008
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タタラは俺を恨んでいる。俺は誰かに恨まれることなんて初めてだし、誰かを恨んだこともない。まして人ではなく、祟り神に恨まれているなんて、人に恨まれるよりよっぽど怖い気がする。けど、それでも俺が意外と冷静なのは、俺が直接タタラに何かした覚えがない分、まだ恨まれているという実感があまりないからだ。
「俺を恨んでる理由……聞いてもいいですか?」
俺が勝手に創って三千年間、置き去りにしたから? それとも神様になりたくなかったとか? 恨まれてる理由として俺が思いつくのはそれくらいだ。
「わらわがなぜお主を恨んでいるかじゃと?」
「はい」
「わらわは……人を祟ることしかできぬ。それは、お主のそういう力から生まれたからには仕方なきことだと思うてきた」
「……もし、他の力ならそんな風に思わなかったですか?」
「どうじゃろうな。しかし使う使わないは別として、わらわは己の力が嫌なわけではない」
「じゃあ、どうして?」
「……少し見せてやろうか?」
そう言ってタタラはまた煙を吹かした。
――――私の亭主を奪ったあの醜い女を呪い殺して下さい! そのためなら私はどんな報いも受けます!
――――わしは奴に騙されて全てを失った。だから奴もわしと同じように、いやもっとひどい目に遭わせてやりとうございます
――――私は何も悪くないのに、私ばかり嫌な目に合う。私を嫌な目に合わせている奴らなんて地獄をみればいい
――――タタラさん、タタラ様、祟り神様―――!!
煙の中に次々に映し出される人々。煙に映った人はかなり昔の時代の人や、わりと最近の人まで十人くらい出てきた。しかも声付きなのでやたらとリアルにその恨みの感情が伝わってきた。
この人たちは確かに大変な目に遭ったのかもしれない。だけど、それを差し引いても見るに堪えなかった。ナギとナミのところで、たくさんの人間が映ったあの水面を見た時の気持ちと似ているが少し違う。そこに映るのは善はなく悪のみだ。
「っタタラさん! もういいよ」
堪らなくなった俺が少し強めに声を上げると、タタラは煙管を口元から離した。
「……人間は恨みを抱くと結局、己が恨んでいる者と同等に成り下がる。わらわはそれを、見飽きるほどに見てきた。下等な生き物どもの心底醜い顔をな」
タタラの言っていることは、全部ではないが俺にも理解できた。煙の中の人たちは元々いい人だったのかもしれないが、顔がもはや善人の顔ではなかった。それほどまでに強い恨みは、人を変えてしまうものなのだろうか。だとしたら俺を恨んでいるタタラは……
「タタラ、さんは……俺のこと恨んで変わってしまったんですか?」
俺が遠慮がちに聞くと、タタラは金平糖を一粒口へ運び、小さな音を立ててそれを噛んだ。
「わらわは祟り神。しかし己の恨みは晴らせぬ。それに、わらわは人間のように愚かな真似はせぬ」
「俺に……俺に対する恨みは……」
「お主は何もせんでよいし、わらわも何もせぬ。しかしお主が人である以上、その罪はお主に還っていく。そう心得ておけ」
やっと恨まれている実感が少しづつわいてきた。
タタラは三千年間、ずっと見たくもないものを見てきたんだ。いくら自身が祟り神だからって気分のいいものではなかっただろう。タタラに恨みをぶつけてくる人間の数だけ、俺はタタラに恨まれているような気がした。
そう考えると神様の数だけ俺の知らないことがあって、神様の数だけ罪があるのかもしれない。俺が背負っている罪は思いのほか甘くはないと、ひしひしと迫ってくるように感じた。
「まぁ然程心配せずとも、お主にも神使がおるじゃろう? あやつがおる以上、直接お主に何かあるわけでもあるまい」
「……スイがいれば?」
「ああ。あやつはなかなかに見どころのある男じゃぞ?」
タタラは色っぽく口元に笑みを浮かべた。
「タタラ様! お言葉ですがあのような浮ついた男にはもったいないお言葉では!?」
タタラがスイを褒めると、入口付近で控えていたであろう幽月がふいに声を荒げた。
「そうか?」
「そうですよ! だいたいアイツはこの間も馴れ馴れしく――――」
「あーいたいた!」
タタラでも幽月でもない、先ほどまではここにはなかった聞きなれた声。幽月が必死にタタラを説き伏せようとしていたところに、話の種になっているスイが割って入るように現れた。
「イッセーがお邪魔してたみたいで、ごめんねタタラ」
「スイ貴様! 馴れ馴れしくタタラ様を呼び捨てにするなと何度言えば分かるのだ!」
「かまわぬぞ。わらわはこやつと話して些か清々した」
タタラは虚ろな瞳で俺を見た。
「そ、ならよかった」
「よくない! タタラ様の積年の恨みがこの程度で晴れるわけがなかろう! だいたい貴様がコイツから目を離すからこういうことに――――」
コイツと言ったときに俺を指さした幽月は、その後も長々とスイに文句を言っている。
「タタラ、昨日の金平糖は美味しかった?」
「ああ。食べてみるか?」
タタラが金平糖の盛られたお皿をスイに差し出すと、スイは金平糖に手を伸ばした。
「っは! 貴様、タタラ様の供物に手を出すとは何事だ!」
幽月はひたすら文句を言い続けているが、タタラもスイも気に留めていない。
スイが来て張りつめていた空気が一気に緩くなったのはいいが、幽月がちょっとかわいそうな奴に見えてきた。