された足軽たちは、倒れている仲間を連れ、蜘蛛の子を散らしたように去っていった。
絶望的だと思っていたシチュエーションは、あまりにあっけなく終わりを迎えた。
今、俺と梅は、傷を手当てしてもらっているのだが、あのあと梅は一度もサイカクの顔を見ようとはしなかった。
「あほだなテメー、なんで変身しなかったんだよ?」
「……いろいろ考えてたら間に合わなかった」
茶々丸の質問に、梅はしょんぼりとした声で答えた。
「……変身って何?」
「コイツだって俺様みたいに元の姿になれんだよ。ちなみに梅は牛だぞ」
「牛!? 元の姿って……ああ、そっか。茶々丸も普段は犬の姿だもんな」
「犬じゃなくて、お犬様だと言っただろうが! 覚えとけ!」
俺と茶々丸が話をしている間も、梅はずっと下を向いていたのが気になっていた俺は、控えめに梅の名前を呼んでみた。
「「梅」」
俺の声と、誰かの声が重なった。
もうひとつの声は、いつのまにか梅の前に立っていたサイカクのものだった。梅は不安そうに、そっと顔を上げた。するとサイカクは梅の頭に手を伸ばし、梅はぎゅっと目を伏せた。
「本当にあなたは。おとなしくしているかと思えば、たまに突拍子のないことをしでかしますね」
サイカクは梅の頭に手を置き、優しく撫でた。サイカクに叩かれると思っていたのか、梅はサイカクの行動に少しびっくりしていた。
「……怒ってないのか?」
「そりゃあ、少しは怒ってますよ。ですが、体を張って一勢さんを守ったことは褒めてあげます」
梅は泣きそうな顔をしたあと、照れたように少しはにかんだ。
「また賑やかになっておるのぅ」
俺たちがいた部屋に、上品な笑い声をあげながら鈴鹿が現れた。
「お邪魔してまーす。いきなりごめんね鈴鹿」
「気にするな。よい退屈しのぎになったぞ。お前の主は、なかなかに愉快じゃったからのぅ」
「イッセーがなんかしたの?」
スイが尋ねると、鈴鹿は俺の前に座り、
「いろいろあるが……一番は、余の首飾りを奴らに渡さんかったことじゃ。理由を聞かせてはくれぬか?」
と、首をかしげた。
「……理由……えっと……ここの鬼たちが何かしたわけでもないのに、襲いにきたことを聞いて、渡したくなくなったんです。それに、鈴鹿さんは人間が嫌いだと言っていたのに、俺がこれを人間に渡したら嫌だと思って……」
俺が正直に、思っていたことを伝えると、鈴鹿は先ほどの上品な笑い声ではなく、大声をあげて笑い始めた。
「姫様っ! はしたのうごさいます!」
「やはりぬしは面白いのぅ!」
「え、いや……あ、これ返します。ありがとうございました」
「よい、それはぬしが持っておけ……そうじゃのぅ、未来に戻って碧生に会うたら、共に余のところへ来い。そのときに受け取ろう」
俺が返そうとした首飾りは、鈴鹿の手に渡ることなく、俺の手に留まった。
手当ても終わり、鈴鹿や青花たちに見送られ、俺たちは無事に元いた世界に帰れた。長い間、平安時代に居た感じがしたが、帰ったらまだ三時間ほどしか経っていなかった。今まで平安時代にいたことがウソみたいだったが、俺の足は手当てしてもらったあとがあり、手にはしっかりと鈴鹿の首飾りが握られていた。
「これ、どうしよう」
「碧生に会ったら、また鈴鹿に会いに行けばいいよ。だからそれまで大事にしてあげてね」
「行くって……平安時代に?」
「ううん。この時代にいる鈴鹿に」
「この時代にも生きてるんだ!?」
「当たりまえじゃん、生きてるよ」
「今度はテメーらだけで行けよ」
「茶々丸も行きたいの?」
「ふざけんな! 行かねーよ! めんどくせー」
「僕、行きたいっ!」
「テメーはまた、いらんことしそうだからやめとけ!」
「今度は大丈夫だっ!」
「さぁ、話はその辺にして、今から遅れた分勉強しますよ」
「えぇ!? 切り替え早っ!」
結局、この日のあともテストが終わるまで毎日、サイカクと梅がやってきて、勉強の日々がもうしばらく続いた。
そのかいあって、テストはいつもより良くなり、全体の三分の一くらいの順位に上がった。
しかし、結果に満足していない様子のサイカクは、「これで満足してはいけませんよ! 次もまた来ますからね!」と念を押して帰っていった。
正直、もう遠慮したい……
とは思いながらも、勉強は嫌いだけど、サイカクのことは嫌いではないので、口に出しては言わなかった。
そしてきっと俺は、また次の試験のとき同じことを思うのだろう。




