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神様の水鏡  作者: 水月 尚花


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 冷たい汗が背中を伝う。大きな音を響かせる心臓から全身へ巡る血液すら冷たく感じる。


 俺は自分が生まれた世界が嫌いで、汚くて醜い人間も嫌い。いくら俺が全知全能の神の生まれ変わりだったとしても、あの世界ではただの普通の人間。嫌いな世界で、見たくもない現実をただ見ているだけしか出来ない。

 だったらさっさと消せばいい。神に戻れば嫌いなものがすべて消え去る。スイの言うとおり、何を迷ってるんだ俺は。

 そう自分に言い聞かせてみても、言葉は喉の奥で引っかかったまま。俺は、体温を失い小さく震え始めた手で神玉を握りしめた。


 カタン、という音がして反射的に音がしたほうを見ると、スイが両手で輪を持ち上げていた。

「待っ――――」

 俺が制止の言葉をかけようとしたとき、スイの口許が弧を描いた。

「冗談だよ」

「…………へ?」

 いたずらっ子のような顔をして笑うスイを見て、思わず力の抜けた声が出た。

「ごめん。イッセーのこと、ちょっと試した」

「試したって……じゃあ、今すぐ神玉集めてくるっていうのも……」

「ウソ。もちろん、本当に集めてくることだって出来るけど……もしイッセーが今すぐ集めてこいって言ってたら……オレ、一発ぶん殴ってた」

「えぇっ!?」

 スイは輪を元の位置に戻し、真剣な目で俺を見た。

「イッセーはさ、たかが十六年……たった十六年しか生きてないのに、この世界の何を知ってるの?」

「何って……」

 そう聞かれると、何も答えられない。俺の中での世界に対する情報源はネットやテレビで、自分で直接何かを見たわけじゃない。 

「ほら。イッセーは、自分の生まれた世界のことも知らないでしょ。だから、世界を見定めるにはまだ早すぎる」

「…………うん」

「それと、一つ大事なこと教えとく。イッセーが全知全能の神に戻ると世界が消えるのと同時に、ナギとナミをはじめ、今神界に存在する神々も消え、その力だけがお前に還る」

「え!?」

「三千年間、お前に託された世界をどんな形であれ守ってきた神たちが……みんな一瞬で消えるんだよ。それだけは絶対に覚えておいて」

「…………スイと茶々丸も?」

「オレらは全知全能の神に創られたものじゃないから、多分消えない。だけど神使はオレと茶々丸だけじゃない。神が消えれば主を失う神使がたくさんいる」

 今存在する神々――――ナギやナミが輪から出来た神様なら輪が再生すれば消えるなんて少し考えれば分かったはずだ。結局は俺も自分のことしか考えてなかったんだ。もう頭の中がぐちゃぐちゃで何をどこから考えればいいのか分からなくなった。


「俺……どうしたらいい?」

 情けない声が空気を震わせた。

「それはオレが決められることじゃないけど……人間は自分と、自分であって自分じゃない誰かの罪を背負って生きてる。だったら今は人間のお前も、一回背負ってみたら?」

「…………そんなの背負える自信、ないよ」

 全知全能の神の罪なんて……

「何も一人で背負えって言ってるわけじゃない。オレも一緒に背負ってあげるよ」

「なんで……」

「言ったでしょ、オレはお前の神使だって。だから安心しなよ。これでも全知全能の神の神使やってたんだから、いわばオレ最強の神使だよ?」

 そう言ってスイは冗談ぽく笑っていたが、俺の心は少しだけ落ち着きを取り戻した。

「スイは俺に……神に戻ってほしいとか……戻らないでほしいとか、そういうのないのか?」

「別にないよ。オレはイッセーが神に戻っても、戻らずにまた生まれ変わって来ても、ずっとお前の神使だよ……それだけは変わらないから」

 その言葉を聞いて無性に泣きたくなった。

「ごめ――――」

「謝んなよ」

 泣きたい気持ちを押しこめた代わりに、俺の口をついて出た謝罪の言葉を強い口調で遮ったスイ。

「でも俺……」

「オレたちは誰も謝ってほしいなんて思ってないよ……けど、本当に悪いと思ってんなら一つお願いがあるんだけど」



 神殿を出ると太陽の代わりに灯篭の灯りが辺りを照らしていた。花壇のそばでナギとナミと茶々丸が、背中を丸くして何かを囲むように座っている。三人の間からは光りが漏れていた。

