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計算外の令嬢【読み切り・公爵視点】

作者: じょな
掲載日:2026/06/13

 俺は、嘘が得意だ。


 感情を殺して言葉を選ぶ技術を、子供の頃から叩き込まれた。公爵家の嫡男として、それは必要なことだった。王家との交渉、派閥の駆け引き、家同士の腹の探り合い。どれも、本音を見せた方が負ける。


 だから俺は笑わない。感情を見せない。「氷の公爵」と呼ばれることにも、慣れた。


 この婚約も、計算の内だった。


 シュタルク侯爵家との縁談を断れなかった。だから逆に使う。三ヶ月の婚約期間中に、令嬢の方から逃げたくなるよう仕向ければいい。傷つけすぎず、でも確実に。


 令嬢が婚約解消を望めば、俺に責は来ない。令嬢を巻き込まずに済む。


 それだけのことだ。


 シュタルク家のエリーゼ・シュタルクを、俺は一目見た瞬間に格付けした。栗色の髪、緑の目、地味な印象、人の良さそうな笑顔。令嬢としては可もなく不可もない。気が強くもなく、野心もなさそうで、扱いやすいタイプに見えた。


 計算は、最初の一言で狂い始めた。


[* * *]


「君のことは何とも思っていない」


 完璧な台詞だった。冷たすぎず、でも明確に距離を示す言葉。傷ついて萎縮するか、怒って反発するか、どちらでも次の手は打てる。


 エリーゼ・シュタルクは、どちらでもなかった。


 微笑んだ。


「そうでしたか。私もまだ、あなたのことをよく存じ上げませんから」


 間合いが違う。こちらの言葉を受け取って、そのまま返してきた。傷ついた様子もなく、怒った様子もなく、ただ穏やかに。


 俺は、何かがずれた感覚を覚えた。


 その後も試した。冷たい言葉、わざとらしい無関心、他の令嬢との会話で放置する時間。どれも、普通の令嬢なら何かしら反応する。怒るか、泣くか、媚びを売るか。


 彼女は、首を傾けた。


 よくわからない、という顔で。傷ついた顔ではなく、純粋に、何かを考えている顔で。


 嫌な予感がした。


[* * *]


「お前の試し行動、エリーゼ嬢に全部気づかれてるぞ」


 レオンがそう言ったのは、茶会から三日後だった。


「ありえない」


「俺もそう思ってた。でも見てみろ、お前が嘘をついた後だけ、あの人ニコニコしてるじゃないか」


 次の顔合わせで、俺は確かめた。


 意図的に、いくつか嘘を混ぜた。


「この婚約には満足している」――嘘だ。


「令嬢の評判は以前から聞いていた」――嘘だ。


 エリーゼ・シュタルクは、俺が嘘をついた後の間だけ、少し首を傾けた。それだけだ。それ以上は何も言わない。でも確かに、何かに気づいたような表情をする。


 計算外だった。


 演技を見破る人間がいることは、長い付き合いのレオン以外に経験がない。


 なぜ、わかる。


 その疑問だけが、しばらく頭から消えなかった。


[* * *]


 確かめたくて、次の試しで彼女の正面に座った。


 いつもは少し距離を置く。今日は対話の形にした。


 話の流れで、俺はまた嘘をついた。「令嬢の家の評判は王都でも聞いている。立派な家だ」――事実だ。「婚約の件、家の者はみな喜んでいる」――嘘だ。


 一言目、変化なし。二言目で、彼女の目が少し細くなった。


 わかっている。


 間違いなく、俺の嘘に気づいている。


 それでも何も言わない。追及しない。ただ笑って「そうですか」と答える。


 なぜ逃げない、と俺は思った。


 気づいているなら、逃げるべきだ。婚約者が嘘をついているとわかれば、普通は不信感が先に立つ。縁談を断る理由に使える。むしろ使え、と俺は思う。


 なぜ、笑う。


[* * *]


 庭で鉢合わせたのは、俺の計算外だった。


 仕事を持ち出して庭のベンチを使うのは、書斎が煩くなったときの習慣だ。令嬢が散歩の許可を持っていることを、失念していた。


 立ち去られると思った。


 彼女は少し離れたベンチに座った。


 それだけだ。声をかけることも、媚びることも、何かを求めることもせず、ただそこにいた。


 俺は書類に視線を戻した。


 風の音と、水の音。


 沈黙が、妙に静かだった。


 口が動いたのは、自分でも気づかなかった。


「……この庭の花は、好きか」


 なぜそんなことを聞いたのか。


「はい。特に、あの白いものが好きです」


 彼女は噴水脇の低木を指した。


「夕方になると少し香りが変わって」


「イレナだ」


 答えてから、後悔した。


 余計な会話だ。距離を置くべき相手に、距離を縮める口実を与えた。それも、俺の方から。


 だが彼女は深追いしなかった。


「ありがとうございます」


 それだけ言って、また花を見た。


 その後ろ姿を、俺はしばらく眺めていた。


 まずい、と気づいたのは、翌週また庭に出た自分に気づいたときだった。


[* * *]


 書類はなかった。


 理由も、なかった。


 それでも庭に来て、噴水の脇に立っていた。イレナの白い花が、夕方の光の中で静かに揺れている。


 やがて、足音がした。


「……また来てしまいました」


 彼女は俺を見て、少し目を丸くした。それだけだ。責めない。驚きの後で、穏やかな顔になった。


「好きにしろ」


 俺は答えた。


「来週も来るのか」


「はい」


「……そうか」


 何を聞いているんだ、と思った。


 来るな、と言えばよかった。それが本来の手だ。距離を保て。感情を持つな。


 言えなかった。


 隣に立って、花を見ていた。


 どう扱えばいい、という問いは、もう出てこなかった。


 ただ。


 ……悪くなかった。


 その感覚だけ、まだうまく処理できていない。


 ※この読み切りは本編「冷徹公爵は私を試しているようですが、全部お見通しです」の公爵視点バージョンです。


 公爵が「悪くない」という感覚に気づいてから、どう崩れ、どう本音を吐くまでになるか。全30話の本編でお読みいただけます。


 本編はこちら→ https://ncode.syosetu.com/n0169mi/


 嘘しかつけなかった公爵が、最後に何を言うか。ぜひ。


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