白昼夢
こんにちわ、維月十夜です。
『幻夢抄録―覚醒め―』更新致しましたことをお知らせ致します。
氷魚の前に現れた瑪瑙という少年、彼は一体!?
まあ、ごゆるりとお楽しみくださいませ♪
闇、だった。
その闇の中、高く虚ろに、水音にもよく似た音が響く。
彼女は、哀願していた。
(オネガイ、アタシヲヨバナイデ…アナタハ、ダレ?アタシヲヨバナイデ、メザメナンテ、ノゾンデナイノニ!)
樹々を伝う、赤い雨。
『あれは、なぁに?』
『迎えに、行くからね』
おかしな夢を見た。
凍えそうなくらいに寒く、真っ白で。
もしかしたら、雪だったのかもしれない。
凍える寒さの中で、あたしは、血にまみれて泣いていた。
『目覚めるのは、イヤだ』と。
それは、妙に生々しく、はっきりと明瞭に思いだすことができた。
(なん、だったんだろう?)
その、妙な夢の余韻が抜けず、ベッドに座ったまま、ぼーっと呆けていた彼女を、母親の怒号が殴った。
「ちょっと、なにボケッとしてるの!?学校、遅刻するわよっ」
「ああ、はぁい!いま下行くからっ!」
ベッドから立ち上がったその時、枕元に置いてあった、目覚まし時計が落下する。
アラームが、穏やかな朝の静寂を切り裂いた。
「あ〜っもう、うるさいなぁ…どうして今ごろ鳴るんだか」
制服に着替え、着替えの為に閉めてあった、うす藍色のカーテンを開ける。
雲一つなく晴れた空が、目に眩しかった。
「うーん、今日も快晴なり。いいことありそう」
アルミサッシの窓を開けると、初夏の朝風が舞いこみ、彼女の制服の、若草色のスカートを、ひとしきりに揺らした。
「今、夏…だよね?あの夢、なんだったんだろう」
彼女は、ぽつりと呟いた。
ここ最近になって、同じ夢を何度も見るようになった。
なにか、原因になりそうな物を、いくつか思い浮かべてみる。
思い浮かべてみるが…結局、いくらもしないうちに、彼女は考えるのをやめた。
面倒くさくなったのだ。
「ま、いっか。それより朝ご飯た〜べよっと」
彼女はギシギシと、古びた階段を軋ませながら、暢気にも鼻歌を歌いながら下りていった。
「おっはよう」
台所の暖簾をくぐり、彼女は椅子に座った。
座ると同時に、コトリとテーブルが鳴り、目の前にトーストとベーコンエッグが出された。
「ほら、早く食べなさい。遅れるわよ?」
皿を置いた彼女から、機嫌の悪い、ピリピリとしたものが伝わってくる。
それは、別に自分に対して腹を立てているのではない。
朝の母は、機嫌が悪いのだ。
それが、今に始まったことではないのが分かっているので、別段、気に留めたりはしない。
「分かってるよぉ、いただきまーす」
言われた彼女は、とばっちりは御免、とばかりに肩をすくめてから笑った。
「氷魚あなた、最近顔色が悪いようだけど、ちゃんと寝てるの?」
しかし彼女は、質問には答えず。
トーストを銜えたまま、せわしなく廊下を右往左往していた。
「お母さんっ、そんなの話してるヒマないんだって!」
毎朝の光景に、彼女の母親は、先が思いやられる、と溜息をついた。
「忘れ物は、お弁当持った?」
「ないないっ、いってきま〜す!!」
玄関のドアが、勢いよく閉まる音を遠くに聞きながら、氷魚は走り出した。
氷魚は、元気だけが取り柄の、どこにでもいる、ごく普通の高校生だ。
いま彼女は、絶体絶命の2つの危機に瀕していた。
一つは、寝不足。
二つめは、皆勤賞喪失。
「んぎゃっ、ヤバいよーんっ」
氷魚は、三度目の予鈴を遠くに聞いて、言葉通りに飛びはねた。
校内に、予鈴が軽やかに木霊する。
氷魚は、息も絶え絶えに、机に突っ伏していた。
「せ、せぇーふ」
「ひーちゃんてば、今日は自習って言ってたでしょー?聞いてた?」
死にかけている氷魚を、後ろの席の、クラス一のトラブルメーカーで、小学校からの幼馴染みでもある小松千早が、寄ってきてからかった。
「たぶん、寝てたわ…」と氷魚。
「うん、分かる…担任の授業って、眠くなるよねぇ」
「なるなる」
氷魚達の、担任が担当しているのは国語だ。
老年の彼の授業は、テンポが遅い。
なので昼食後の授業は勿論、朝一でも、どうしても眠くなってしまうのだった。
「ヒマだよねぇ、ふあぁ」
氷魚は、欠伸をかみ殺しきれずに、大あくびをしてしまった。
「なした、寝不足?」
彼女、千早が聞いた。
しゃがんで目線をあわせ、首を傾げている。
「そうなんだ、ここ最近、ヘンなの」
