002
002
イッセーを待つ間、レンカはどこからか取り出した鏡を見て、髪をいじったり自分の顔を凝視したりしている。そしてひと通り鏡でチェックを終えると、今度は着物を直したり、羽衣を直したり、ひたすらそわそわと動き出した。こうやって見ていると、普通の人間の女の子と変わらなくて、なんだか微笑ましい。
レンカは自分が全知全能の神に創り出されてから、ずっとアイツを想い続けている。だからイッセーが生まれたことを知ったときは、本当にうれしそうだった。
イッセーが十六歳になる前もよく会いに来てはいたけど、そのときのイッセーには自分の姿も見えないし、声も聞こえなかった。でも今はイッセーに自分の姿が見えて、声も聞こえて、触れることも出来る。きっとうれしくて仕方ないんだろうな。
玄関で物音がした瞬間、レンカは背筋を伸ばしてから綺麗に正座したあと、三つ指をついた。
玄関の扉が開き、イッセーの姿が見えると、
「お久しぶりでございます。私、恋愛成就の神、レンカと申します。不束者ではございますが、どうぞよろしくお願い致します」
と、丁寧にお辞儀をした。
しかしイッセーは扉を開けたまま固まっている。
「……? どうかしたの?」
イッセーが扉を閉めないことを不思議に思った母親が声をかけると、イッセーは「なんでもないっ!」と、思いっきり扉を閉めた。
「……あの……えっと……」
レンカにかける言葉を一生懸命に探すイッセーに、レンカは立ち上がり腕を絡めた。
「私としたことが、いくら忙しかったとはいえ、一勢様が十六歳のお誕生日を迎えられてから今日まで一度も伺えなくて……ですから私、今日一日あなたのお供をさせていただきますわ!」
「え、いや……あの、学校が……」
「はっ! そうですわ! 今から全知全能の神にお戻りになられませんか? そうすれば私たちは永遠に一緒ですわ! 私は消えてしまってもあなたと一つになれるなら本望です! さぁ! 今すぐこちらをお納め下さい!」
愛情が行き過ぎて暴走し始めたレンカは、首からかけられた紐を出し、その先に通された淡い桃色の神玉を、イッセーの手に強引に握らせた。
神玉を握らされたイッセーは困惑の表情を浮かべているが、そんなイッセーをおかまいなしに、レンカは腕を絡めたまま、すりすりとイッセーの肩に顔を埋めている。
そろそろ助けてやろうかな。
「はーい、いちゃついてるとこ悪いけどそこまでね」
オレはイッセーの手からレンカの神玉を取って、レンカに返した。
「まぁスイったら! 男女の逢瀬を邪魔するなんてひどいですわ!」
逢瀬って……こんな人目につくとこでしないでしょ普通。
「あーはいはい、ごめんねー。でもオレたち今から学校行かなきゃいけないからさ。ね? イッセー」
「う、うん」
「それでは私もご一緒しますわ!」
「学校では大人しくしてるんだよ?」
「分かってますわ!」
レンカが学校についてくることを容認したオレに、イッセーは驚愕の表情を浮かべ、
「本当についてくる気なのか?」
と、小さく耳打ちをした。
「今日だけだから大目に見てやってよ。心配しなくてもレンカはオレとお前以外の人間には見えないからさ」
「……分かった」
イッセーはしぶしぶ納得してくれたようで、オレたちはレンカを引き連れて歩き始めた。
「学校とはどんなところなのか」とか「人間はどんな勉強をしているのか」などレンカの質問に答えながら歩いていると、ふいにイッセーの顔色が変わった。イッセーの目線の先には、どこにでも居そうなおばさんがいた。オレの記憶が正しければこのおばさん、たしか佐野さんって名前で、よくこの辺うろうろしてご近所情報を集めてる人だ。俺は直接会ったことはないけど、この人とイッセーとのやりとりを見かけたことがある。佐野さんはイッセーを見つけるやいなや、すかさずこちらへ向かってきた。
「……おはようございます」
イッセーは下手な作り笑顔で佐野さんに挨拶をした。
「おはよう! 今日はお友達と一緒なのー?」
「あー、はい」
どうやら今日の佐野さんのターゲットは、近所の子のお友達であるオレらしい。
「はじめまして。オレ、一勢君と同じクラスの朱羽スイって言います」
うんざりした顔をしているイッセーには任せられそうにないので、オレは自らにこやかに自己紹介をした。
「私は一勢君の近所に住んでる佐野って言うの。よろしくね。それにしても、男前ねぇー! あなたモテるでしょー?」
「そんなことないですよ」
「またまたー! 今日なんかバレンタインだし、たくさんチョコ貰えちゃうんじゃないのー?」
「そうだといいですねー」
「私もあと三十年若かったらねぇー」
「十分お若いですよ」
「やだーおばさんをからかうなんて、イケない子ねぇ」
そう言って佐野さんはさりげなくオレの肩にぽんぽんと二、三回触れた。
無事に佐野さんから解放され、また学校に向かい歩き始めた。佐野さんの姿が見えなくなってから、
「お前すごいな。俺、あの人苦手だからあんな話せないよ」
と、イッセーがオレに向かって呟いた。
「オレも得意ではないけどさ、ああいう人には上辺だけでもニコニコしといたほうがいいと思うよ」
「そりゃあ、そうなのかもしれないけど……」
「人間として生きていく以上、人付き合いの一環でしょ。ただのうわさ魔でも、いつか何かの役に立つことがないとは言い切れないじゃん?」
「ただの近所のうわさが役に立つなんて思えないだろ」
「今はそうかもしれないけど、大人になったら分かんないよ? だからこっちの情報は出来るだけやんないようにして、とりあえずいい顔しとけば、よっぽどのことがない限り悪い情報は流されないだろうし」
「……ほんとめんどくさいな」
「まぁね。でも世の中いろんな人間がいるんだから、佐野さんくらいクリアしなきゃやってけないよ」
「……今でも挨拶くらいはしてるし」
「挨拶しててもさぁ、イッセーは作り笑いが下手すぎるんだよ。ちょっとくらい、知らない人同士でも挨拶する海外の人みたいな柔軟性があってもいいと思う」
オレに指摘され、イッセーが押し黙ると、
「いけませんわ! さっきのあの女は私の一勢様をいやらしい目で見てましたもの! 一勢様が構ってやる必要なんかないですわ!」
と、割って入ってきたレンカはイッセーをぎゅっと抱きしめた。
っていうかさっきの場合、いやらしい目で見られてたのオレだよね。




