004
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「コハク! 何やってるんですか!」
「小生は何もしておらんぞ! ゆえに薬は苦いままだっただろう!」
「何開き直ってるんですか! 何もしてないなら噛めとか言っちゃだめでしょう!」
千羽矢は俺の背中をさすりながらコハクを叱っていたが、コハクはまったく反省していない様子だ。千羽矢の言葉を聞き流し、軽やかにベッドから降りたコハクは俺の部屋の片隅に置いてあった、俗にコロコロと呼ばれるカーペットクリーナーに乗って遊び始めた。テープに足がくっついてはいるが、ロールの上で歩くたびに不安定になりふらふらしている。
「何してんの! 危ないぞ」
「食後の運動だぞ!」
そう言ってロールの上を歩き、コロコロの短い取ってを引きずりながら部屋を歩き回っている。
「やめなさいコハク!」
千羽矢がやめさせようと追いかけると、スピードを上げて逃げるコハク。そのまま俺のベッドの近くまで来たのはいいが、ゴミ箱にぶつかって倒しゴミを撒き散らかした。そしてその衝撃で宙を舞ったコハクは見事に俺のベッドに着地した。
そこで俺が捕まえればよかったのだが、別の遊び道具を見つけたらしいコハクはすぐにベッドから降りていってしまった。ティッシュを撒いて千羽矢をかく乱させたり、セロテープ台からセロテープを外しフラフープみたいにして遊んだりしている。
とりあえずコハクは千羽矢に任せて、俺はコハクが撒き散らかしたゴミを片づけるために起き上がった。俺がゴミを片付けている間も、コハクの笑い声と千羽矢の悲鳴が聞こえていた。
ゴミを片付け終わると妙に汗ばんだ俺の体。しかし自分自身の熱さではなく、空気が熱いように感じた。俺は単に熱があがっただけなのかと思い、ベッドに戻ろうとした瞬間、顔にうっすらと熱風がかかった。ふと風が吹いてきたほうを見てみると、エアコンが風向きを変えながら動いていた。
熱さの原因は分かったがあまりに熱いため温度を下げようと思い、俺はリモコンを探した。リモコンは床に落ちていたが、俺はそのリモコンを拾い上げると思わず二度見してしまった。
温度設定三十二度って……
おそらくコハクが踏んだのだろう。俺は温度を下げ、リモコンを机の上に置いた。
ベッドに腰掛けるとコハクが俺の太腿の上に落ちてきた。俺は両手で包むようにコハクを捕まえたが、コハクは逃げる素振りもせず、その場から何か訴えるようにジッと俺を見ていた。
「喉が渇いたぞ!」
「そりゃあ、あんだけ走り回ればな……」
俺は床で疲れ果てている千羽矢を見て軽くため息を吐いた。
母さんが置いていったであろう清涼飲料水のペットボトルを手に取り、ペットボトルのキャップに飲料水を入れてコハクに渡すと、コハクは一気にそれを飲み干した。
「入るわよー?」
ようやくコハクを捕まえ一段落したところに、ドアをノックする音と同時に聞こえた母さんの声。
俺はベッドの上で転がるコハクを見てとっさに隠そうとしたが、無情にも開いてしまったドア。
「あら、起きてたのね」
「う、うん」
「ご飯ちゃんと食べたのね! ちゃんと作れたの?」
「まぁ……」
母さんはお粥の入っていた皿が乗ったお盆を持った。
「じゃあ母さん下にいるから何かあったら呼ぶのよ?」
何事もなかったかのように部屋を出ていった母さん。
もしかして、コハクも千羽矢も見えてない?
「お母様に私たちは見えてないですよ」
千羽矢は母さんが出ていったドアを見ながら呟いた。
「なんだ……よかった」
そういえば、スイがそんなこと言ってたような言ってないような……
「私は人間に姿を見せることもできますが、今は見えないようにしてますからね」
「そっか。たしかスイもそんなこと言ってたな」
「同じ神使ですからね。ですが私はスイさんのように長時間、人間に姿を見せることはできませんよ」
「どういうこと?」
「人ならざるものが人に姿を見せるのには、それなりの力が必要なんです」
「神使にもレベル? みたいなものがあるってこと?」
「ええ。特に全知全能の神の神使ともなれば、それ相応の力がありますよ」
「……そうだったのか」
スイって結構すごいやつだったんだ。いや、元から分かってはいたが、同じ神使から聞くと、余計スイのすごさを実感したような気がした。
千羽矢との会話が途切れた一瞬、遠くで母さんの話し声が聞こえ、廊下を歩く音が響いてきた。その音は俺の部屋の前で止まり、今日何度目かのドアをノックする音が聞こえた。
「なに?」
俺が軽く返事をすると、開いたドア。
「お友達が来てくれたわよー」
と言う母さんの後ろで先程まで話題にのぼっていたスイがひらひらと手を振っていた。
「あとで飲み物持ってくるわね。あ、移らないように気をつけてね?」
「大丈夫です、気にしないでください」
踵を返す母さんを爽やかな笑顔で見送ったスイは、俺の部屋に足を踏み入れドアを閉めた。
「千羽矢お疲れー。あれ? コハクは?」
「スイさんお帰りなさい。コハクは……あそこですね」
千羽矢が目を向けた先を見ると、コハクが俺のベッドでちゃっかり布団まで被って気持ちよさそうに寝息を立てていた。
どおりでさっきから静かなはずだ。
「寝てる」
寝ているコハクを見て、スイは柔らかく笑った。
しかしスイとは対照的に青くなって謝っている千羽矢をなだめている途中、母さんがお菓子と飲み物を持ってきて机に置いていった。
「そうだ、イッセーこれ今日のノートとプリントね」
スイは俺にノートとプリントを渡すと、母さんが持ってきたオレンジジュースをストローで吸い上げた。
「あ、メールしたけど返信ないって春斗が心配してたよ?」
言われて初めて携帯の存在に気付いたため、俺は今日一度も携帯を見ていない。ふと携帯を見ると、メール受信を知らせるランプが点滅していた。
「……それどころじゃなかったんだよ」
「だろうね」
そう言ってスイは、何でもお見通しと言わんばかりの笑顔を浮かべた。