「なにしてんの?」

 スイが声をかけると三人が一斉に振り向いた。

「あ、終わったんだね! 二人ともちょっとこっちに来て!」

 ナギに手招きされ、そばへ寄るとナギの横から古風な植木鉢が見えた。覗き込むと大きな葉が円のように広がり、その真ん中に光る白い花が咲いていた。

「おーこれ暗くなると光るんだ」

 スイは感心したような声を漏らした。

「これは?」

「ああそっか。イッセーは覚えてるわけないもんね」

「これも俺と何か関係あるのか?」

「うん。この花は十六年前イッセーが生まれた日に芽が出て、今日花が咲いた。で、この花が咲いたら迎えにこいって言ったのは、三千年前のイッセーだよ」

 そう言われてよくよく見てみたが、やはり俺には何の記憶も浮かんでこなかった。光っていることを除けばどこにでも咲いてそうな普通の白い花にしか見えない。

「綺麗に咲いてよかったね、ナミ」

「………………」

 ナギの言葉に、相変わらず無言ではあるがうれしそうに頷いたナミ。



 「ねぇ……」

 頷いたナミを優しい顔で見たあと、ナギは神妙な面持ちで何か言いたげにオレとスイを見た。ナギの言いたいことを察したらしいスイは、ナギの頭の上にそっと手を置いた。

「大丈夫。イッセーはまだ神には戻らないよ」

「そう……よかった」

 泣きそうな顔をして笑うナギを見て、心が痛くなった。

「僕もナミも、どんな結論でも従うつもりだったけど……今日ここで一勢に会ったら、また会えたのにすぐ消えちゃうのが悲しくなって、もうちょっとだけでも一緒にいれたらいいなって思っちゃったんだ」

 そう言って笑ったナギと無表情で俺を見つめるナミ。茶々丸はそんな二人を見ないふりをするように横を向いていた。

「イッセーの周りにいる人たちが、みんないい人でよかったよ」

 スイは天を仰ぎながら呟いた。

「どういうこと?」

「イッセーの周りはいい人ばっかだから、人間の汚い部分が余計に許せないんだろうねって話。もし仮にイッセーの周りが悪い人ばっかで、超不遇な環境にいたとしたら『俺、今すぐ世界滅ぼしてやんよ』みたいなことになってたかもしんないじゃん?」

 なんとなく言いたいことは分かるが……

「なんだよそれ」

 なんて俺は少しふてくされたように言った。


「さて、そろそろ帰りますか」

 置いてきたはずの鞄をスイから渡された。おそらく持ってきてくれたのだろう。鞄を受け取ったときに見えた左腕の時計はちょうど六時を指していた。ずいぶんと長い時間ここにいた気がするが、実際にはまだ二時間ほどしか経っていなかった。


「じゃ、ちょっと帰り方教えてくるねー」

「うん。一勢、またね」

「………………」

「今度は豆大福持ってこいよ!」

「……うん」

 門の所まで見送りに来てくれたみんな。しかし、今から家に帰れるというのに俺は別の意味で緊張していた。スイは俺と目が合うと笑顔で軽く頷いた。

 あと一歩で門から出るというところで俺は、意を決して振り返った。

「あっ、のさ」

 声が裏返ってしまったが、俺はそんなことも気にならないくらい気が張っていた。

「えっと、その、なんていうか……今、このタイミングで言うのもおかしいかもしれないけど…………た、ただいま」

 俺が言い切ったと同時に、時が止まったみたいに静まり返った。スイと俺以外は、瞬きもせずに目を開いている。なぜか俺もその空気につられて瞬き忘れてしまい、また違った緊張感が生まれた。


「……おかえりなさい」

 一瞬の静寂のあと澄んだ声が響き、緊張した空気が緩んだ。初めて聞いた声。一番最初に声を出したのは思いがけない人物だった。

「……喋った!」

「そりゃあ、ナミだって喋るよね」

「あー! ずるいよナミ!」

「………………」

 スイとナギの言葉に、また何事もなかったかのように無言を貫くナミ。

「テメー、帰り際にただいまってなんだよ! さすがの俺様もびっくりしたじゃねぇか!」

「まあまあ」

 茶々丸をなだめながら笑うスイ。

「たしかにびっくりしたけど……帰ってきてくれてありがとう」

 ナギの言葉を合図に、俺以外の四人が目配せを交わした。


「「「「おかえり」」」」


 四人から綺麗に返ってきた言葉は、今の俺に三千年前の記憶がなくても、すんなりと心に入ってきた。普段何気なく使っているような、何でもない言葉が素直にうれしかった。

 だけどさっきの『ただいま』はスイに「一言でいいから、言ってあげてほしい言葉がある」って頼まれて言った一言だ。それに最初にナギが言ってくれた『おかえり』に、俺は何も返していない。

 だからもう一度、今度はちゃんと俺から言おうと思った。


「ただいま」


 白い花は夜の闇に溶け込むことなく光り続けていた。



   

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