009
009
「姫様、どうされるおつもりですか?」
妖しい笑みを浮かべる鈴鹿とは対照的に、青花は端正な眉をひそめた。
「どうもこうも、余が討たれるとでも思うとるのか?」
「いえ……」
青花は何か言いたげな顔で目を伏せた。
「なんか大変そうだな」
青花の代わりに声を発した茶々丸は、大変そうなんて塵も思っていない、棒読みのような声で他人事のようにつぶやいた。
「いつものことじゃ。ここは、もうそろそろ離れる予定じゃったからちょうどよい」
「物が少ねーと思ってたら、そういうことだったのか」
「ああ。大半は新たな里へ運ばせておる」
「んじゃあ今ここ、そんな人数いないんじゃねーの?」
「そうじゃのぅ。今この里におるのは半分くらいかのぅ?」
「そうですよ! ですから私はそこを懸念しているのです」
「うろたえるほどのことでもなかろう」
目の前で繰り広げられている会話にまったく付いていけていない俺は、ただ発言者を目で追っていた。梅も俺と同じような行動を取っているところを見ると、鈴鹿に伝えられたことが聞こえていたのは、茶々丸と青花だけみたいだ。
「ですがっ……私どもだけならまだしも、客人がおられるのですよ!?」
しばらく三人の会話を梅と二人で話半分に聞いていたのだが、青花の放った一言で急に俺に視線が集まり、俺は思わず姿勢を正した。
「おお、そうじゃったのぅ」
青花のその一言で、俺がいたことを思い出したらしい鈴鹿は、唇に弧を描かせ、
「ぬしは、血を見るのは苦手か?」
と、俺に尋ねた。
「え……血?」
「嫌ならはっきり言わねぇと血の雨……いや、血の海見ることになんぞ」
「血の海!? なんで!?」
何の話!? 唐突すぎて、全然付いていけてないんだけど……
まず、今まで三人で何の話してたんだよ!?
俺が戸惑っていると、「なんじゃ聞こえておらんかったのか」とつぶやき、鈴鹿が口を開いたが、
「鬼を退治して名を上げようというたわけ者が、今から余の首を討ちに来るらしくてのぅ。余がこの手で八つ裂きにしてやってもよいのじゃが――――」
と、とんでもない言葉が聞こえたかと思えば、鈴鹿の指の先から一瞬で、禍々しい爪が現れた。そして鈴鹿は、一番長い爪で三十センチくらいはあるんじゃないかというくらい長く、鋭い爪を自らの顔に近づけ、うっとりと眺めている。
俺は突然現れた爪に驚き、言葉も出せずに、ただ爪を見つめるしか出来なかった。そんな俺を長い爪の間から見た鈴鹿は首をかしげた。
「鬼の爪を見るのは初めてか?」
「はっ……はい」
俺がなんとか返事を返すと、鈴鹿は長い爪を戻した。
「ふむ。ぬしは血も見慣れてはおらんようじゃし…………」
そう言って、少しの間伏し目がちになり考え込んだ鈴鹿は、真っ直ぐ俺を見てから「では、こうしよう」と、自分の首からかけていた首飾りを外した。そしてそのまま、その首飾りを俺に差し出し、「受け取れ」と一言、静かに言い放った。
言われるがままに受け取った、煌びやかで細かい装飾が施された首飾りは、ずっしりと俺の両手に乗った。
「これ……」
「ぬしが余を討ったことにすればよい。さすれば奴らも諦めるじゃろう。それに、余は人間は好かんが、ぬしになら討たれてもよいと思うておるのじゃ」
「え!? でもっ――――」
「姫様っ!」
俺が何か言う前に、勢いよく開かれたふすまから男が現れたと同時に、屋敷の中に大きな足音がいくつか響いているのが聞こえた。
「そろそろか。皆をこの屋敷の奥へ集めよ」
「はっ!」
鈴鹿の命令を聞き、男が緊迫した様子で部屋から出ていった。
本当に大変なことになってきている、というのを俺は身をもって感じ始めた。
「さあ、行くぞっ! 腹を決めろ!」
俺が呆然と事を眺めていると、梅が迫力のない仁王立ちで俺の横に立ち、行動を促した。
「イッセーは今、この里を託されたんだぞ!」
「そんなこと言われても……っ!?」
急に背中に衝撃を受け、座ったまま傾いた俺の体。後ろを見ると、片足を上げたままの茶々丸がいた。
「ごちゃごちゃ言ってねぇでさっさと行け! もうそこまで敵が来てんぞ! それに、運が良けりゃそろそろアイツらも来るころだろうしな」
運が良けりゃって……悪かったらどうしてくれるんだよ!っていうか蹴るなよ!
