007
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ここが鬼の里だという事実を知り、見た感じは普通の人間なのに、遠目にこちらを見ている子供たちや、家から出てきた大人たちに角が生えているように見えてしまう。
勝手に頭の中で想像した鬼と重ねて、一人青くなっていると、お屋敷から出てきた青花が、優しく手招きをして俺たちを呼んでいた。
「あっ! 青花だっ! 行こう!」
「えっ……」
梅は、まだ心の準備が出来ていない俺の手を掴んで引っ張った。
気分的に重い体を梅に引きずられるように、お屋敷の玄関まで連れて行かれると、
「中で姫様が待ってるわ」
と、玄関の前で待っていた青花は扉を開けた。
「お、お邪魔します……」
玄関から一歩、お屋敷の中に足を踏み入れれば、長い廊下が真っ直ぐ伸びているのが見えた。お屋敷の外装はシンプルだったが、中は平安時代らしい雅な雰囲気があった。
「姫様のところまで案内するわ」
玄関の扉を閉めた青花は、草履を脱いで揃えた。
茶々丸と梅も草履を脱いだが、俺は自室に居たところ、いきなりこの時代に連れてこられたため、靴は履いていない。しかし、汚れた靴下でお屋敷に上がるのは気が引けるので、急いで靴下を脱いでジーンズのポケットに詰め込んだ。
裸足でお屋敷に上がってしまったが、梅も裸足だし、まぁいいか……と思っていると、意外にも茶々丸が足袋を履いているのを見て、少し驚いた。
吸い込まれるような感覚に陥りそうになる長い廊下。
廊下を進むんで行くに連れて強くなる、甘いお香のような匂い。
ゆったりと時間が流れている雰囲気があり、平安時代に来てやっと今、初めて平安時代らしさを感じた。
俺たちの前を歩く青花は、前を向いたまま、
「あなたたちが来てくれてよかったわ。ちょうど今、姫様が退屈してたみたいだから」
と、つぶやいた。
「またかよ。だいたい鈴鹿は、会うたびに退屈だって言ってんじゃねぇか」
「そうなんだけどねぇー……今日は退屈すぎるから、退屈しのぎに人里でも襲いに行こうか、なんて言ってたのよ。さっきまで」
「ふふ」と、青花は穏やかに笑いながら言っているが、内容は物騒極まりない。
「相変わらずだな」
「そうね。だから茶々丸と梅と、一風変わった客人が一人来てるって伝えたら、すぐに連れてこいって喜んでたわ」
一風変わった客人って……どう考えても俺のことだよな。
やばい。人里襲いに行こうとしてた鬼に、完全に興味持たれちゃってる。俺なんて至って普通だから、会ったって何も面白くないだろうに……。
俺が一人、悶々としていると、
「こちらに姫様がいらっしゃいます」
と、言う青花の声が廊下に響いた。その声は俺には何かの宣告のように聞こえた。
俺が心の準備をする間もなく、青花がふすまの前で正座をして、引き手に手をかけた瞬間、勢いよくふすまが開いた。青花も少しびっくりしている様子だったが、ふすまを開けた人物を見て、
「姫様っ!」
と、驚いたように声を上げた。
俺は正座をしている青花を見ていたので、目線が下を向いていたのだが、青花の後ろには、十二単衣の裾が見えた。そこからゆっくりと目線を上げ、俺は息をのんだ。
真っ白な白銀の長い髪に真っ赤な唇。そして黒目がちな瞳と目が合えば、真っ赤な唇は弧を描き、その人は俺の顎にそっと手をかけ、
「ほぅ……これはなかなか面白い奴が来たものじゃ」
と、興味深そうに顔を近づけて俺を見つめた。
「おい、鈴鹿。ビビってるからそのへんにしてやれ」
固まっている俺を見た茶々丸が、ため息まじりにつぶやくと、俺の顎にかかっていた手が離れ、少しホッとした。
「これはすまなかったな。中で詳しい話を聞かせてくれるか?」
その声に、俺は戸惑いながらも一度だけうなずいた。
「余は鈴鹿。この鬼の里の長じゃ。ぬしの名も聞かせてくれぬか?」
「俺は……天神一勢、です」
部屋に通されたあと、鈴鹿御前の目の前に座らされた俺は緊張していた。鈴鹿は屏風などが置かれた、この時代の偉い人が座るであろう席には座らず、俺たちと同じ畳の上に座っている。鈴鹿の隣には青花がいて、俺の右側に梅と茶々丸がいて、五人で丸くなるように座っていた。
「見たところ、奇怪な恰好をしているが、それはどこの着物じゃ?」
「えっと……」
どこのっていうか……
「俺様たちは今より千二、三百年先の世界から来てるんだよ」
俺が説明に困っていると、横から茶々丸が代わりに説明をしてくれた。
それを聞いた青花は「まぁ!」と少し驚いていたが、
「どうりで見たことがない着物だと思うたわ」
と、鈴鹿にはまったく動じた様子はなく、笑みを浮かべていた。
「そんなに先の世界から、なぜここに?」
青花がそう尋ねると、梅は気まずそうな顔で目を泳がせたあと、足の上に置いた手を握ると意を決したように顔を上げ、
「……僕のせいなんだ!」
と、目を固く閉じながら大きな声を出した。
それから一瞬の沈黙のあと、
「そうか……梅、余は怒りはせぬ。何をしたのか言うてみよ?」
と、鈴鹿が優しい声で梅に問いかけると、その声に安心したのか、梅は真っ直ぐ鈴鹿を見て話し始めた。
「うん。あの、んっと……僕らがいた未来の世界では、この時代は歴史になってて、それは、その世界では勉強しなきゃいけないことで――――」
たどたどしいながらも、ここに来るまでの経緯を話した梅。その梅の話を聞いた鈴鹿は、
「そういうことじゃったのか。それはたしかにぬしのせいかもしれぬが、おかげで余は退屈せずに済んだ。礼を言うぞ」
と、愉快そうに笑っていた。
「笑い事じゃねーよ! 俺様まで巻き込みやがったんだぞ!」
「よいではないか」
「よくねーんだよ!」
「ぬしは、もっと寛大な心を持ったほうがよいぞ」
「退屈しのぎに、人里襲おうとしてた奴に言われたくねーわ!」
「実際には襲ってはいないのだから、余は寛大じゃ」
「なんでだよ!」
そのあと、しばらく鈴鹿と茶々丸の脱線したやり取りは続いた。




