計算外の令嬢【読み切り・公爵視点】
俺は、嘘が得意だ。
感情を殺して言葉を選ぶ技術を、子供の頃から叩き込まれた。公爵家の嫡男として、それは必要なことだった。王家との交渉、派閥の駆け引き、家同士の腹の探り合い。どれも、本音を見せた方が負ける。
だから俺は笑わない。感情を見せない。「氷の公爵」と呼ばれることにも、慣れた。
この婚約も、計算の内だった。
シュタルク侯爵家との縁談を断れなかった。だから逆に使う。三ヶ月の婚約期間中に、令嬢の方から逃げたくなるよう仕向ければいい。傷つけすぎず、でも確実に。
令嬢が婚約解消を望めば、俺に責は来ない。令嬢を巻き込まずに済む。
それだけのことだ。
シュタルク家のエリーゼ・シュタルクを、俺は一目見た瞬間に格付けした。栗色の髪、緑の目、地味な印象、人の良さそうな笑顔。令嬢としては可もなく不可もない。気が強くもなく、野心もなさそうで、扱いやすいタイプに見えた。
計算は、最初の一言で狂い始めた。
[* * *]
「君のことは何とも思っていない」
完璧な台詞だった。冷たすぎず、でも明確に距離を示す言葉。傷ついて萎縮するか、怒って反発するか、どちらでも次の手は打てる。
エリーゼ・シュタルクは、どちらでもなかった。
微笑んだ。
「そうでしたか。私もまだ、あなたのことをよく存じ上げませんから」
間合いが違う。こちらの言葉を受け取って、そのまま返してきた。傷ついた様子もなく、怒った様子もなく、ただ穏やかに。
俺は、何かがずれた感覚を覚えた。
その後も試した。冷たい言葉、わざとらしい無関心、他の令嬢との会話で放置する時間。どれも、普通の令嬢なら何かしら反応する。怒るか、泣くか、媚びを売るか。
彼女は、首を傾けた。
よくわからない、という顔で。傷ついた顔ではなく、純粋に、何かを考えている顔で。
嫌な予感がした。
[* * *]
「お前の試し行動、エリーゼ嬢に全部気づかれてるぞ」
レオンがそう言ったのは、茶会から三日後だった。
「ありえない」
「俺もそう思ってた。でも見てみろ、お前が嘘をついた後だけ、あの人ニコニコしてるじゃないか」
次の顔合わせで、俺は確かめた。
意図的に、いくつか嘘を混ぜた。
「この婚約には満足している」――嘘だ。
「令嬢の評判は以前から聞いていた」――嘘だ。
エリーゼ・シュタルクは、俺が嘘をついた後の間だけ、少し首を傾けた。それだけだ。それ以上は何も言わない。でも確かに、何かに気づいたような表情をする。
計算外だった。
演技を見破る人間がいることは、長い付き合いのレオン以外に経験がない。
なぜ、わかる。
その疑問だけが、しばらく頭から消えなかった。
[* * *]
確かめたくて、次の試しで彼女の正面に座った。
いつもは少し距離を置く。今日は対話の形にした。
話の流れで、俺はまた嘘をついた。「令嬢の家の評判は王都でも聞いている。立派な家だ」――事実だ。「婚約の件、家の者はみな喜んでいる」――嘘だ。
一言目、変化なし。二言目で、彼女の目が少し細くなった。
わかっている。
間違いなく、俺の嘘に気づいている。
それでも何も言わない。追及しない。ただ笑って「そうですか」と答える。
なぜ逃げない、と俺は思った。
気づいているなら、逃げるべきだ。婚約者が嘘をついているとわかれば、普通は不信感が先に立つ。縁談を断る理由に使える。むしろ使え、と俺は思う。
なぜ、笑う。
[* * *]
庭で鉢合わせたのは、俺の計算外だった。
仕事を持ち出して庭のベンチを使うのは、書斎が煩くなったときの習慣だ。令嬢が散歩の許可を持っていることを、失念していた。
立ち去られると思った。
彼女は少し離れたベンチに座った。
それだけだ。声をかけることも、媚びることも、何かを求めることもせず、ただそこにいた。
俺は書類に視線を戻した。
風の音と、水の音。
沈黙が、妙に静かだった。
口が動いたのは、自分でも気づかなかった。
「……この庭の花は、好きか」
なぜそんなことを聞いたのか。
「はい。特に、あの白いものが好きです」
彼女は噴水脇の低木を指した。
「夕方になると少し香りが変わって」
「イレナだ」
答えてから、後悔した。
余計な会話だ。距離を置くべき相手に、距離を縮める口実を与えた。それも、俺の方から。
だが彼女は深追いしなかった。
「ありがとうございます」
それだけ言って、また花を見た。
その後ろ姿を、俺はしばらく眺めていた。
まずい、と気づいたのは、翌週また庭に出た自分に気づいたときだった。
[* * *]
書類はなかった。
理由も、なかった。
それでも庭に来て、噴水の脇に立っていた。イレナの白い花が、夕方の光の中で静かに揺れている。
やがて、足音がした。
「……また来てしまいました」
彼女は俺を見て、少し目を丸くした。それだけだ。責めない。驚きの後で、穏やかな顔になった。
「好きにしろ」
俺は答えた。
「来週も来るのか」
「はい」
「……そうか」
何を聞いているんだ、と思った。
来るな、と言えばよかった。それが本来の手だ。距離を保て。感情を持つな。
言えなかった。
隣に立って、花を見ていた。
どう扱えばいい、という問いは、もう出てこなかった。
ただ。
……悪くなかった。
その感覚だけ、まだうまく処理できていない。
※この読み切りは本編「冷徹公爵は私を試しているようですが、全部お見通しです」の公爵視点バージョンです。
公爵が「悪くない」という感覚に気づいてから、どう崩れ、どう本音を吐くまでになるか。全30話の本編でお読みいただけます。
本編はこちら→ https://ncode.syosetu.com/n0169mi/
嘘しかつけなかった公爵が、最後に何を言うか。ぜひ。




