004
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家の前でスイと別れたあと、家に入り自室のドアを開ければ、サイカクはすでに準備万端とでもいうような雰囲気で待機していた。梅は暇そうに床でごろごろしている。
俺が部屋に入るなり、
「お帰りなさい。さあ、さっそく始めますよ」
と、中指で眼鏡の真ん中を軽く持ち上げたサイカク。
「いきなり!?」
思わず一歩後ずさってしまい、肩からカバンがずり落ちた。
「当然です。私はそのために伺ったのですから! さ、こちらへどうぞ」
サイカクは自分の向かい側を、手で指し示した。
俺は言われたとおりに渋々サイカクの向かい側に座ると、目の前には白い紙が積み上げられている。
「あの、これは?」
「私が作ってきたテスト問題です」
「もしかして……これ全部やれってこと?」
「これさえやっておけばテストなんて楽勝ですよ!」
紙を一枚手に取ってみると、数学の問題が書かれていた。
スイもいないし、逃げ場がないと思った俺は、そのまま問題を解いていくことにした。サイカクは俺の手の動きが止まるたびに、丁寧に分かりやすく解き方を教えてくれた。
しかし、春斗のように間違えるたびに筋トレが増えるたりするわけではないが、俺が初歩的な問題を間違えると、サイカクがおおげさに落ち込むので、気を使い精神的に疲れた。
それに加え、サイカクが落ち込んでいるとき、見かねた梅がこそっと解き方を教えてくれたのはいいのだが、今度は精神的に俺自身が落ち込む。ありがたいが、高校生が見た目幼女の梅に勉強を教えられるなんて、少し情けなく感じた。
それから学校に行って帰ってきて、サイカクと勉強して、夜ご飯を食べてからまた二、三時間勉強、という日々が三日ほど続き、次の日は土曜日なのだが……
「明日は土曜日なので、たくさん勉強できますね! くれぐれも夜更かしはしないでくださいね!」
……やっぱり休みはないようだ。
普段の俺が勉強しなさすぎるのかもしれないが、もうすでにいつものテスト勉強よりたくさん勉強した気がする。
「それでは明日、十時ごろに伺いますね。おやすみなさい」
「じゃあなっ」
サイカクと梅が帰ったあと、いつもならゲームや漫画を読んで夜更かしをしてしまうのだが、勉強で疲れた俺はすぐに眠りについた。
そのまま朝まで眠れたのだが、夢の中でまで勉強している自分がいて、ぐっすり眠れた感じはしなかった。
少し遅めの朝ごはんを食べて、自室に戻るとここ数日、サイカクが座っていた場所に梅が座っていて、サイカクとスイは立ったまま二人で話し込んでいた。スイはいつもの制服ではなく、着物姿だ。
「あ、イッセーおはよう」
「おはようございます」
「おはよ。っていうかなんで今日はスイまで来てんだよ?」
「今日はちょっと別件でね」
スイはちらっとサイカクと目配せを交わした。
「そうなんです。私は用がありますので、少しだけ空けます。その代わりに梅を置いていくので、出来るところまでやっててください」
「今日は僕に任せろっ!」
梅は勢いよく手を挙げた。
「夕方までには戻りますので、サボらずにきちんと勉学に励んでくださいね」
「じゃ、よろしくねー梅」
スイとサイカクは俺の部屋の窓から出ていった。
二人を見送ったあと、俺の部屋は一気に静かになった。
梅はいつもサイカクについて来てはいたが、俺に勉強を教えてくれるとき以外は、あまり言葉を交わしたことがない。それゆえに何を話していいのか分からず、俺はとりあえず梅の向かい側に座った。
すると、俺と目が合うなり、
「イッセーはサイカクのこと、苦手か?」
と、首をかしげた梅。
「そんなことないけど……どうしてそんなこと聞くんだよ?」
「イッセーはいつも難しそうな顔をしているし、勉強が好きそうじゃないから」
「たしかに、勉強はあんまり好きじゃないけど……」
「そうか。僕も勉強は嫌いだったから気持ちはわかる」
「でも、梅は勉強出来てたじゃん」
「僕が知っていることは、全部サイカクに教えてもらったことだ。だから、しばらくサイカクに教えてもらえば、イッセーも頭がよくなるかもしれないぞ!」
「へ、へぇ……」
たしかに頭は良くなりそうだが、この生活がしばらく続くのは勘弁してほしい。
「この問題もサイカクが考えて作ったんだっ! 読みやすいように書き直したりしながら、一生懸命書いてたっ」
梅はサイカクが持ってきた、勉強用のテスト問題の書かれた紙を一枚手に取った。つられて俺も一枚手に取ってみて、ふと思った。
その問題用紙は綺麗な字で、一枚一枚手書きで問題が書かれていた。正直、これを見たときは「うわぁー手書きでこんなに作ってこなくても」なんて、見ただけで勉強する意欲を失ってしまっていた。
俺は、一枚一枚が手書きで書かれていることが分かっていたはずなのに、自分が勉強したくないということばかりで、俺のために問題を作って書いてくれたサイカクの気持ちや苦労なんて考えてなかった。
「……そうだったのか」
「でもまぁ、サイカクは少し真面目すぎるところもあるだろう! だから今から少し息抜きだっ!」
「え、でも……」
「息抜きとは言っても、勉強になる息抜きもある!」
そう言って、梅はサイカクが置いていった分厚い本をパラパラとめくり始めた。
「それ、勝手に触っていいのか?」
「よしっ! ここにしよう!」
「聞いてる!?」
どうやら俺の話を聞いていない梅は、本を広げたまま床に置いた。そして俺の腕を掴むと、本の上に乗るように両膝を曲げてその場で飛んだ。幼女とは思えない怪力で引っ張っられた俺は、体が傾き少しだけ浮いた。
俺の体が浮いたのは三、四十センチといったところだが、床に落ちればさすがに少し痛い。
「いったっ!」
立ち上がるために手をついたのだが、俺の手のひらに床ではない感触が伝わった。不思議に思い、手をついたところを見ると、薄茶色の地面だった。
「…………え?」
俺は地面と手の平に付いた砂を、交互に二往復して見た。
「さ、着いたぞ!」
「着いたって、ここどこだよ!?」
周りを見ると、着物姿の通行人たちが、もの珍しそうな顔で俺を見ては通り過ぎて行く。
「平安時代だ!」
「はあ!?」
平安時代の街中で、俺の声が響き渡った。