「僕も付いて行くから安心しろ!」
結局、急かされるがまま屋敷の玄関まで来たのはいいのだが、明らかに外に人がいる気配が俺にも分かった。おそらく一人二人ではないのだろう。俺が鈴鹿御前を討ったことにすればいい、とは言われたが、それ以外に何をしていいのか分からないまま、ここに来てしまった。
大きく波打つ心臓がうるさい。
「イッセー! 落とすといけないから、鈴鹿の首飾りは首にかけておけ!」
「え、うん」
俺が首飾りをかけ終えたのを確認した梅は、無言で勢いよく扉を開き、俺を玄関の外へ引っ張り出した。
「ええ!?」
俺の驚いた声に驚いた足軽たちは、一歩後ずさり、威嚇するような目で俺たちを見ていた。
「ひるむな! ただの子供ではないか!」
百人ほどいる武士たちをかき分け、奥から出てきたのは、ぶよっとした体系で脂ぎった顔をしたおじさんだった。
「ん? 妙なナリをしておるが、貴様何者じゃ?」
「え、っと……」
「この者は鈴鹿御前を退治したものだ! この首飾りは鈴鹿御前のものであるぞ!」
梅――――!!
俺は心の中で梅の名前を叫んだ。
「なんとっ!! それはまことか!?」
その言葉に、大きくうなずいた梅。
するとおじさんは、脂ぎった顔で下種な笑い声をあげ、俺に近づいてきた。
「その首飾りをわしによこしてはくれんかのぅ? そちにはわしから褒美をやるぞ!」
脂ぎった顔に笑みを浮かべながら、気持ち悪い猫なで声を出されて寒気がした。俺は寒気で震える腕を押さえた。
「っどうして、これが欲しいんですか?」
「決まっておろう。わしの出世のためじゃ! 鬼を退治したともなれば大出世は間違いなかろう。そうじゃ! そちは腕が立つようじゃし、それをよこしてくれるなら、わしの家来にしてやろう!」
こんなおじさんの家来なんて真っ平ごめんだ。
おとなしく渡せば帰ってくれるかもしれないが、なぜだかコイツには渡したくなくて、俺は首飾りを握りながら言葉を探した。
「……あの、ここの鬼たちは、あなたたちに何かしたんですか?」
「別にまだ何もされてはおらんが、化け物は早々に退治するに越したことはないだろう!」
その言葉を聞いて、
「最低だな」
と、梅が小さな声でぽつりとこぼしたが、俺も梅と同意見だった。
「さあ、早くこちらによこさんか!」
「…………た……ない」
「んん!? なんと言うた?」
「お前なんかに渡さないっ!!」
俺は普段出さないような、大きな声で叫んだ。
そのあとすぐに冷静になって、ふと前を見ると、みるみるうちに赤くなっていく脂ぎった顔が見えた。
あ、やばいかも……と思ったときには遅く、
「ならば、力づくで奪うまでじゃ! かかれ、皆の衆!」
という、おじさんの怒声を合図に、一気に周りを囲まれてしまった俺と梅。
つい叫んでしまった一言で、まさかこんな絶望的なシチュエーションにたどり着くなんて、思ってもみなかった。