「ヘンて、悩みごと?親とか?」
「ううん、夢を見るの」
「夢、どんな?」
「言っても、笑わない?」
「笑わない笑わない」
「ホントかなぁ」
「ホントだって…話してよ、気になるじゃない」
「うん、なんかね…夢の中で、なぜかまわりが真っ白で、寒くて。もしかしたら雪だったのかも知れないけど、あたし…いつも血まみれで泣いてるんだ?」
「う〜ん、血まみれかぁ…疲れてるんだよ、きっと。休めばよくなるさ、元気だしなよっ」
「そ、そうだよね?サンキュー」
そう言うと、氷魚はもう一度欠伸をして、机に突っ伏してしまった。
「こりゃ、相当ひどいね…可哀相だし、ほっとこうっと」
初夏の、生温い風が、氷魚の髪をそっと撫でた。
くすぐったさに目を覚ました彼女は、二、三回瞬きする。
放課後の教室には、静寂が満ちていた。
「あれ、あたし…寝てた?もう、それにしても、起こしてくれればいいのにさ。仕方ないなぁ、一人で帰るか」
廊下を歩きながら、他の教室も覗いてみる。
しかし誰もいないのは、どこも同じだった。
(ホントに、誰もいない。おかしいなぁ…そんなに、遅い時間でもないのにねぇ)
氷魚は、靴箱を閉めると、外へ歩き出した。
(やっぱりヘンだ、なにかが可笑しい)
いつもは、学校帰りの学生で賑やかな商店街。
しかし今は、まるで死に絶えたかのように静まりかえっている。
氷魚は、大通りに出ると、携帯で自宅に電話をかけた。
無機質な呼び出し音が響く。
一回。
二回。
四回。
氷魚の背中を一筋、嫌な汗が伝った。
どうしたんだろうか。
なぜ、出ない?
もしかしたら、何かあったのか?
「どうしたんだろう…」
携帯を閉じる氷魚。
通り抜けていく風の音が、いやに、大きく聞こえた。
とりあえず、なにがあったのか確かめなければ。
氷魚は走り出した。
橋を渡り、砂利道を走り抜け…。
しかし、そこにあるはずの自宅はなく、茶色い土を剥き出しにした、ただ広い敷地が広がっていた。
「うそ、なんで…なんでウチがないの!?一体、なにが」
背中に強い衝撃を感じて、氷魚は、きつく眉根をよせた。
「石…じゃなかった、なに、祠?なんでウチの敷地にこんなのがあるんだろ」
その時、どこからともなく、男の笑い声がする。
もう、可笑しくて、仕方がないと言ったふうの声だ。
「ねえ、誰かいるの?!」
氷魚は、せわしなく周囲を見まわす。
しかし、くつくつと笑い声は止まない。
「ねえってば!」
血が上って、怒鳴り散らした彼女に、やっと気づいたように男の声が応えた。
「あ、ああ…すまない。気を悪くしないでくれ」
「どこにいるの!?」
きょろきょろ、と見まわす氷魚。
しかし、なかなかそれらしい姿は見つからない。
「すぐ側にいるぞ?氷魚、お前の足元にね」
「え…黒猫、どこから…」
黒猫は、氷魚を見あげて一声鳴くと、笑い始めた。
「迎えにきたよ、氷魚。ああ可笑しい、お前の、あの時の顔と来たら、腹がよじれるかと思った」
「ね、ね、猫が喋ったぁ!?」
あり得ないものを見た人間がする、お決まりの行動。
氷魚は、後ずさった。
「およ、やっぱりこの姿はマズかったか…これが気にくわんなら、何にでもなるぜ?」
猫は、祠に跳び上がると、黒いノースリーブに、ジーンズを着た男に変わっていた。
「あ、あんた、一体!?」
おそるおそる、男の方に近づく氷魚。
「お前を迎えにきた、それはさっき言ったな?」
いきなりペースが崩れ氷魚は、ぱちくりと瞠目した。
「いや、そうじゃなくて」
「ああ、自己紹介してないのか。俺は、瑪瑙っていう。よろしく」
勝手に話を進める彼に呆れつつも、氷魚は、とりあえず状況整理をすることにしたのだった。
「あ、あたしを迎えにって、どういうこと?」
(なんなのよ、コイツ…いきなりペースがずれたし)
「なにも覚えてない、か。まあ、仕方ないよな、小さかったし」
「え?」
氷魚は、内心頭を抱えた。
目の前にいるこの男は、初対面の筈の、あたしを知っているというのだ。
(ますます分かんないっ、なんなのよコイツはぁ!?)
「え〜っと、つまりだな…アンタは、人間として育ってきたが、それが全部嘘だって事さ」
「は?なに、なに言ってンのか、さっぱりわけ分かんないんだけど?」
「だーから、お前は人じゃねえってことだよ」
ばちん、とウインクを飛ばしてきた彼――‐‐‐瑪瑙に、氷魚は、サーッと全身の血の気がひいた気がした。