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序・妄想癖の男

アパートの一室 


 ある夏の夕刻のことだ。夕立が来たようで、一つしかない窓はカタカタと震えていた。俺は一人暮らしのアパートの一室で服をハンガーにひっかけながら、一人むしゃむしゃとパンを食っていた。昨年からここに住んでいるのだが特にこれといった娯楽はない。食うに困ったときに売り払ってしまったので部屋にはテレビはない。あるのはとりあえず健康だけが取り柄の俺とわずかな家具。そして部屋の大半を占めるのが去年死んだ曾祖父から譲り受けた大量の蔵書群だ。わずか四畳程度(いや下駄箱と駐輪所を入れると六畳はある)の住処は亡き曾祖父の遺産によりただでさえ狭い部屋をいっそう狭苦しくしている。残念ながらたいして面白くもないので、これは娯楽にカウントされそうにない。

 俺は袋だけになったパンを塵箱に詰め、水道水で喉の渇きを癒した後、重ねた本で作った椅子に腰かけしばし呆然とした。目をやると背の低い机の下に教材が積んであるのが見えた。大学にはしばらく行っていない。とるべき単位をとり、受けるべき講義も受けてしまったのでもうあそこに用はない。とはいってもまだ二十歳もそこそこの俺には大した用事もなく、向こう半年は暇である。田舎から上京してきた俺にとって都会の空気は肌に合わず、したがってわずかな交友関係を残して後は皆無に近かった。大して金もないから食うに困り、金を得るために働き、いらないもの(本は売れそうにない)は売っ払う。そんな暮らしを長々としてきた。そんな現実に呆然としたのだ。


 つまらん。 


 そう思ったのは今日が初めてではない。月日は知らぬまに過ぎていく。何かおもしろいことでもないだろうか。そう思って流しの下の収納を開けてみたが、黒光りもずいぶん減っていたのでおもしろくなかった。以前は開けると黒光りがわっと飛び出し、俺を大層おもしろがらせてくれたのに。

 さあ何をしようか。つまらん、つまらんといっても部屋の本はすべて一通り目を通した。そのくらい退屈だったのである。時間が無限にあるようにさえ感じる。さすがにそれはまずい。そう最初に思ってから早二日、俺は自身をなんとか奮い立たせ、空虚な日々からの脱却を試みた。


 いったい何をすればいいだろう。……お、そうだ。ギターでもはじめてみようか。俺は押し入れの中からこの部屋の前の住人が残していったギターを引っ張り出した。ギターについては全く無知な俺だったが二度ほどポンポンと裏側を叩き、線がぴんと張っているのを確認してからじゃかじゃかと引き始めた。思ったより音は出ないんだな。左手はどこを握っていればいいのだろう。まあそんなふうに多少疑問は残ったものの、俺はピーターとかなんとかいう昔一度だけ見たことのあるギタリストの気分に酔いしれた。俺には才能があるに違いない。うる覚えの歌詞がどんどん出てくる。それを頭でまとめながら歌にして歌った。

 「アイ、ラービュー、アイラービュ、アイラービューーーーー。」

 歌に合わせてシャカシャカと線をひっかく。アメリカの音楽はずいぶん簡単だなと思った。だってアイラブユーしか言ってねえもの。ピーターもこんな楽なことやってたんだなあ。何万人もの大観衆の前で俺がギターを片手に歌っている姿が浮かんで顔がにやけた。きっと田舎の母もびっくりするに違いない。

 「アイラブユーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」

 めいっぱいに伸ばした。これはすごい。雨雲なんてどこぞに吹き飛ばしてしまいそうだ。俺はこの歌で世界を一つにするのだ。ナポレオンもヒトラーも、戦争によって誰も成しえなかったことをこのギター一つでやるのだ。みんなが俺のことを神だと言うだろう。確かペーターもそう呼ばれていたはずだ。ということは新宗教開祖か。大変そうだな。

 世界征服の夢がむくむくと膨らんでいた次の瞬間、

「うるせえ、静かにしろ!」窓のそとから大きな声がした。そして叫び声とともに突如飛来した握りこぶし程の大きさの石が俺を狙った。慌てたせいで後ろ向きに倒れ、腰を少し打った。

 幸い俺は窓の外の全人類に歌いかけていたため、とっさにギターで防ぐことができた。外を見たが誰もいない。隠れたに違いない。だが俺の歌はこの地域(地球)に捧げているのだ。二発目を撃たなかったことを後悔するがいい。エイリアンめ!!

 未確認生物に対してさらに追撃をかけるべく、もう一度ギターを弾こうとした。が壊れているのに気がついて手を止めた。線が上から一本、二本、ぷっつりと切れていた。ぴんと張ったのがあだとなったか。

 なんだ、この程度。そう思ってすかさず修理しようとしたがどこをどうすればいいのか全く分からない。さっきまで思い出せなかったピーターなんとかの言葉を思い出した。日本初公演の宣伝かなんかのインタビューでピーターは「ギターは友達だ」と言っていた。当時の俺はサッカー少年みたいなありきたりなセリフだなとひどくモニターに向かって罵声をあびせたもんだが、ギタリストの才能を開花させた俺にはわかる。確かにギターは友達だったと。ほんの数分だったが大学で知り合ったやつらよりよっぽど息が合ったきがするからだ。

 そして俺にはもう一つはっきりしていることがある。それは俺は今、まさにあろうことか友達を盾にして隕石(おそらく)を防いだのである。そのせいでギターは壊れたのだ。

 俺はギターの傷を撫で、洗ったばかりのタオルでくるんで元あった場所に戻した。友達をエイリアンに売り渡すような奴はギタリストになれない。そう強く感じた。任務を全うしたのを確認したのか、それ以降隕石は降ってこなかった。

 ギターをあきらめた俺は他に何かすることがないか探し始める。


 後で分かったことだが、あのギターの名前はベースというらしかった。ペーターのギターはなんというのだろうかは知らない。

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